12.馬鹿は死んで治すもの
「だって、あれじゃ私の復讐だってわからないじゃない? ただ怖い夢を見ただけになっちゃうわ。
それに……この鏡も、悪くないんだけど臨場感が足りないの。もっと近くで苦しむ姿が見たいのよ」
言いながら、タチアナが置いていったお茶を飲む。さっきの光景を思い出して溜息をついた。
隣ではチャコがごろんごろんと体を動かしながら「うーん」と悩んでいる。その様子は猫そのもので、思わず笑みが浮かんだ。
「夢の中に入りたいってこと?」
「ええ、簡単に言えばそうね」
「君が望めば入れると思うけど、バレちゃうんじゃないかな。君が悪夢を見せてる、って」
「そこなのよね……」
カップを静かにテーブルの上に置き、肩を落とす。
ロレナが悪夢を見せている。すなわち、魔女だとバレる恐れがあるということ。
現在では魔女がお伽噺の中にしか存在しないとしても、軽率な行動は控えるべきだろう。リーネも普通の子爵令嬢として振る舞っているし、魔女を知っているエリオスもその存在を匂わせるような言動は一切しなかった。
(……そう言えば、エリオス様はどうして魔女のことを知っているのかしら? 信用はしてもいいのでしょうけど、不思議な存在だわ。いずれ教えてくれれば安心できるのだけど……)
頬に手を当てて小さく息をつく。チャコが不思議そうにロレナを見上げていた。
(今は余計なことは考えないでおこう。とにかく、やる気が漲っているうちに復讐よ、復讐)
――復讐。
アデルやエルネスタ、ベルトラン、テオドールの顔が恐怖や屈辱に歪むことを想像するだけで胸が弾む。
どんな目に遭わせてやろうかと考えるだけでときめき、頬が赤くなる。まるで恋する少女のように。
「ひとまず、今夜にでも夢に入れるかどうか実験してみるわ。タチアナで。
それで私が求める臨場感は楽しめるだろうし……どんな風に悪夢を見せるかは、ちょっと考えなきゃね。
チャコも何か面白そうな案を思いついたら教えてね」
「うん、わかった」
「じゃあ、夜まではまだ時間があるから出かけましょう」
「え? どこへ?」
お茶を飲み干して立ち上がるロレナ。チャコが不思議そうに首を傾げる。
チャコを見下ろして、そっと胸に手を当てた。
「今の私にはこれしかドレスがないのよ。エリオス様とリーネさんが用意してくれたこれしかね。
部屋にあったものはボロボロにされてしまったし……“家族思いの優しいお父様”なら、娘の私のドレスを買うことくらい何でもないはずよ」
そう言ってロレナは令嬢らしく優雅に微笑んだ。
自分でも驚くほど大胆になっていると感じる。以前であれば、今着ている一着だけで何とかしようと考えたはずだ。けれど、今ではそんな気持ちは一切沸かない。
それどころか「なんで我慢なんかしなきゃいけないの?」と思っている。
思わずロレナはクスクスと笑う。チャコを抱き上げて、ぎゅっと抱き締めた。
「ロレナ? どうかした?」
「ううん、我慢してる自分が馬鹿みたいだと思っただけよ。馬鹿って、死ねば治るのね」
馬鹿とは死ぬ前の自分のことだ。
我慢なんて何の役にも立たなかった。もっと好きに生きるべきだった。
死んで魔女として生き返ったチャンスを――絶対に無駄にはしない。
腕の中のチャコを抱きしめながら、堅く心に誓うのだった。
「なんか決意を新たにした感じ?」
「ええ、そんなところよ」
「ふふふ、よかった。君が何を成すのか、僕は楽しみにしてるからね。
じゃあ、僕は外で待ってるよ。なんか黒猫の姿だと不吉って言われるからね~」
「まあ、ひどい。私にとっては幸運の黒猫なのに。……じゃあ、また後で」
「うんっ」
そう言ってチャコはロレナの腕から降りて客室を出ていってしまった。その姿を見送ってからロレナも客室を後にした。
(……あ。出かける前にアデルの部屋に行ってみよう)
体調不良などと言って部屋に戻ったアデルが一体何を思っているのか知りたくなった。
口元に微笑みを湛えながらゲストハウスから屋敷へと戻る。途中で出会う使用人たちはロレナの姿に驚いて、ささっと道を開けた。
途中でメイド長であるイヴォンに出会う。
イヴォンはロレナの顔を見るや否や、ヒクッと顔を引き攣らせた。それでも無理矢理に笑顔を作り、ロレナを見つめる。
「ロ、ロレナお嬢様。ど、どちらへ……?」
「馬車を回して。部屋に泥棒が入ってドレスがなくなったから買いに行くわ」
「それはッ……。い、いえ、すぐに手配いたします……」
イヴォンはロレナの私物を漁った主犯だろう。今もまさに母の形見である真珠のブローチを胸元につけている。彼女はこれがロレナのものであるという事実を忘れているのではないだろうか。
真珠のブローチを冷ややかな目で見ると、イヴォンが慌ててブローチを手で隠す。
彼女や他の使用人たちはロレナから何かを奪うことを何とも思っていない。当たり前だと思っているフシすらあった。
けれど、今は状況が変わっている。
屋敷内の人間全てがロレナを不気味に思い、恐れている。
首を吊って死んだはずの、階段から落としたはずの人間が――何事もなかったかのように動き回っているのだから。
(以前のようにこいつらに良いようにされるのは絶対に嫌……。
再び調子に乗る前に釘も刺しておきたいわ……どうするかも考えないと……)
そんなことを考えながらイヴォンの隣をすり抜けて、アデルの部屋がある階段を登る。
「っ、買い物に行かれるのでは?!」
「その前にアデルの様子を見てくるわ。可愛い義妹が体調を崩したのよ? 心配するのは家族として当然でしょう?」
「お、お待ちください――!!」
イヴォンが慌てて追ってくるが、ロレナはずんずんと階段を上がっていく。
ロレナが産まれる前からシュタールベルク家に仕えているイヴォンはもう既に高齢の域に達している。軽々と階段を上がっていくロレナには到底追いつけなかった。
日当たりの良い三階の部屋――。それがアデルの部屋だった。
ロレナは心配そうな顔を作り、コンコンと控えめに扉をノックする。少し待つと、扉の内側に何かがぶつかる音がした。
「ほっといてって言ってるでしょぉ!?」
「……アデル? 私よ。体調は大丈夫?」
「ヒッ、お、おねぇ、さま……!?」
「ええ、私よ――」
知らず知らずのうちにその声は低くなってしまった。それでいて、声自体が毒のような禍々しさを持つ。
部屋の中から小さな悲鳴が聞こえてきた。
(……あら。声に魔力が乗っちゃったみたいだわ。なるほど、相手だけに聞かせたり響かせることもできるのね。
でも、これは風魔法の類だわ……うっかり使わないように気をつけましょう……)
コホンとロレナは咳払いをする。どうしても魔力が感情に反応してしまうようだ。コントロールもきちんと身に付けねばと思いながら、あくまでも”妹の心配をする姉”のふりをする。
「ねえ、体調が悪いところを申し訳ないのだけど……テオドール様のことはお話してくれたのかしら?」
返事はない。ロレナは続ける。
「あなたとテオドール様が愛し合ってしまったのはしょうがないことだわ。
でも、家族に対しては誠実であってちょうだい。私に打ち明けてくれたように……。
世間には不義とされてしまうかもしれないけど、真心を尽くせばきっとノルニア様もきっとお許しくださるわ」
ロレナはエリオスと共に帰ったことを最大限利用した。教義や女神ノルニアのことを出せば、流石のアデルも無視はできないだろう。滑稽な話だが、アレで本人は信仰心が篤いつもりなのだ。ロレナが彼女の中では、家族ではないという話。
引き続き返事はないが、ロレナは扉の前でじっとする。
自分の言葉に笑ってしまいそうになるのを堪えているためである。
(まぁ、仮にノルニア様がお許しになっても私は許さねぇけどなぁ?!
ゴミビッチ、ナルシスクズには私がしぃっかり制裁してやるよ。ピィピィ泣いて待ってな)
ゆっくりと息を吸い込み、静かに吐き出す。きっと後ろにいるイヴォンには溜息に聞こえたことだろう。
静かに振り返り、ちょっとだけ悲しそうな顔を作る。
「アデルは本当に体調が悪いみたいね。……イヴォン、しっかり看病してあげてね。じゃ、私は買い物に行ってくるわ」
あくまでも義妹を心配する姉のふりを続ける。これまでのことなど何もなかったかのように。
イヴォンは「かしこまりました」と言い、軽やかに歩き出すロレナを見送った。




