16.悪夢の残滓
「……ナ。ロレナ、朝だよ」
むにむにと柔らかいものが頬に当たる。
深い睡魔からゆっくりと浮上し、ようやく目を開けることができた。眼前にはチャコのドアップがあり、更にチャコの前足が頬にぺたりと張り付いている。どうやら肉球をむにむにと押し付けられていたらしい。
ロレナは何度か瞬きをしてから、ゆっくりと起き上がった。
「お、はよう。チャコ」
「おはよー。ロレナ、さっきから扉の向こうでメイドが呼んでるよ。昨日の、タチアナ? とは別のメイドみたい」
「……わかったわ」
目は覚ましたが、頭がぼんやりする。覚醒しきってない。昨日夜遅くまで起きていたせいだろう。
カーテンがきっちり閉められているせいで朝日もろくに入らず、朝が来たことに気付かなかった。
メイドが入ってこないことを不思議に思いながら軽く頭を揺らす。控えめなノックの音と「ロレナお嬢様、お目覚めでしょうか? 朝でございます」という声が聞こえてきた。
「――入っていいわよ」
少し声を張り上げれば、戸惑いの後に「失礼いたします」という声が聞こえる。
恐る恐ると言った様子で扉が開き、若いメイドがおっかなびっくり入ってきた。小柄で明るい茶色の髪の毛をおさげにしている。緊張からか、表情が強張っていた。
「お、おはようございます。ロレナお嬢様……」
「ええ、おはよう。――タチアナはどうしたの?」
「そ、それが……」
ロレナの専属メイドはタチアナだ。一応。
なのに今朝来ないということは――笑いそうになるのを堪えながら、心配そうな顔をして「どうかしたの?」と先を促す。
若いメイドはおずおずと遠慮がちに話し出した。
「昨日酷く魘されてまして……今朝からずっと体調悪そうにしているんです。
その上、足が腫れており、歩くのもままならないので……メイド長から休養を命じられたそうです」
「まあっ……!!」
わざとらしいくらいの声を上げ、両手で口元を覆い隠す。笑っているのがバレないように。
(何かしら不調を来すことは期待していたけど……まさか体調を崩すなんて。しかも足が腫れてる?
……夢の影響が現実にもばっちり出てるってことかよ、最高だなぁ!)
足が腫れているということは夢の中でへし折ったことが原因だろう、間違いなく。
最初は夢のことを気にすれば良いと思っていたくらいだが、こんなにも影響するとは思わなかった。愉快な気持ちを隠しながら、あくまでも表面上は心配しているように見せる。
「そうなのね、タチアナにはゆっくり休むように伝えてちょうだい」
「は、はい、かしこまりました。……な、なので、タチアナさんの代わりは、わ、私が……」
彼女はビクビクしながら上目遣いになってロレナを見る。
おさげの若いメイド。あまり記憶にないので入ったばかりのメイドだろう。彼女に嫌がらせをされた記憶はなかった。新人だからとロレナの世話を押し付けられたに違いない。
少し落ち着いたロレナはゆっくりとベッドを降り、彼女へと近付いていく。彼女がロレナを恐れているのは伝わってくる。
新人とは言え、流石にロレナのことを知らないはずはない。
「わかったわ、よろしくね。えぇと、」
「コ、コニーと申します……」
「コニーね、改めてよろしくお願いするわ。
――じゃあ、喉が渇いたから水を持ってきて。その後、身支度を手伝ってちょうだい」
努めて優しく、穏やかに言う。ロレナだって何も知らない新人メイドを復讐に巻き込むつもりはないのだ。
コニーはどこかホッとした顔になって「はい!」と元気に返事をし、一度部屋を出ていった。
彼女の背中を見送り、目を細める。
(全員が辞めたりしたら困るもの。ちゃんとしたメイドは残しておきたいわ)
ロレナとて流石に屋敷の使用人全員に復讐をするつもりはない。
コニーのような新人、ロレナを虐げることから一歩を引いていた使用人だっているのだ。アデルとエルネスタに逆らえないなりに、関与しないように距離を取っていた使用人には目を瞑る予定だった。
タチアナやイヴォンのように、喜々として参加した連中には容赦しないが。
そんなことを考えながらもう一度ベッドに腰を下ろす。
すると、窓を何かがコンコンと叩いた。振り返ると、窓の外には小鳥が何かを咥えて、こちらを覗き込んでいる。不思議に思っているとチャコが窓際に飛び乗り、小鳥を見て笑った。
「リーネの魔法だね。手紙を持ってきたみたいだよ」
「そうなの? じゃあ確認しなきゃね」
なんだろうと不思議に思いながら窓を開ける。小鳥はパサパサと可愛らしく羽ばたき、ロレナの真上を旋回しながら、口に咥えていたものを落とす。それはただの羽だったが――ロレナが両手で受け止めると、ぽんっと音を立てて手紙に変わった。
驚いている間に小鳥は外に出て、傍にある木の枝の上で丸くなる。
目を白黒させながら、手紙を見ると「ロレナちゃんへ」と滑らかな文字が綴られていた。
ひらりとひっくり返してみると、蝋封の上にメッセージがある。
『一人の時にゆっくり見てね。急がないよ~』
笑うリーネの顔が浮かぶ。思わず頬がほころんだ。
「……後でゆっくり見ましょう」
言いながら室内にある文机の引き出しに入れておいた。
そして、タイミングよくコニーが水などを持って戻ってくる。
「お、お待たせいたしました。ロレナお嬢様」
「大丈夫、待ってないわ」
コニーを見つめて微笑んで見せれば、彼女はあからさまに安堵した様子を見せた。
首を吊って死んだはずの人間の世話なんて、普通に考えれば拒否したいはずだ。実際、コニーも拒否したに違いない。けれど、タチアナが体調を崩したことと、周囲から押し付けられたことが重なったのだろう。
今のところ、コニーに悪感情はない。――今のところは。
水を受け取り、それを飲む。
「冷たくて美味しいわ、ありがとう」
「い、いえ、とんでもございません」
「ところで……タチアナはそんなに具合が悪いのかしら?」
昨日届いたばかりのドレスを選ぶため、クローゼットに向かうコニーの背中に声をかける。コニーは慌てて振り返り、指先をくるくる回しながらもごもごと口を動かした。
「……は、はい。ベッドから起き上がれないようで……」
「そうなの……心配だから顔を見に行きたいのだけど、無理そうね。コニー、紫のドレスを出してもらえる?」
「は、はい! かしこまりました!」
そう言ってから窓際にいたチャコに目配せをする。チャコは少し驚いた顔をしたが、すぐにロレナの意図を察してすうっと窓をすり抜けて外に出ていってしまう。
昨日買った紫のドレスをコニーが用意しているのを眺めながらタチアナが今どんな状態でいるのか胸を弾ませた。
コニーは新人メイドらしく手際が悪く、シトロン子爵家にいたシャナには比べ物にならない。けれど、これまでよりはゆったりとした気持ちで身支度を任せることができた。
コニーに向かって「ありがとう。丁寧な仕事ね」と微笑めば、彼女は気恥ずかしそうに頬を染める。
その様子を見て(チョロいな)と心の中で笑うのだった。




