30.使い捨てのロザリオと、彼の秘密②
ロレナが躊躇っている間にチャコがテーブルの上をトコトコと歩き、エリオスの前で立ち止まった。エリオスの顔をじーっと見つめてコテンと首を傾げる。
「エリオス。君は何か信念があってノルニア教にいるわけじゃないの?」
「チャ、チャコッ!?」
慌てて手を伸ばし、チャコを捕まえようとする。
が、チャコは猫のような身軽さでロレナの手をすり抜け、トンッとジャンプをしてエリオスの肩に乗っかった。エリオスは目を丸くしてチャコを見つめ返す。
チャコが「どうなの?」と再度聞くので、エリオスは目を細めた。ロレナはその様子をハラハラしながら見守るしかない。
「……行く場所がなくて困ってる時に誘われたんだよ。で、そのままズルズルといる感じ」
「なるほどねー。嫌いなの?」
「流石に嫌いじゃないよ。ただ、特別好きでもないし、篤い信仰心もないだけ。……考えは嫌いじゃないけどね。
っていうか、本当に重くないんだね。使い魔って」
エリオスの答えは淡々としていた。最後に話題を逸らしたように感じるのは気の所為ではないだろう。
「さっきも言ったでしょ。魔力の塊だ、って。もちろん重さを付加することもできるよ」
「え、今この状態で重くならないでよ……?」
「え~? どうしよっかな~?」
チャコは思わせぶりに目を細め、悪戯っぽく笑った。
それまで二人の様子を見ていたロレナだったが、チャンスとばかりにバッと立ち上がってチャコの体を抱き上げる。チャコは目を白黒させつつも抵抗はしなかった。
ロレナはチャコをしっかりと抱き抱えてもう一度席についた。
「失礼しました。エリオス様……」
「いいよ、気にしないで。さっきの俺の言い方なら気になって当然だろうしね。
まぁ、あんたじゃなくて、使い魔が聞いてくるとは思わなかったけど……」
そう言ってロレナとチャコを見比べるエリオス。チャコは耳をピコピコと動かしていた。
(も、もしかして……私が気になってるのを察してあんなに無遠慮に聞いたの……!?)
チャコは素知らぬ顔をしてロレナの腕の中で大人しくしている。彼の心境など知る由もないが、感謝していいやら怒った方がいいやらだ。
言葉が出ずにいると、またもやチャコが口を開く。
「ねえ、エリオス。これは本当に疑問なんだけど……君は何者?
魔女でも人間でもない。でも、魔女と人間の気配がする――……僕の知らない存在だ」
カップに触れようとしたエリオスの指先がピクリと動く。
――エリオスの目がやけに冷えていた。さっきよりもずっと。周囲の温度すら下がったような気がした。
気軽に聞いてはいけないことだったとすぐに理解する。チャコは自覚がないようで不思議そうに首を傾げるばかりだ。咄嗟に謝ろうとも喉の奥で言葉が引っかかって出てこなかった。
「まぁ、それも疑問に思うのはある意味当然――。
だけど、簡単に話したいことじゃないんだ。そのうちあんたたちに話しても良いと思ったら話すよ」
ふ。と、その場を支配していた緊張感が解ける。
エリオスが視線を伏せて紅茶をのんびりと飲んでいた。
「ふーん、そっか。楽しみにしてるね」
「……。……別に楽しい話じゃないけどね」
そう言うエリオスは自嘲気味に笑った。また、普段は見せない表情だ。
チャコの無神経さが居た堪れなくて、思わずチャコをぎゅーーーっと強く抱きしめてしまった。
「いたたたたっ?! ロ、ロレナ、く、くるじい……!」
「エ、エリオス様! さっきからチャコが本当に申し訳ございませんっ……!」
チャコの抗議など耳に入らない様子でロレナは謝罪を口にし、思いっきり頭を下げた。
ゴンッ!
勢い余って木製の立派なテーブルに額をぶつけてしまい、鈍い音が響いた。ガチャンと食器の揺れる音が耳に届く。
(い、痛い……! 勢いつけすぎたし、テーブルも丈夫で額がすごく痛い……!)
自業自得とは言え、ロレナは涙目だった。その顔をあげることすらできず、テーブルに額をつけたまま小刻みに震えている。
腕の中のチャコが「ぐるじい」と訴えているが、聞こえてはいなかった。
代わりにロレナの耳に届いたのは――エリオスの押し殺すような笑い声。
おずおずと顔を上げると、エリオスが口元に手を当てて肩を震わせている。俯いているせいでどんな顔をしているのかまではわからない。
ぽかんと彼の様子を眺めてしまった。
数分後、ようやく落ち着いたらしいエリオスが普段通りの顔をしてロレナを見る。こほんと、わざとらしく咳払いまでして。
「はぁ……ごめん。変な姿を見せてしまって……。
俺のことが色々と気になるのはしょうがないと思う。だから、あんたが謝ることじゃないよ。シュタールベルク嬢」
言いながら、目尻を拭う様子は年相応の青年らしく見える。
確かエリオスは二十四歳。対してロレナは十九歳だ。
(……エリオス様は年齢相応に見えたり、もっと年上に見えたり、かと思えば笑うと少し幼くて……本当に不思議な方だわ……)
これまでのエリオスの表情や言動を思い出しながらそんなことを考えてしまった。本当にいまいち掴みどころのない不思議な人だ。チャコが無遠慮にあれこれ聞いてくれたことは申し訳なさもあるが、ロレナでは絶対に聞けなかったのでこっそり感謝している。
緩んだ空気にホッとして、チャコを抱く手を緩めた。
「そう言っていただけて恐縮です。ありがとうございます、エリオス様。
……あの、先ほど教義は私を守ってくれなかったと仰ってましたが、今は守られていると感じます。
いえ、エリオス様のおかげで守られていると言うか……教義の使い方を教えてくださって本当に感謝しています」
感謝の言葉とともに真っ直ぐにエリオスを見つめた。エリオスは目を丸くしてカップを宙で止めている。
教義を盾にベルトランを脅すこと、”血の返上”のこと――教会を自分の都合よく使うだなんてロレナだけでは思いつかなかった。エリオスがいたおかげで教会を口実にできるようになったのだ。これは魔女の力とともにロレナにとって強力な武器となっている。
ふ。と、エリオスがまた笑う。
「まぁ、これでも一応大司教なので」
シトロン家でも聞いたセリフだ。ちょっとおかしくて、くすくすと笑ってしまった。
「シュタールベルク嬢がそんな風に考えてるなんて思わなかったな。
……なら、感謝の印として俺の願い事を一つ叶えて貰ってもいい?」
真っ直ぐ向けられた言葉に面食らいつつ頷いた。
「え。え、ええ、私で叶えられることなら……」
「あんたしか叶えられないことだよ」
「私しか……? 何でしょう……?」
”ロレナしか”ということは十中八九魔女しかできないことだろう。財力や権力で言えばノルニア教の大司教に軍配が上がるからだ。
ゴクリと喉を鳴らしてエリオスをじっと見つめる。
エリオスはどこか照れくさそうな顔をしてロレナを見つめ返した。
「俺、あんたが家族に復讐しているところが見たいんだよね」
ロレナの脳内に広大な宇宙が広がった。
彼の言葉は確かにロレナの耳に入って脳みそに届いた。しかし、脳みそに広がった宇宙へと吸い込まれてしまい、言葉が霧散していく。
これまでに二度行った悪夢による復讐シーンとエリオスの要求とを繋ごうとすると――磁石の反発のように、繋ぐことと理解することをロレナの脳みそが拒むのだった。




