10.客室の魔女はゆっくり動き出す
バタン。
背後で扉の閉まる音がやけに響く。
ベルトランとともに屋敷に戻ったロレナを、その場にいる全員が化物を見る目で凝視している。
(……こういう視線を向けられるのは初めてだわ。みんな、私が怖いのね。
――悪くないわ)
昨夜、首を吊るまでずっとロレナのことを蔑んでいた人たちが、今では恐怖に満ちた視線を向けているのだ。愉快に思わないわけがない。
ロレナはにっこりと笑い、その場にいる人間たちに向かって軽く礼をした。
「ご心配をおかけしました。私は見ての通り元気ですわ。……お父様」
ゆったりとした口調で言いながら改めて父親を見る。ベルトランは挙動不審だった。
「っ……な、なんだ?」
「リーネ嬢から頂いたワインはお好きになさってください。
お気に召したら追加でいただけないか、”私”がリーネ嬢に聞いてみますわ」
ベルトランは引き攣った顔で「ははは」と乾いた笑いを浮かべた。
父親の様子をにこやかに見守った後、ゆっくりと歩き出す。ロレナが歩き出すと使用人たちが一様にビクッと肩を震わせ、ざぁっと道を開けた。
「疲れましたので少し休ませていただきます」
「ロ、ロレナ!」
「? 何か?」
ベルトランに名を呼ばれ、立ち止まって振り返る。先ほどからずっと焦った様子である。無理もないが。
「部屋に、戻るのか……?」
「ええ。他にどこで休むと言うのでしょうか。――では」
部屋に入れたくなさそうな様子だ。これは何かあると感じ、ロレナは笑いながら踵を返した。
ベルトランが「ロレナ!」と声をかけるのも無視して、自室へと急ぐ。
自室。
昨夜、ロレナが首を吊った部屋――。
普通なら昨夜のままのはずだ。――普通なら。
「あら、まぁ」
扉を開けて中を見るなり、間の抜けた声を上げてしまう。
部屋の中は、まるで泥棒にでも入られたように荒らされていた。
何もないはずの部屋はひっくり返され、僅かな衣類や私物があちこちに散乱している。唯一外に着ていけるドレスすらも、踏み荒らされてボロボロだった。
(大方使用人たちが金目のものを漁ったんでしょう。馬鹿ね、そんなものあるはずがないのに)
ロレナが何も持ってないことは屋敷にいる人間なら誰だって知っている。にも関わらずこんな風に荒らされるとは思わなかった。
死してなおこんな扱いだったことに、今更ながら笑ってしまう。
クスクス笑いながら振り返ると、ロレナを追ってきたベルトランや使用人たちは恐怖の視線でこちらを見ていた。
「泥棒にでも入られたのでしょうか。私の部屋を狙うなんて随分と間抜けな泥棒ですが……。
こんな状態では休めませんので、客室を使わせていただきます。
いいですよね? お父様」
有無を言わせぬ口調で言えば、ベルトランが微かに震えながら無言で頷いた。
ロレナは自室の扉を開け放ったまま方向転換をして客室へと向かう。歴史ある侯爵家のため家族が住む屋敷の他に、ゲストハウスがあるのだ。ゲストハウスは屋敷と廊下一本で繋がっているだけなので好都合だった。
それに、ロレナの部屋とは違って定期的な清掃が行き届いている部屋でもある。
ロレナを恐れて道を作る使用人たちの間を歩き、途中でピタリと足を止めた。
そこには”一応”ロレナの専属メイドであるタチアナがいる。茶髪のくせ毛、そばかすが印象的な活発そうな少女だ。昔は世話役の侍女がいたが、エルネスタに外されてしまった。
「タチアナ、後でお茶を持ってきてくれる?」
「へっ?! な、なんで、あたし――……い、いえ、か、かしこまりました」
タチアナは顔を引き攣らせ、慌ててコクコクと首を縦に振った。
――死ぬ前のロレナであればメイドに何か命令をするということはなかった。というか、言っても聞いてくれた試しがないので諦めていたのだ。だから、自分のことは自分でやっていた。
しかし、もう死ぬ前のロレナではない。
一度死んでいるのだ。怖いものなど何もなかった。
ふと、周囲を見回したところで例の二人がいないことに気付く。
「あら? そう言えばアデルとお義母様は?」
「……き、気分が優れないと言って部屋に戻られました……」
タチアナのおどおどした受け答えに、すう、と目を細める。
「――そう。お大事に、と伝えて」
「か、かしこまりました……」
もっと傍であの二人の顔を見てやろうと思ったのに、残念だった。
今、アデルとエルネスタは何を思っているのだろう。死んだはずのロレナに恐怖を抱いているのか、はたまた別のことを考えているのか――。
(まぁ、時間はたっぷりあるもの。しばらく様子を見てもいいわ。
……あのゴミカスどもをどうやって地獄に落とすか、考える時間も欲しいもの)
客室に向かいながら、口の端を持ち上げるロレナ。
――進む先には誰もいなかったため、その歪んだ笑みを見たものはいない。
◇ ◇ ◇
「ロレナー、おかえり! おつかれ~!」
「……もう、チャコったら。姿が見えないと思ったら……!」
客室に入ると、大きなソファの上でチャコが寛いでいた。まるで自分専用と言わんばかりの寛ぎっぷりである。
テーブルを挟んで同じサイズのソファが二つ。片方をチャコに譲り、ロレナはもう片方のソファにゆっくりと腰掛けた。
窓が多く、明るい室内はまるで光を集めるような作りになっている。調度品も品の良いものが飾られており、ベッドもロレナの部屋にあるものとは比べ物にならないほど大きくフカフカである。
広すぎて少々落ち着かないが、もう自室に戻るつもりはなかった。
「ロレナ、結界を張ってみてよ。ほら、リーネが使っていたみたいな防音結界」
「えっ? 私にできるかしら……」
「大丈夫、できるよ。魔法で重要なのはイメージさ」
「イメージ……」
「そうそう。薄い魔力の膜がこの部屋全体を覆うイメージ。内側の音を通さない、防音の魔法……」
チャコは歌うようにイメージを口にする。
ロレナはチャコの言葉を反芻しながら、自分の中にある魔力を放つ。
魔力が部屋の中いっぱいに膨らみ、室内の音だけを通さない薄い膜になるイメージ――。
程なくして、リーネが張ったものと同等の防音結界が完成した。
「上手上手! さっすが僕のロレナ! この調子で魔法を極めて行こうね」
「馬車の中でリーネさんから色々聞いたけど、魔女の魔法は本当に何でもできるの?」
「もちろんさ! 魔法ってただの人間が使う上ではかなり制約が大きいけど、魔女には制約がないからね!」
チャコはウキウキと楽しそうに答えた。ロレナは腕組みをして、チャコをじっと見つめる。
「リーネさんも言ってたけど、制約って何なの?」
「うーーーん……器の違い、かな?
人間の器がコップだとしたら、魔女の器は噴水? いや、小さいな、湖とか川?
人間がやろうとしたら魔力暴走で死に至るようなことすら魔女は簡単にできてしまうんだ」
「そ、そんなに違うの……」
「ぜんぜん違う。ああ、あとは人間が使う魔法は属性を分けてるけど、魔女には必要がない。言ってしまえば全属性使える」
属性というのは火、水、風、土の四属性のことだ。魔力を持つ人間はいずれかに分けられ、属性に応じた魔法の使い方を学ぶ。
ロレナの属性は水だった。簡単な癒しと、水操作ができる程度の力である。
「とにかく本当に何でもできるってこと。
まぁ、リーネが言っていたみたいに魔女だってバレないようにだけ気をつけてね」
「それは――……ええ、わかっているわ」
神妙に頷く。
終始ヘラヘラしていたリーネが、唯一真面目な顔をした話題。
周囲に魔女だとバレないようにすること。
それは数百年前の魔女狩りが原因だった。
今でこそ魔女はお伽噺の中の存在とされているが、昔は人間と共存していたらしい。しかし、強大な魔力と、固有の特殊魔法を有しているが故に、人間たちに迫害され、捉えられ、殺されたり実験された過去があるのだ。
その話題には思わず寒気が走った。
『万が一バレてもフォローできるような体制は作ってるけど……バレないのが一番だからね~。
魔法使う時は気をつけてよぉ? ロレナちゃん、水属性? じゃあ、人前では水属性魔法っぽいことだけしてね~』
リーネの言葉を思い出す。普通の人間として振る舞え、ということだ。エリオスも彼女の言葉に同調していた。
チャコも念押しするということは重要なことに間違いはない。
気をつけねば――と自戒したところで、控えめなノックの音が届く。扉越しにタチアナの声がした。
「お、お嬢様、お茶をお持ちしました」
「――入っていいわよ」
(さて、タチアナがどんな行動をするかもしっかり見ておかないとね……ふふふ)
自分の存在に恐れをなして普通にお茶を用意したのか。
はたまた、これまで通り嫌がらせをしてくるのか。
――以前なら憂鬱だったはずなのに、ロレナは完全に状況を楽しんでいた。




