38.朝日が昇るまでは
女司祭――ロレナの目にイヴォンの動揺と青褪めた顔がはっきりと映る。
それはどう言い訳しても覆せない事実に見えた。
イヴォンが、ロレナの母親であるテレジアの病死に関わっているという事実が――。
脳が沸騰し、腸が煮えくり返るのをどこか他人事のように感じながらゆっくりと深呼吸をした。
(怒りのままにイヴォンを壊すのは簡単だわ……。でも、今は我慢よ……。お母様の死の真相を暴くまでは……)
わざわざ石化などさせず、このまま頭を潰してやりたかった。
けれど、それではテレジアの死の真相がわからない。
――ずっと疑問だったのだ。元気で健康そのものだった母親が突然病に倒れ、医者も匙を投げてしまい、どんどん弱っていく母親の衰弱ぶりがずっと信じられなかった。
ベルトランとイヴォンが爛れた関係であること知った時、何か他にも自分の知らない事実があるのではと感じた。
そして、先程の懺悔の中でもイヴォンがやけにテレジアを見下し、敵視していたのが気にかかった。
ロレナは砕けた石をもう一度踏みつけながら、イヴォンを冷たく見下ろした。
「何かしたんでしょう? ほら、ここは懺悔室よ――」
先程までの乱暴な口調をしまい込み、努めて静かに語りかける。
イヴォンは恐怖に怯えるばかりで何も言おうとしない。あまつさえ砕けた右足を引き摺って逃げようとする素振りまで見せた。
懺悔室とは言っても既に部屋の姿を成してない。周囲には暗闇が広がっているだけだ。
「……言わない気?」
ゆっくりとイヴォンの傍らにしゃがみ、そっと彼女の左腕を撫でた。
みるみるうちにイヴォンの左腕が石化していく。下は指先まで、上は首元まで堅く灰色に変色していた。
「ああああっ?! う、うでが!!」
イヴォンの顔が恐怖に歪む。まだ動く右手と左足で、這いずるようにロレナから離れようとした。逃がすまいと、彼女の左腕を掴むロレナ。
バキンッ!
今度は石化したばかりのイヴォンの左腕が折れた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?」
「あらぁ? ごめんなさい。軽く引っ張っただけなのよ」
イヴォンの絶叫とロレナの軽い謝罪。
肩から先が落ちて、その拍子に肘のところで真っ二つになった。
イヴォンはその場で痛みにのたうつ。汗と涙、鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして呻いていた。
すくっとその場に立ち上がり、転げ回っている老婆を冷たく見下ろす。
「――おい、クソババア。まさか何も言わない気か? 窃盗はするし不倫はするし、それを悪いと思ってねぇんだから当然かァ?」
腕組みをし、まだ残っている石化した右足を再度踏みつける。石の欠片がぼろりと零れ落ち、右足が欠けた。
「あ゛がっ……?!」
「右足と左腕は砕けた。まだ左足と右腕、胴体と頭が残ってんだけどさァ……どこからイッとく?」
「ごべっ、ごべ、ん、なさい……わ、だじが、わ、わるがッ」
「私が何を聞いたのか覚えてないのかしら?」
そう言って左足をコツンと軽く蹴りつける。右足や左腕と同じように石化してしまう。
「あ゛、あ、あああッ……! や、やめて、も、もうこれ以上、はっ」
「じゃあ、何を言えばいいかわかるよなァ? お・ば・あ・ちゃ・ん」
手足を砕かれる恐怖からか、イヴォンは必死でこくこくと頷く。ヒューヒューと耳障りな呼吸音と、ズビッと鼻を啜る音が聞こえてきた。
「……エル、ネスタ、さま……です」
「――あ゛?」
「エ、エルネスタが! テレジア様の食事に混ぜるようにと、毒を渡して……!
あいつが、し、死ねば正妻の座が空くと言って……わ、私に……!」
ゴキンッ!
鈍い音を立てて左足が折れた。イヴォンの絶叫が響き渡る。
しかし、その絶叫も長くは続かなかった。
イヴォンの体はあっという間に頭のてっぺんから石化していない部分まで一気に石化し、声すら発することができなくなったのだ。
ロレナは無表情で、石化したイヴォンの体をガンガン踏みつけ、砕き、破壊していった。
苦痛に歪む顔だけが残り、ロレナは石化した頭部を持ち上げ――思いっきり床に叩きつける。
最後の瞬間、確かにイヴォンと目が合った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
石の欠片が散乱する暗闇の中。
ロレナはがくりと膝をつき、拳を振り上げて床を何度も何度も殴りつける。
「あいつ、あいつ、あいつ! エルネスタ! あんのクソアマッッ……!
よくもよくもよくもよくも! お母様をッ……!
許さない許さない許さない許さない、絶対に許さないわ……!!!」
憎しみと呪いの籠もった言葉が暗闇に木霊する。
声が止むと、ロレナはふらりと立ち上がり――そして悪夢が終わった。
◆ ◆ ◆
ゆっくりと目を開けると、薄暗い天井が見えた。
カーテンの隙間から微かな光が漏れているが、まだ日は昇りきってないらしい。
ロレナはぼうっと天井を見上げ、ゆっくりと瞬きをする。
――エ、エルネスタが! テレジア様の食事に混ぜるようにと、毒を。
イヴォンの声が脳裏に響く。
両手で顔を覆い隠し、奥歯を強く噛み締めた。
(そんなこと、ないと思ってたのに……まさか本当にあったなんて……!)
訝しんでいたのは事実。とは言え、流石にそんなことはないだろうとどこかで信じていた。だが、エルネスタはロレナの想像を遥かに超えて邪悪だったらしい。
悔しさに歯噛みをし、首にかけたロザリオを握りしめる。
エリオスから貰ったものに、自ら防護魔法をかけたロザリオだ。
実際にロレナ自身も眠って夢に入ること、防護魔法をかけたロザリオをつけて寝ること、そして人間じゃなくなる方法を試すこと――これらを一気に試していた。
どれもこれも成功だったが、寝覚めは最悪だ。
(女神ノルニア、どうか私の心を鎮めてください……)
祈りながらロザリオを抱き締めた。
復讐する力は授かったが、今ロレナの心を巣食う怒りや憎しみ、悲しみなどを抑える力はない。藁をも掴むような気持ちでノルニアへの祈りを捧げるしかなかった。
「……ロレナ?」
枕の横で眠っていたチャコがのっそりと起き上がり、眠そうな目でロレナを見下ろす。
チャコを見上げ、彼の体に手を伸ばした。大人しく撫でられるチャコを見て目を細める。
「チャコ、貴方も見ていたでしょう……?」
「うん、見てたよ。悪夢は成功したのに……嫌なこと、知っちゃったね。大丈夫?」
「……あんまり大丈夫じゃないわ。抱き締めさせてくれる?」
「いいよ、お安い御用さ」
言うが早いか、チャコがぴょんっとジャンプをしてロレナの腕の中に潜り込んでくる。柔らかく温かい感触にホッとしながらその体を優しく抱きしめた。
さっきまでささくれ立っていた心がいくらか落ち着く。
(お母様の分まで復讐するわ、絶対に。
……でも、今は……昔、気付けなかった自分が嫌になる……。何かできたかもしれないのに……!)
怒りと憎しみが薄らいだ代わりに襲ってきたのはとてもつもない悲しみと後悔。
チャコを抱き締めながら静かに涙を零し、自分の無力さを恨む。幼かったから、というのは理由にならなかった。
朝日が昇るまでは、魔女ではなく、ただのロレナとして泣き続けるのだった。




