29.使い捨てのロザリオと、彼の秘密①
「……あの”氷の大司教”が、女性を口説いてる……?!」
背後から震える声が聞こえる。振り返ると、シャディクがお茶とお菓子を乗せたトレイを持って立っていた。
信じられないようなものを見る目でエリオスを凝視していた。エリオスは大げさなくらいに大きな溜息をつく。
「違う」
「いやいやいや……ドレスも髪型もアクセサリーも、ってそんな細かに褒めないでしょ普通!」
「うるさい。お茶を置いてさっさと出ていって」
エリオスはひたすら鬱陶しそうだ。さっきのは本当にただの比較でしかないとわかって安堵してしまう。
シャディクはまたブツブツと文句を言っている。かと思えばロレナに向かって「大司教ブレンドでぇす」などと笑顔でお茶を置く。なかなか掴みどころのない人間だと思っている間に部屋を出ていってしまった。
「随分気さくな騎士様ですね」
「馴れ馴れしいだけだよ。まぁ俺がこうだからバランスは良いんじゃないかな」
「バランス……」
「まぁ、確かにエリオスはいっつも不機嫌そうだから丁度いいかもね!」
不意にチャコが姿を現した。しかもテーブルの上に。お茶とお菓子の匂いをクンクンと嗅いでいる。
「ちょ、チャコ……!」
慌ててチャコを掴んでテーブルから下ろし、自分の膝の上に乗せた。自室であれば気にしないが流石に大司教の部屋ではまずいだろう。
しかし、そんなロレナの気などお構いなしにチャコはするするとロレナの体を登り、肩の上に我が物顔で乗った。
エリオスがそんなチャコをじーーっと見ている。
「……それ、重くないの?」
「は、はい、不思議と重さはなくて……」
「僕は猫の姿をしているだけの魔力の塊だよ? 重さなんてあるわけがない」
チャコは”そんなことも知らないの?”と言いたげな態度だ。ロレナは内心焦りながらチャコの口をガッと掴む。愛想笑いを浮かべながらチャコを黙らせた後、改めてエリオスに向かって頭を下げた。
「申し訳ございません。折角お時間をいただいたのにチャコが失礼なことを言ってしまって……」
「いいよ、気にしてない。魔女の存在は知っていても別に詳しくないからね。
――で。復讐は順調だって?」
エリオスがカップに手を伸ばしながら聞いてくる。「どうぞ」と勧められたので、「いただきます」と言ってからカップを手に取った。
口を付ける前、カップの中の琥珀色の紅茶を眺めながら口を開く。
「順調です。とは言え、まだ自分の力のことがよくわかってないので……探り探りですけど」
タチアナ、イヴォン――。
あの二人を実験台に夢を操る能力を使った。結果は上々である。このまま行けばアデルたちに悪夢を見せる日も遠くはない。そのことを考えると楽しい気分になってくるのだ。
紅茶に映る自分が楽しそうに笑っていたので、きゅっと表情を引き締めた。
ロレナの言葉を聞いたエリオスがふっと笑う。
「それは良かった。シュタールベルク嬢が納得できる形で決着できると良いね」
「ありがとうございます」
そこで会話が途切れる。お茶を飲んだところで自分が会話を終わらせてしまったことに気付いてハッとした。
本来の用件を言わねば、と慌てながらカップを下ろす。
「あの、エリオス様」
「何?」
「その、リーネさんから聞いていると思いますが……私が夜眠っている間に取れる対策について窺いしたくて……」
「……。……ああ、そういう話だったのか」
反応が酷く遅かった上に初めて聞いたような反応ので、もしかしてリーネは詳しく話してないのではという疑念が湧いた。
エリオスはカップを置き、「これも食べて」とお菓子を勧めてくる。残すのも申し訳ないので手を伸ばした。ロレナがお菓子に手を伸ばしている隙にエリオスが立ち上がって部屋の奥へと向かい、何かを持って戻ってくる。
その”何か”をテーブルの中央に置きながら、エリオスが座り直した。
銀色の輝くロザリオ。
意図が読めず、エリオスとロザリオを交互に見てしまう。チャコが物珍しそうにロザリオを眺めていた。
エリオスはロレナの視線など気にした様子もなく悠然とした態度でお茶を飲んだ。
「こういうアクセサリーに防護魔法をかければいい。
人間だとこういうものを作れる者は限られているし、魔力に耐える宝石の純度を求められるけど……魔女ならモノなんて選ばないんじゃない?」
「……ああ、なるほど。少し考えればわかりそうなものでした。申し訳ございません、わざわざ……」
「いいよ、気にしないで。それはついてでだからあげるよ」
そう言ってロザリオをすっとロレナの方に差し出す。
「えッ?! さ、流石に……! そ、それにこのロザリオは……」
「教会から支給されてるものだけど同じのがいくつかあるから別にいいよ。
こういうものなら夜も身に着けやすいし、侯爵や家族も取り上げたりしないでしょ」
(それは、そう、だけど――……!!)
エリオスの言うことは最もだ。教会由来のものであればベルトランはもちろんアデルやエルネスタが取り上げるようなことはないだろう。盗む可能性は否定しきれないが。
しかし。
デザインといい、素材といい――明らかに協会の関係者用だ。もっと言えば司教や大司教が身につけるレベルのもの。
「あ。一個だけだと足りない? 余ってるから全然――」
「い、いえ! 大丈夫! 大丈夫です!!」
戸惑うロレナを見て何を勘違いしたのか。立ち上がって他のものを持ってこようとするエリオスを慌てて引き止める。
ロレナは逡巡した結果、ロザリオをそっと手に取った。
「……あ、ありがたく頂いていきます……」
「そう、良かった」
エリオスがもう一度笑った。さっきも「それは良かった」と言って笑っていた。
――”氷の大司教”と称される普段の彼の姿からは考えられない。チャコも言っていた通り、普段は仏頂面なのだ。礼拝で時折見かける彼は無表情で、誰に話しかけられても淡々と反応を返すだけ。
だから、初めてシトロン家で出会った時も上辺だけとは言え笑みを浮かべたことに驚いた。
無表情、無感情に見えた彼がリーネと友人のように話していたことにも驚いた。
そして今も。
普通の青年のように笑みを浮かべることに、驚いている。
何も言えずにいると、エリオスは普段の無表情に戻っていた。
「ちなみに防護魔法をかけたアクセサリーは使い捨てだからね。効果を発揮すると劣化するし、最悪壊れるから、大切なものには使わない方がいいよ」
「は、」
目が点になる。それで追加で持って来ようとしたわけだ――。
ぎゅうとロザリオを握りしめ、注意してくれたエリオスをまじまじと見つめた。
「そうなのですね。大切なものに防護魔法をかけてしまうところでした……」
(……あ、危なかったわ。お母様の形見に防護魔法をかけちゃうところだった)
内心ホッとする。折角取り戻すことができたのに自分の魔法で駄目にしてしまうところだった。
ロザリオを手元に置き直してカップを手に取る。
「だから、教会関係のものが丁度良いかと思ったんだ。
身に付けることを誰も疑問に思わないし、似たような物が多いから使い捨てでも問題ない……。
――シュタールベルク嬢にとっては価値がないだろうしね」
カップを下ろす瞬間、エリオスの言い方に驚いて手が震えてしまった。カシャンとカップとソーサーが触れ合って音を立てる。
涼しい顔をしてお茶を飲むエリオスを眺める。
この間は教義について厳しいことも言っていたのに、何故自ら軽んじることを言うのだろうか。
「価値がないだなんて、そんなことは――」
「だって、ノルニア教の教義はあんたを守らなかっただろ。
女神ノルニアも、教会も、教義も……役立たずだって言われてもしょうがないと思ってるけど?」
ロレナは目を見開く。
どう考えても”大司教”の立場にいる人間が言っていい言葉じゃない――。
しかし、戸惑うロレナをエリオスな不思議そうに見つめていた。
その空色の目には冷たい諦念が見え隠れしており、教会に対する思い入れなどは一切感じられない。
(……エリオス様は自ら望んで教会にいるわけではないのかもしれないわ)
ふと、そんなことに思い当たる。
そう言えば以前教義について口にしていた時も信心からではなかったように思う。
何故――と聞いてしまいそうになるが、気軽聞ける話題ではないと口を閉ざすのだった。




