21.クズ真珠の悪夢
鏡の前に立ち、真珠のブローチを胸につける。
このブローチはシュタールベルク侯爵の前妻でありロレナの実母――テレジアが持っていたものだ。彼女が病で亡くなった後、ロレナへと引き継がれたが、引き出しに仕舞いっぱなしで身につける様子もなかった。
それでは折角の真珠のブローチが泣く。
デザインは古いが、質は良い。見る者が見れば価値があるとわかる。
ベルトランやエルネスタの命令で社交界に出ることができないロレナには宝の持ち腐れでしかない。
だから、イヴォンが”貰ってあげた”のだ。
イヴォンが使っている部屋の鏡台にはアクセサリーがこれみよがしに並んでいる。彼女の給金ではとても手が届かないようなものばかり。
全てロレナが実母から引き継いだものである。
それら全て、イヴォンが時間をかけてロレナから”貰ってあげた”ものでもあった。
引き出しにしまっておくだけで身に付けもしなければ綺麗なアクセサリーケースに飾ることもしない。折角の高価なアクセサリーたちが可哀想でならなかった。
「……あんな娘に引き継がず、私らに分けてくればよかったのに」
そうすれば、イヴォンがロレナから貰う手間は省けた。まぁ分けられたら、他のメイドたちにも行き渡るから結果的には良かったのかも知れない。
真珠のブローチ。翡翠のネックレスにイヤリング。細工が美しい銀のブレスレット。
「ふふふ、綺麗だわ……これを全てつけていく場所がないことだけが残念ね」
イヴォンは平民の出で、高価なアクセサリーには縁がなかった。だからこそ憧れていたのだ。
これを誰かに見せびらかすことはできずとも、こうして身に付けているだけで満たされた気持ちになれる。
「このコたちもこうして誰かに身に付けてもらえることが喜びに違いない……」
「ンなわけねぇだろ、脳みそ腐ってんのか?」
どこからか、禍々しく乱暴な声が聞こえる。
次の瞬間、真珠のブローチから何かが飛び出し、イヴォンの胸を貫いた。
「…………え?」
ごぼ。と、口から血が出る。
鏡で自分の姿を見ると、ブローチの周りが真っ赤に染まっていた。
それが自分の血であると気付くのに、さして時間は掛からなかった。
「な゛ッ、……な゛、に……!?」
口から血がだらだらと溢れ出し、まともに喋れない。ひゅーひゅーと荒い呼吸を繰り返し、ブローチを掴む。
そして――鏡には信じられないものが映っていた。
手だ。
血塗れの手が、イヴォンの背中から生えている。
真珠のブローチから生えた手が、イヴォンの体を突き破って背中から生えているのだ。あまりのことにイヴォンはげほげほと咳き込み、血を撒き散らしながらブローチを外そうと藻掻く。しかし、手が生えているせいでビクともしなかった。
イヴォンの背中から生えている手は、まるで蛇のように伸び――イヴォンの腕を指さした。
「そのブレスレット、お前のじゃねぇよなぁ?」
どこからか声が聞こえる。その声には聞き覚えがあるはずなのに、禍々しく乱暴な声音のせいで誰の声か思い出せなかった。
「こ、れはっ……わ、わたし、のッ……!」
「他の人間から取っただろ? 勝手に。無断で。――そいつが大事にしてる、って知りながら」
「違う! あの娘が埃を被せておくから、私が貰ってあげただけ――……!」
「ああ!? ふざけてんのかお前! 盗人猛々しいなァ!?」
直後、イヴォンの手首から先が落ちた。血がブシャッと吹き出す。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「このイヤリングもお前のものじゃない」
それはまるで断罪の声――。
禍々しい声とともに、血塗れの手がイヴォンの耳を指す。
次の瞬間には、まるで果実が重みに耐えかねるように、両耳がボトンと落ちた。
「ヒギィッ……」
イヴォンの体はあっという間に血塗れになった。何故か倒れることもできず、自分の身に起きていることを鏡で見続けている。
「……なんでこれの持ち主が大事しながらも、埃を被せてたかわかるか?
クソ我儘で強欲な義妹が! 何でもかんでも欲しがるからだろうがッ! あいつの目につくところになんて置いておけなかったんだよ! だから隠してたのによぉ?! まさか規律正しいメイド長サマ窃盗を働くとは思いもしなかったよ! お前のせいでぜぇんぶなくなったじゃねぇか! この盗人ババァが!!」
罵倒の声が脳みそを揺らす。恐怖のあまりガチガチと歯を鳴らし、ぼろぼろと涙を零していた。
――持ち主、ロレナが大事にしていたのは、確かに知っていた。
けれど、宝の持ち腐れだと思ったのも事実。
「そのネックレスも、お前のものじゃない」
「ヒッ……」
残酷で冷たい声と、血塗れの手がイヴォンの首を指し示す。謝罪と命乞いをしようしたが、声にならなかった。
次の瞬間、ぐらりと世界が傾く。
もうない耳で自分の首が落ちる音を聞いた。
◇ ◇ ◇
ロレナはゆっくりと目を開ける。
小瓶を膝の上に置いてから、自分の右手を伸ばして、手を広げたり握ったりした。
「うーん……」
「どうかした? 楽しくなかった?」
「いいえ、楽しかったわ。ただ……」
ロレナの目は鏡であり、イヴォンが苦しむ一部始終を見ていた。求める臨場感はばっちりだ。
自ら手を下したいという気持ちから、言葉通り自分の右手を使った。真珠のブローチから生えたのはロレナの右手だったのだ。
「手に血がつくのがちょっと気持ち悪かったのよね……やけにリアルで……」
臨場感を求めるからこそ、実際の感覚も生々しい。まだ自分の右手にイヴォンの血がついているような感覚すらあった。
自分のイメージでどこまでリアルさを追求できるのか謎だったものの、現実と変わらないくらいの生々しさがある。もちろん、ロレナは他人の胸を素手で貫いたことなどないけれど。
隣にいるチャコは何とも言えない顔をしてロレナを見上げている。
「……ロレナ。意外に色々気にするね……」
「実際やってみたら気になった、ってだけよ。フィードバックも大切でしょう?」
「ふぃーどばっく??? えっと、そうかもね」
「でも血が出ないっていうのは……インパクトに欠けるわ……必須じゃないけど……」
小瓶をもう一度手にとって眺める。中に入っているクズ真珠が小さく光った。
臨場感を求めれば生々しい感触が気になり、そうでなければ相手にどれだけのダメージを与えたかどうかわからない。
「方向性とはしてはこんな感じなんだけど……ひょっとしたら、精神的にダメージを与える方向で考えた方が良いのかしら……」
「実験なんだから、色々試せば良いと思うよ。
それに精神的なダメージって言うなら、悪夢を見てるのがもうすごいダメージな気がするし」
チャコはどこまでも明るい。その上気楽だ。
まだメインディッシュが残っているし、そのために色々と試行錯誤をしている段階である。悪夢を見てるのが精神的ダメージ、というのも最もな意見だった。
「それもそうね。少しずつ改善して、私の納得する形に持っていくわ。
……明日、イヴォンはどうなってるのかしら。何かダメージを負っていてくれればいいんだけど」
「タチアナもああだったし、流石に何かあるんじゃないかなあ?」
「楽しみだね」とチャコが笑う。「そうね」と笑って頷き、小瓶をテーブルの上に置く。
欠伸を一つ漏らしてから、チャコと一緒にベッドに潜り込むのだった。




