11.悪夢のデモンストレーション
『いーい? ロレナちゃん。料理だって前菜から順に出てくるでしょ?
何がどこまでできるのか、前菜っていうか……雑魚で実験しながらメインディッシュをどう料理するか決めた方がいいよぉ』
馬車の中のリーネの言葉を思い出す。
今になって思えば、あのアドバイスは最もである。ロレナは魔女となった自分に何ができるのかを理解していない。シトロン家では無自覚なままにシャナに悪夢を見せてしまったようだが――彼女がどんな悪夢を見たのかまではわからないのだ。
恐る恐る室内に入ってくるタチアナを見て、まずは彼女をターゲットにすることにした。
「ほ、本日のお茶は林檎のフレーバーティーでございます……」
タチアナの手はカタカタと震えている。それはもう無様なほどに。
手の震えはカップとソーサーにも伝わり、辛うじてカップの中身は溢れなかったが、カシャンと耳障りな音を立てた。
ロレナは口の端を持ち上げ、満足げに笑う。
「随分緊張しているようだけど、どうかしたの? 何かあったのかしら?」
「っ、い、いえ……な、何でも、ござい、ません……」
青褪め、小刻みに震えるタチアナを見つめながら、再度リーネとエリオスの言葉を思い出す。
『自分が死んだ、ってことはロレナちゃんの口からは言わない方がいいと思うな~』
『賛成。生き返ったなんて情報は相手に与えない方がいい。
”家族の自殺”なんて、シュタールベルク侯爵は隠したいはずだ。君が何事もなかったかのように振る舞えば周囲も乗っかってくるよ』
『悪い夢だったってことにしておけば……ロレナちゃんもやりやすいはずだよ』
二人の言う通りだった。二人の言葉がなかったら馬鹿正直に「生き返った」と言っていた気がする。
強制催眠に夢を操る能力――それらを考えれば、リーネの言葉通り『悪い夢だったということにする』のは好都合だ。
心の中で二人に感謝しながら、ティーカップをそっと持ち上げた。
(香りも普通。熱すぎず、温すぎず……流石に以前のような嫌がらせはしてこないわね)
腐ったような匂いや異臭はしない。そっと口をつけてみても違和感はなかった。ごくごく普通のフレーバーティーだ。
(……まぁ、シトロン家で頂いたお茶の方が何倍も美味しかったけどね。
侯爵家の使用人の質が子爵家に劣るなんて……とんだお笑い草だわ)
お茶を一口飲んで、カップをソーサーに戻した。ロレナの動作をつぶさに観察していたタチアナが肩を震わせる。
「な、何か……お気に召しませんでしたか?」
「あら、どうしてそう思うの?」
「……い、いいえ。何でも、ありません……」
タチアナが顔を伏せる。まるで耐えられないと言わんばかりに。
ロレナは静かにカップをテーブルに戻し、タチアナに向かってそっと手を翳してみた。
次の瞬間。
タチアナの体が、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちてしまった。
「……チャコ。これで合ってる? 強制催眠とやらは」
「うん、ばっちり寝てるよ」
「シャナは勝手に悪夢を見たようだけど……今、この子は眠ってるだけよね。悪夢を見せるにはどうしたらいいのかしら」
「見せたい夢を送り込めばいいんだよ」
「夢を、送り込む……?」
チャコはソファで尻尾を揺らしながら気軽に答えるが、いまいちピンと来なかった。
ロレナはその場で腕組みをし、うーんうーんと悩む。リーネの言っていた『実験』という言葉を思い出し、とりあえず思いついたようにやってみることにした。
膝の上に頬杖をつき、足元に倒れ込んでいるタチアナを愉悦混じりに見下ろす。
「……タチアナ。今あなたは暗い屋敷の中、大きな猛獣に追いかけられているわ。一緒に逃げているメイドたちが一人、また一人と食い殺されていくの。ねえ、あなたはどこまで逃げ切れるかしら……?」
ピクッとタチアナの指先が動き、表情が苦悶に歪む。ピクピクと手足が痙攣した。
「いやっ、いや……! こ、こないで……!」
タチアナの唇が動いた。どうやら夢を見始めたらしい。
しかし――。
「チャコ、これだと私はタチアナがどんな夢を見てるのかわからないわよね……」
「じゃあ、あの鏡を使ってみよう」
「鏡?」
チャコがソファから降り、ぴょんぴょんと身軽に移動していく。向かった先には置き型タイプの鏡があった。チャコは楕円形の鏡に尻尾をぐるりと巻き付けて、器用に運んでくる。そしてテーブルの上にゆっくりと下ろした。
鏡を前足でチョンチョンと突っつき、ロレナを見る。
「この鏡に夢が映るようにすればいい」
「もう、簡単に言って……私はまだ初心者なのよ?」
チャコが「あはは」と楽しそうに笑う。ロレナならできると言わんばかりの笑い方だった。
こんな風に無条件に誰かに信じてもらえるのは久々だったので、不思議と気分が良い。
ロレナは鏡面に手を当てる。
(……そう、そうね。監視カメラのようなイメージで……って、かんしかめら???)
ふっと脳裏に浮かんだもののイメージを鏡に重ねる。だが、自分で思いついたはずなのに、”監視カメラ”というものを知らない。なのに、覚えのある感覚が不思議だった。
きっと前世の影響だろう。イメージが簡単にできることに感謝しつつ鏡から手を離した。
「上手くいったみたいだよ」
「あら、本当。……っふふ、あらまぁ、必死に逃げちゃって……」
鏡の中には、タチアナが泣きながら必死に走っている姿が映し出される。
黒く大きな獣に追いかけられているのだ。獣の足元には食い荒らされたメイドの死体が無数に転がっていた。廊下を走るタチアナは慌てて部屋に駆け込み、扉を閉める。一緒に逃げていたメイドの一人があと一歩のところで部屋を締め出されてしまった。
『タ、タチアナ! 開けて、開けてよぉッッ!!』
『嫌よ! 今開けたらあの化物が入って来るでしょ?!』
『タチアナ、タチアナァァァァァ!!!! イヤァァァア!!! ッア゛ァ゛ァ゛ァ゛! 痛い、痛いぃぃぃ!!』
残されたメイドの絶叫と、獣に喰われる音が響く。メイドの骨が砕ける音、肉が裂かれ血が吹き出す音が――紅茶の甘い香りと混ざり合った。ロレナは鏡を見て「あらあら」と笑いながら頬を押さえる。
タチアナは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、椅子やテーブル、とにかく近くにあるものを扉に立てかけていった。扉の隙間からは喰われたメイドの血が染み込んでいる。
ドン! ドン! と獣が扉に体当たりする音がした。タチアナはガチガチと歯を鳴らしながら、必死に扉を押さえる。
『助けて……!』
(……さっきのメイドを助けなかったのに、自分は助けを求めるのかよ。救われねぇな)
タチアナの自己中っぷりに思わず溜息をついてしまった。
ロレナは肩を竦めながら、タチアナの肩に触れる。――すると、タチアナがハッと目を覚ました。額には汗が浮いている。
「あ、あれ? ……あ、あたし……」
「タチアナ、大丈夫? 急に倒れ込むからびっくりしたのよ」
ロレナは努めて優しく声をかける。鏡に映っていたタチアナの悪夢は既に消えている。
タチアナは胸を押さえて、ガクガクと震えている。さっきの悪夢はよほど恐ろしかったらしい。
「気分が悪いなら休んでいた方がいいんじゃないかしら。もう下がっていいわよ」
「は、はい……あの、ありが、とうござい、ます……」
タチアナはふらふらと立ち上がる。心ここにあらずと言った様子でゆっくりと歩き始めた。足取りは覚束なく、今にも転んでしまいそうだ。
ロレナはその様子を観察するつもりでじっと見つめた。
顔面蒼白。足元は覚束ない。夢の内容を現実でも引き摺っているように見える。
タチアナは「では、失礼します」と言って客室を後にした。
隣にチャコがぴょんっと乗ってきて、楽しそうにロレナを見上げた。
「よかったね、ロレナ。上手くいって」
「いいえ、イマイチよ。あんなんじゃダメだわ」
きっぱりはっきり言うと、チャコが目を丸くする。
「どうして?」と聞きたそうなチャコを見下ろし、いたずらっぽく笑ってみせた。




