35.「姉妹のお遊び」
『ロレナちゃん……あんなにノリノリに見えたのに、そんなこと気にするのぉ?』
「……ロレナ。それ、まだ気にしてたんだ……」
リーネもチャコもどこか呆れたような顔をしている。二人揃って「そんなこと」「それ」扱いである。ロレナにとってはそれなりに問題なのだが、二人にとってはそうではないらしい。
二人とのギャップに戸惑いながら、あの時イヴォンの胸を貫いた右手を軽く揺らす。
「だって、血がべったりだったのよ? 洗っても気持ち悪さが残っているの」
『そのうち慣れるんじゃない~?』
ロレナは渋い顔をしてしまった。慣れたくない、という気持ちがあるからだ。
『んー……じゃあ、血じゃないものが出るとかどう?』
「血じゃ、ないもの……?」
『まぁパッと思い浮かばないけど、血が紅茶になっちゃうとか相手が人間じゃなくなるとか?』
何とも言えずに軽い言葉だった。傷口から血の代わりに紅茶が出てくるなんてコミカルすぎて、復讐としては不釣り合いな気がする。だが、相手が人間ではなくなるというのはいい案に思えた。
口元に手を当てて「ふむ」と小さく呟く。
「人間じゃなくなる、というのは良いかもしれないわね。ありがとう、リーネさん。とってもいいヒントだったわ」
『そう? 良かったぁ、次も楽しみにしてるからね~。誰にするかは見てのお楽しみにするよぉ』
楽しそうな声と表情に、今度はロレナが何とも言えない顔をする番だった。
「……やっぱり次も見るの?」
『もっちろーん。今日正式にオッケー貰えたしね!』
(別にオッケーをしたわけじゃないのだけど……リーネさんには言っても無駄よね。チャコが二人に増えたと思って気にしないようにしなきゃ)
きっとリーネに見ないことを約束させたとしてもあの手この手で見るに違いない。彼女が常々口にしている「暇つぶし」にロレナの悪夢が最適なのは疑いようもないからだ。
なら、大人しく見せておいた方がいいだろう。これまでだって邪魔はおろか存在すら感じられなかったのだから。
報告と相談を終え、この日の通信を終えるのだった。
◇ ◇ ◇
バシャン!
突然衝撃が頭上を襲い、歩みと呼吸が止まった。
ポタポタと水滴が滴ったところで、ロレナは自分が大量の水を被ったことに遅れて気付く。
朝一番の冷水は僅かに残っていた眠気を完全に消し去る。頭上を見上げると、メイドが二人慌てて逃げていくのが見えた。
「……チャコ」
『うん、わかった』
短く名を呼べば、チャコは猫らしい身のこなしでメイド二人を追っていった。
水分を含んで額に張り付く髪の毛とドレスがひどく重い。もう一度着替えなければ――と思ったところで、クスクスと嘲笑が聞こえてきた。
「あらぁ、おねえさまったら。朝からどうしたんですかぁ?」
歪んだ笑みを浮かべながら近付いてきたのはアデルだった。
レースとリボンたっぷりのピンク色のドレスに、髪の毛もピンクのリボンで結っている。よくもまぁこんなピンク塗れでいられるものだ。彼女の傍には侍女である男爵令嬢デリア・エレルトがアデルと同じようにこちらを蔑むように笑っていた。
――目の前の二人を見て、自分が魔女になる前のことを思い出す。
ロレナを虐めるのが楽しいと言わんばかりの二人の態度を。
「……アデル」
「お水が滴ってとーっても美人ですよぉ、おねえさまっ」
無邪気さを装ってにこっと笑うアデル。デリアは声を殺して楽しそうに笑っていた。
「あらそう、それはありがとう」
しれっと礼を言うと、アデルの口元がひくついた。
「エリオス様にお話を聞いていただいたからって自分の立場を忘れてるんじゃありませんかぁ?」
「立場? 何のことかしら」
甘ったるい声に苛立ちを覚えながら、額についた髪の毛を払う。
アデルはにこにこと笑いながらロレナの顔を見つめる。
「我が物顔で客室を使ったりお父様のお金でドレスを買ったりぃ……そういうのってぇ、良くないと思うんですぅ」
「これまで私のものなんてなかったんだからこれくらいいいでしょう。
貴方が買い漁っているドレスやアクセサリーに比べれば可愛いものだわ」
「でもぉ、おねえさまがお父様のお金を使うのって『立場的』に違いませんかぁ?」
「――違う? 何が?」
冷たく端的に返す。
アデルとエルネスタの会話を思い出した。
――本当なら自分がシュタールベルク侯爵家の長女だった、という発言。
こんなところでボロを出すとは思わないが、突いてみるのも良いだろう。
「えっとぉ、それは……」
アデルは何か言いたそうにしたが、悔しそうに歯噛みをするだけだ。どうやら口止めをされているらしい。その先のセリフを聞ければ楽しかったのに、軽く溜息をついた。
ロレナはゆっくりと右手を持ち上げ、二人の前に手を翳す。二人がビクッと肩を震わせて身を寄せ合った。
(近付いてくれて手間が省けるわ)
ふっと笑みを浮かべるのと同時に魔法で人の頭ほどの大きさの水球を作り出す。
次の瞬間には、バシャン! と大きな音を立てて二人の顔にぶつかった。
ポタポタと水滴が滴り落ちている。
アデルもデリアも、何が起きたのかわからずに呆然としていた。
ロレナは二人を見て「ふふっ」と笑って見せる。
「アデル、デリア。お水が滴ってとーっても美人よ?」
にっこり。こんな擬音がつきそうなくらいの笑顔を浮かべ、アデルの言葉をそっくりそのまま返した。
アデルがわなわなと震え、デリアはあまりのことに青褪めている。
「おっ、おねえ、さま! あたしにこんなことしてぇっ! いいと思ってるんですかあ!?」
「あら、これも姉妹のお遊びでしょう? ――いつだったか、そう言ってたわよね?」
昔のことだ。
アデルがデリアやメイドたちを使ってバケツで水をかけ続けたことがある。その時のアデルは何もしなかったが、自分が指示したことも隠さずに彼女らの後ろで楽しそうに笑っていた。その時に言ったのだ。「姉妹のお遊びでしょう?」と。
目をすうっと細めてアデルを見据えれば、アデルはビクッと体を震わせた。
「そ、そんな、むかしの、ことをっ……!」
「ねえ、アデル。そんなことよりも」
「そんなことですってぇ?!」
アデルは顔を真っ赤にしている。やり返されるととことん余裕がなくなるようで、以前ロレナを虐げていた時のような歪んだ笑みは一切出てこない。
(まぁ、いつも自分は手を下さずに後ろで嫌味を言ってるだけだったものね……。本当にこんな子に良いようにされてたなんて、馬鹿馬鹿しくて泣きたくなるわ)
「ええ、そんなことよ。――テオドール様とのことは両家に話してくれたのかしら?
早めに言っておかないと取り返しがつかなくなるわ。だって……いるんでしょう?」
言いながら、ロレナはアデルのお腹へと視線を向ける。まだまだぺたんこで、そこに赤ん坊がいるかどうかなんてわからない。
アデルはロレナの視線に気付くと、バッと両手でお腹を押さえる。
そこにあるものを隠そうとする動作にも、見られないようにする動作にも見えた。
「お、おねえさまには関係ないですぅ!」
「あるわ? だって、”まだ”私がテオドール様の婚約者なんだもの。
貴女たちは愛し合ってるんでしょう? 早めにどうにかした方が良いわよ。
――じゃあ、そろそろ部屋に戻るわ。誰かさんたちのおかげで風邪を引きそうなの」
言うだけ言って踵を返す。後ろでアデルが「おねえさま!」と叫んでいるが、これ以上取り合う気にはならない。というか、本当に冷えてきてしまったのだ。
(全く……もっと大人しくしてると思ったのに……。まさかたった数日で以前のように嫌がらせをしてくるなんて。
まぁ、その方が気兼ねなく悪夢のフルコースをお見舞いできるってもんだけどなあ?!)
ロレナは他人には見せられないような愉悦の笑みを浮かべながら足早に客室へと戻った。




