3.先輩魔女の歪んだ歓迎
ロレナはチャコとともに静かに屋敷を抜け出した。
月が煌々と光り、王都を照らしている。
王都の治安は良いものの時間的に貴族令嬢一人が出歩いていい時間ではない。行く当てなどなかったが、とにかく屋敷から離れて落ち着きたい一心だった。周囲を警戒しながら歩き出すと横を歩くチャコが前に回む。
「わざわざ歩かなくても君は空が飛べるよ?」
「……飛べる? 空を?!」
「うん。自分が空に浮いて、自由に飛び回ることをイメージして。鳥みたいに」
当然信じられるはずもない。しかし、死んで生き返った事実の前に、全てを嘘だとも断定できなかった。ロレナは足を止めて深呼吸をしてから、自分が鳥のように空を飛ぶ姿をイメージした。
すると、ふわり、と体が浮いた。
「う、浮いたわ……!?」
「そりゃあ魔女だもん。空を飛ぶなんてカンタンカンタン♪ 人間とは比べ物にならない魔力を持ってるからね」
突然宙に浮いたことでうまくバランスが取れない。だが、鳥のように背中に羽が生えていることをイメージし、優雅に飛ぶ白鳥をイメージすると自然と体が安定した。
チャコが身軽にジャンプをしてロレナの肩にしがみつく。落ちたりしないことを確認してからゆっくりと浮き上がる。気をよくして高く飛び上がると、王都の街並みを一気に突っ切っていった。
夜風が気持ちよく、とても気分がいい。
この世界の人間は魔力を持っている。
だが、魔力を持つのは貴族のみ。魔力を持つから貴族とも言え、平民が魔力を持つことが分かった場合は養子として貴族が迎え入れるか、『ノルニア教』が引き取るのが常だった。
しかし、いくら魔力を持っていてもこんな風に空を自由に飛ぶなんてできない。
空を飛ぶ飛行魔法は高等魔法に分類され、いくら貴族と言えど簡単には使えないのだ。使えるのは元々魔力が高い人間か、軍などで訓練をした人間くらいである。
ロレナは解放感から調子に乗って大きく飛び上がったり旋回したり、或いは急降下をして空を飛ぶことの楽しさを満喫した。
王都の上空を抜けて街はずれに降り立つ。チャコが肩から降りて地面に静かに着地した。
「……すごく楽しかったわ」
「あはは、僕も楽しかった~。ロレナ、疲れてない?」
「疲れてないわ、大丈夫よ」
「よかった。これからずっと一緒にいるんだし、仲良くしようね」
チャコが楽しそうに笑い、首をちょこんと傾げる。
彼とずっと一緒にいるということに何の違和感も抱かず、むしろそれが当たり前に感じられた。
これまで誰もロレナと一緒にはいてくれなかったし、仲良くもしてくれなかった。だからこそ、彼の言葉がとても嬉しかった。感激のあまりチャコを抱き上げて抱きしめる。
「ありがとう。そうね、ずっと私と一緒にいてね」
「もちろん。君は僕の魔女で、僕は君の使い魔だからね」
ぎゅっと抱きしめてからチャコを下ろそうとしたけれど、チャコはロレナの肩に乗ってしまった。重みを感じることはなく、彼はそこが定位置と言わんばかりの態度である。
ゆっくりと周囲を見回す。
背後に森が広がっているだけで何もない。少し離れたところに民家がぽつぽつと見えるだけだった。
ロレナはほっと息をついてから両手を持ち上げて掌を眺める。
人間だった頃とは比べ物にならないくらいの魔力が溢れている。万能感を感じるし、今ならどんなことでもできそうだけれど、どうせやるなら徹底的にやりたい。
「……あいつらに復讐するためにちゃんと準備をしないと。
魔女になったとは言っても、まだ何ができるのかよくわからないし……」
「ねぇねぇ。その復讐、わたしが手伝えるよ?」
不意に、気だるげで甘ったるい声が届いた。
ハッと顔を上げて声のした方を振り返ると、街はずれにいるには不釣り合いな少女が立っていた。
彼女は黒い髪をレースのついたリボンでツインテールにし、フリルたっぷりの可愛らしいレモンイエローのワンピースを身に纏っている。前髪が長めで右目は隠れがちだった。赤みがかった茶色の目がロレナを見つめている。
可愛らしいリボンと髪型、服装の割に目の下にはうっすらとクマが見えて少々陰気な印象を受けた。
どこかの令嬢のように見えるものの、ロレナには心当たりがない。
彼女はにこにこと笑みを浮かべてじっと見つめている。
「だ、誰……!?」
「ふふ。やだなぁ、きみと同じ魔女だよー。ほら」
そう言って彼女はその場でくるりと回ってみせた。
感じるのは、人間では考えられないほどの凄まじい魔力。
肩の上にいるチャコが目を細めて「間違いなく魔女だね。しかも、君よりかなり先輩だ」と頷く。どうやら目の前の彼女が魔女であることは間違いないらしい。
「行くとこないんでしょ? なら、わたしと一緒においでよぉ。協力したげる~」
彼女はへらへらと笑いながら誘う。
怪しい。怪しすぎる。
行くところがないにしても、流石に「お願いします」とついていく気にはならなかった。
「……悪いけれど、信用できないわ」
「ありゃりゃ。まぁ、いきなりだもんねぇ、しょうがないよねぇ。でもね、一緒に来てもらうよ。ひっさびさの魔女だもん。やっぱり仲間は多い方がいいしね~?」
そんな言葉と共に彼女の目が怪しく赤く光り、右手の指先を真っ直ぐに私に向けてきた。
彼女の人差し指と中指には指輪が嵌っている。細い鎖で繋がれた高価そうな二つの指輪。中指にある指輪は太く、指先までを爪のようなものが覆っている。逆に人差し指にある指輪は細く繊細で、パールらしきものがついているのが見えた。
中指についている指輪の爪の先端を向けられているのだ。
途端に体が言うことを聞かなくなる。唇、指先ですら動かせず、完全に動けなくなってしまった。
(な、なに……?! か、からだが……うごかな、い……)
チャコも動けなくなったようで「あ、あれ?」と言いながら肩の上でぐったりしていた。
彼女は先ほどと同じくへらへらと笑いながらロレナに近付いてくる。本能的に恐怖を感じるのに、指の一本すら動かせない。ただ彼女を見つめるしかなかった。
「ね、一緒に来てくれるでしょ?」
彼女は後ろに手を回して屈み、ロレナを上目遣いに見上げてくる。
「……はい」
ロレナはぼんやりとした表情でこくりと頷いた。
(ちょ、ちょ、なんで!? どうして!? 私はついていくなんて……!)
自分の意思とは裏腹に口が、体が、勝手に動いていた。抵抗を試みてもどうにもならない。
ロレナは自分の胸に手を当て、微笑んで彼女を見つめ返した。
「ぜひご一緒させてください」
「いいよ~」
こんなのは自身の意思に反している。それがはっきりとわかるのに、全く逆らえない。
自分の体に彼女の魔力が絡みつき――操られている。そのことをはっきり自覚できた。
「ぜひ」と笑うロレナを見た彼女は満足に、そして嬉しそうに笑った。
彼女は更に顔を近付けて、ロレナの顔をまじまじと見つめてくる。こんな風に無遠慮に見られて不快になるのは当然なのに、ロレナは不快を表に出すことすらできず、にこにこと微笑んだままだった。そんなロレナを見つめる彼女は非常に楽しそうにしていた。
「すごいすごい。意識はしっかりしてる。人間や木っ端魔女なら自我すらも失うのに、きみはすごいよ~。これ、ほんとだよ~」
そう言って彼女はにこにこ笑いながらパチパチパチと拍手をする。
彼女は後ろ手を組み、ロレナのことを下から覗き込んできた。
「あのね、きみはまだ生まれたばかりなんだよ。魔女になっただけ、魔女の何たるかを知らない。
わたしはきみにそれを教えたいだけだから、ね?
大人しくついておいで。悪いようにはしないよぉ。さっきも言ったけど、久々の後輩だからね。大切にしたいんだぁ」
無論その言葉をそっくり信じるほどロレナはお人好しではなかった。初対面で急に操ってくるような相手を信じられるわけがない。必死に自分の意志を通そうとするが、見えない糸に雁字搦めにされてしまったかのように、指先一本すら自由にならなかった。
ロレナは眼の前の彼女を見つめ返して口を開く。
言いたくない言葉を、言おうとしている。
「は、い……ありがとうございま、す……」
「あはは、抵抗が見える~」
彼女はひたすら楽しそうだった。どう考えてもこの状態を楽しんでいるようにしか見えない。
「ベル、行くよ~」
彼女が振り返ると、どこからともなく真っ黒な猟犬が現れる。しなやかな体躯に似合わず、首にはフリルのついたリボンを付けていた。
猟犬の額にはチャコと同じく魔法陣のような文様がある。彼女の使い魔なのだろう。
抵抗できないままでいると、猟犬はあっという間に巨大化した。大きな馬ほどの大きさになる。
「よいしょ、っと。──さ、乗って」
彼女はひょいっと身軽に使い魔の背中に乗る、言われるがまま、ロレナは彼女に手を引かれて後ろに乗った。
ロレナたちを乗せた使い魔がぐっとしゃがみ込み、次の瞬間には夜空に飛び上がる。羽も何もないはずなのに、犬のような使い魔は夜空を駆けていった。




