40.甘く苦い背徳
エリオスの顔をまともに見ることができない。
わざわざこうしてリーネを通して通信をくれたというのに――。
復讐相手が全員首を吊った。
それも、エリオスが復讐をする前に。
それらの言葉が重くのしかかる。こんな風に聞いて良いはずのことではなかったはずなのに。
「エ、リオス様……」
『何?』
「どうして、私にそんなことを……」
おずおずと視線を持ち上げ、コンパクトに映し出されたエリオスの無表情を見つめる。彼の表情からは過去のことに何を思っているのかは何も伝わってこない。
怒りがあるのか、悔しさがあるのか。はたまた別の感情なのか。
エリオスは向こう側で頬杖をつき、少し考え込んだ。
『ショックを受けてるんじゃないかと思ったんだよ、あんたが』
「それは……はい。ショックでした、とても……」
静かに頷き、コニーから聞かされた時のことを思い返す。
今となっては怒りや悔しさ自死を選んだイヴォンに対する恨みがあるが、聞かされた時はショックだった。何故死んだのか、意味がわからなかった。
コンパクトを手にしたまま、ゆっくりと息を吐き出す。
『でも、シトロン嬢に聞いたところによるとソイツは本命ってわけじゃなかったんだろ?』
「え、ええ……復讐相手でしたが、まだ義妹たちには手を出してません」
『……なら、腑に落ちないかも知れないけど勉強代だと思うしかないよね』
エリオスは淡々と話す。表情も変わらなければ、声の抑揚も変わらない。
だからなのか、ロレナは彼の言葉を聞いて受け入れることができた。
「勉強代……」
『そ。本命に逃げられなかっただけ良かったと思いなよ。
……ああ。でも、あんたは優しそうだから突発的に自死を選ぶほどに追い詰めたことに罪悪感を感じてる?』
(罪悪感……?)
コンパクトを見つめて瞬きを一つ。
そっと左手を自分の胸に押し当ててみる。渦巻いているのは怒りや憎しみ、後悔、イヴォンへの個人的な恨み。褒められた感情ではないが、それらが強いのは確かだった。
しかし、罪悪感があるかと言われると――。
ロレナはふっと自嘲気味に笑って、ゆるゆると首を振る。
「……いいえ、残念ながら。彼女が心から自分の行いを悔いた上で自死を選んでいたなら……そんな気持ちも芽生えたかもしれませんが、彼女は結局自分を正当化するばかりで何一つ反省はしてないようでした。
だから、罪悪感というモノは……欠片も存在していません」
自身の本心を伝えることにこそ、若干の後ろめたさを覚えた。
イヴォンに対して罪悪感がないことにこそ、『人としてどうなのか』という疑問、そして罪悪感が芽生えてしまったのだ。
流石にエリオスも呆れるだろうか。
どうにでもなれという気持ちで、エリオスの顔を見つめた。
『そう、良かった』
「え?」
予想に反して、エリオスが微かに笑う。目を細め、少し肩の力を抜いて、柔らかに。
『罪悪感のせいで復讐を止めるのかと思ったんだよ。……それならそれであんたの判断だからしょがないけどね。
ただ、俺は復讐相手が死んだ時のやるせなさを知っている。
それを……もっとちゃんと伝えるべきだったんじゃないか、って気にしてたんだ』
ぽかんと口を開け、はにかむエリオスをまじまじと凝視した。
「……ありがとう、ございます。エリオス様……。復讐のことを気にしてくださって……」
コンパクトを握りしめていた手が緩む。
これはあくまでロレナのミスだ。悪夢によって相手が絶望し、自死を選ぶ可能性なんて全く考慮していなかった。――ロレナ自身は死を選んだというのに。
エリオスが協力してくれているとは言え、彼が気にすることなんて何もない。
『まぁ、乗りかかった船ってやつだね。折角だから完遂して欲しいよ』
そう言って彼はすっきりした顔で笑った。
(……でも……ノルニア教の大司教ともあろう方がこんな風に復讐の後押しをするような発言をしてもいいのかしら。
今更だけど、立場的にもまずいんじゃ……)
これまで真っ直ぐ復讐に向かってきたため、他人の立場まで気にする余裕はなかった。
だが、エリオスは国教であるノルニア教の大司教だ。教義の中では特に『家族を大切にせよ』と強調しているが、その他倫理観に悖ることは大体禁止されている。
自死も殺人も、復讐だってそうだ。
だが、エリオスはロレナを咎めることなく一貫して後押しをしてくれている。今更になってそのことが不思議だった。
「……あ、の。エリオス様……?」
『何?』
「大司教ともあろう方が、そんな発言を……いえ、私の復讐を後押しするのはまずいのでは……」
おずおずと思ったことを口にすると彼は驚いて目を見開いた。
『今更すぎない? 前にも話したけど、ノルニア教に身を置いてるのは信心深いからとかじゃないよ』
「ですが、流石に」
『俺が直接手を下してるわけじゃないからいいんじゃない?
あくまでも、家族との関係に悩む令嬢の相談に乗ってる、って体だからね』
そう言って肩を竦めるエリオス。本当に立場的なものは関係がないように見えた。これ以上このことを言及できる雰囲気でもなかったので一度口を閉ざす。
『さっきも言ったけど、……俺自身復讐をしようとして失敗したクチだからね』
閉ざした口を再度開けることができない。
復讐相手が全員首を吊った――もう一度その言葉を思い出し、眉間に皺を寄せる。緩んでいた手に再度力が籠もってしまった。
カーテンが静かに揺れ、隙間から風が流れ込んでくる。
頬を風が撫でていくのと同時にゆっくりと深呼吸をした。
「……お辛かったでしょうに、教えてくださってありがとうございます。
本当なら……言いたくなかったのでは?」
エリオス自身が「やるせない」と言っていた。思い出したくもない過去だったとしてもおかしくない。
沈黙が落ちた。
外からは小鳥の囀りと、風で揺らされる葉の音が聞こえてくる。
『まぁ……それはそう、だね。言わないつもりだったよ。
どうしたって昔のことを思い出してしまうから……あ、ひょっとして興味ある?』
「っい、いえ! 流石にそんな……気にならないと言えば嘘になってしまいますが……嫌なことを聞き出そうだなんて思ってません!」
鉛のように重いトーンだったのに、最後の一言はカラッとした響きだった。そのギャップに驚いてしまって声が少しだけ上擦る。
「ふふ」とエリオスが小さく笑う声が届いた。
コンパクトのせいで彼の顔は小さくしか映らないが、確かに笑っている。口元を押さえて、堪えるように。
『ああ、ごめんごめん。これまで思い出すことすら嫌だっていうか憂鬱な気分になってたんだけど……今は案外そうじゃなかったのがおかしくてさ。
やっぱり時間が経つと忘れていくものなのかな、昔の感情って……』
そう言って目を細めるエリオス。どこか遠くを見ているようにも見えた。
ロレナにとっては怒りも憎しみもまだ新鮮で、忘れるなんてことはできそうにない。だからこそ、エリオスの言葉には何も返せなかった。
『って、こんなこと言っても困るよね。シュタールベルク嬢は忘れたくても忘れられないだろうし』
「はい……忘れるなんて、想像もつきません……」
『――やっぱり、俺はあんたに期待してるのかも』
「え……?」
エリオスが真っ直ぐにロレナを射抜く。彼の視線と期待という言葉に心臓がひどく脈打った。
『……ロレナ・シュタールベルクの復讐に、俺自身の復讐を重ねてしまっている。
俺が手にできなかった達成感をあんたが手に入れることを期待してるんだ』
復讐という言葉を口にするには、あまりにも穏やかで爽やかな語り口だった。
時間を忘れたように、彼の顔を見つめてしまう。
(この人も、私と同じ地獄と闇を抱えてるんだわ……。
リーネさんのようにただ暇つぶしとして肯定してくれるのではなく、エリオス様は同じ痛みや執念を持った上で肯定してくださってるのね。
……まるで、共犯者のようね……)
大司教という立場にいながらロレナの復讐を後押ししてくれる――。
理由が明確になるとともに、それ故の背徳感を感じた。
その背徳感は、甘く苦いものだった。




