36.悪夢の実験計画
着替えを済ませ、部屋でのんびりすることにした。
十日程度は様子見をするかと思っていたアデルが、たった五日足らずで元の通りに嫌がらせをしてくるのは予想外だったのだ。朝っぱらからあんな目に遭って楽しいわけがない。
コニーに用意させたお茶とお茶菓子を口にしながらチャコの帰りを待った。
(……遅いわね。水をぶっかけてきたメイドが誰なのか分かればよかったのに)
コニーのように若いメイドを除けば大体のメイドは把握している。アデルとエルネスタの性格のおかげで若いメイドはすぐ辞めることが多いからだ。二人の扱い方を覚え、メイドたちに仲間認定してもらえれば働きやすい環境のようだった。
そのおかげでどんどんロレナの居場所はなくなっていったのである。
これまでアデルとエルネスタ、そして侍女やメイドたちからされたことを一つずつ思い出す。
(今日みたいに水をかけられたり、わざと転ばされたり、ドレスを裂かれたり盗られたり、食べ物や飲み物が腐りかけだったり……部屋の掃除もろくにされないどころかわざと汚されてたりもしたわね。
学園ではアデルがありもしない姉からの虐待を言い触らしては泣くから、本当に肩身が狭かったわ……。
それに――……)
思い出せばキリがない上に、どんどん苛立ちが増してくる。
今となっては何故言い返さず、自ら戦おうとしなかったのかがわからない。
当時はとにかく精神的に疲弊していた。考えることも何かすることも億劫で嵐が過ぎ去るのを待つようにじっとしているだけだったのだ。
万が一追い出されでもしたら行くところがないというのも理由の一端だっただろう。
しかし――。
今はもうそんなことはない。復讐もするし、結果として追い出されたとしても痛くも痒くもない。
(ツテもできたし……何よりこの魔力さえあれば何でもできそうなのよね)
右手を翳して目を細める。
魔女になる前は、十人並み程度の魔力しかなかったのに、今ではその数百倍もの魔力があるのだ。水属性の魔法しか使えなかったのに、魔法で何でもできそうな気すらする。
(リーネさんがやっていたように洗脳して侯爵家を乗っ取るも良し、出ていって一人で生きていくのも良し、ね)
悲観など全くしていなかった。むしろ楽しささえ感じる。
この身に宿る魔力の大きさを感じながら、薄っすらと笑みを浮かべた。
「……何してるの?」
「あら、チャコ。遅かったわね。何もしてないわよ?」
強いて言うなら自分の魔力に酔っていたのだが――流石にそんなことは口にできなかった。にこりと笑みを浮かべてチャコを見ると、チャコは不思議そうな顔をしたままソファに乗ってきた。
「そっか。なんか面白いことないかなって思ってメイドたちを見てたんだけど、今回は収穫なしだったよ」
「貴方、そんなことをしてたの?」
「うん、面白そうだと思ってね。ちなみに君に水をかけたのはハンナとキャシーってメイド。
デリアって侍女の指示なんだって。まぁ、実際はアデルからデリア、デリアからメイドたちって流れみたいだね」
「……相変わらずね。デリアが唆したのかもしれないけど……」
アデルが直接指示することもあるが、大半はデリアを通してた。デリアはしがない子爵家の次女なのだが、『侯爵家の長女』をアデルの存在を盾にして虐めるのが楽しいらしい。家格に何らかのコンプレックスがあるのは何となく察していた。
小さくため息をつきながら、チャコの体をそっと撫でる。
「ハンナとキャシー……まぁ、この二人も相変わらずね。今回はすぐ逃げたところを見ると、私に対して何らか恐怖心があったんでしょうけど……」
「ロレナのことをゾンビじゃないかって怯えてたよ。こんなことして呪われるんじゃないか、って」
「ゾンビ? 随分な言い方だわ。――ゾンビじゃなくて魔女なのに。
とは言え、あの二人じゃ周囲には逆らえないでしょうね……」
ハンナとキャシーの二人は屋敷内では中堅くらいになる。以前もアデルからの指示でロレナを散々虐めてくれた。当時は喜々としてやっていただろうに、死んだはずの女が何食わぬ顔で帰ってきたことへの恐怖心はあるらしい。
アデルはあっさり以前と同じよう態度に戻ってしまったのに。
(さっさとアデルに手を下したい気持ちはあるけれど……やっぱりメインディッシュはちゃんと取っておきましょう)
「で、ロレナ。次はどうするの?」
「そうねぇ……ハンナかキャシー、もしくはもう一度イヴォンね」
「イヴォン? どうして?」
もう悪夢を見せたのに? と不思議そうに首を傾げるチャコ。
ロレナは静かに笑いながら、そっと手を握りしめた。握りしめた右手を左手で包み込む。
「……アイツの言っていたクソ親父との関係性が気になるのよ。夢の中なら拷問し放題だから吐かせられるんじゃないかと思って。それにリーネさんの言っていた”人間じゃなくなる”というのも試してみたいし……」
「ああ! なるほど、名案だね。証拠も残らないし、良いんじゃないかな?」
「実験も兼ねられるから一石二鳥よね」
そう言って静かに微笑んだ。
――正直なところ、イヴォンとベルトランの関係性など知りたくもないのだが、どうしても気になる。母親が存命の時にも関係を持っていたなんて反吐が出るし、穏やかになんてしていられない。
しかし、だからこそ、知る必要があると感じた。
完璧な復讐をするために。
「……ロレナ?」
「え、なぁに?」
「顔色がよくないけど……大丈夫?」
チャコがロレナの膝の上に前足を置き、心配そうに顔を覗き込んできた。
オレンジ色の目が真っ直ぐにロレナを見つめている。
「……。……あんまり大丈夫じゃないのよね」
口をついて出たのは、正直な気持ち。視線を落とし、手をぎゅっと握り合う。
「ただ復讐したいだけだったけど……お母様が生きていた頃にもあの二人が関係してたなんて事実があったなんて信じられないし、嫌悪感があるわ……。しかも、同じ時期にエルネスタの存在もあったかもしれない……。
自分の中に、あの男の血が入っていると思ったら――すごく気持ちが悪いのよ……」
ゆっくりと言葉を紡ぎ、静かに息を吐き出した。
チャコが背伸びをしてそっと目尻を舐めていく。そして、頬に優しくすり寄ってきた。
「でも、それでもロレナは復讐をやめないでしょ?」
「……ええ。ひょっとしたら、もっとおぞましい事実も出てくるかもしれないもの。
完璧な復讐をするためには、私はもっと色々と知らなきゃいけないわ」
気分の悪さと嫌悪感、そして気持ち悪さ。
それらはロレナの感情に違いないが、だからと言って復讐を止める気なんてサラサラないのだ。
むしろ――。
「知れば知るほどに、あいつらを地獄に落としたいという気持ちが高まっていくのよ」
はっきりと、強い口調で言う。そして微笑みを交えてチャコを見つめ返した。
「そっか、良かった。流石僕のロレナだ」
「……その”僕のロレナ”って言い方、やめない? 何だか恥ずかしいわ」
「だって本当のことだよ?」
しれっと言われてしまい、返す言葉がなくなってしまった。
こんな風に言ってくれるのは母親以来だ。照れくさくなってしまって「と、とにかく誰にどんな悪夢を見せるのかちゃんと考えなきゃ」とチャコから視線を逸らすのだった。




