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薔薇の学舎ロザリウム  作者: 愛庵苦労


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8/10

くちびるに触れない約束― カールとオリアナのその後 ―

ロザリウム学舎の鐘が、休日の朝を告げる。

普段なら訓練場へ向かうカールだが、今日は違った。


(……あいつと市へ行く約束をしたんだったな)


“あいつ”とは、魔術科の少女オリアナ。

図書塔で勉強を教えてもらうようになってから、

彼女と過ごす時間が自然と増えていた。


カールは胸の奥に、

訓練とは違う種類の緊張を抱えながら寮を出た。


「カール、おはよう」


待ち合わせ場所にいたオリアナは、

淡い紫のワンピースに身を包み、

いつもより少しだけ髪を整えていた。


「……おはよう。今日は、その……似合ってる」


「えっ……ありがとう」


オリアナの頬がわずかに赤く染まる。

カールは自分の言葉が思った以上に直球だったことに気づき、

少しだけ視線を逸らした。


二人は並んで歩き出す。

春の風が、街道の草花を揺らしていた。


「カール、休日に市へ行くのは初めて?」


「ああ。訓練ばかりだったからな」


「ふふ、あなたらしいわね。

 でも今日は、少しだけ気を抜いていいのよ」


「……努力する」


オリアナはくすっと笑った。

その笑い声は、カールの胸を不思議と軽くした。


王都の市は、休日とあって賑わっていた。

露店の呼び声、焼き菓子の甘い香り、

楽器を奏でる旅芸人の音色。


「わぁ……今日は人が多いわね」


「迷うなよ。手、つなぐか?」


「えっ……!」


カールは自分でも驚くほど自然に言っていた。

オリアナは一瞬固まったが、

やがて小さく頷き、そっと手を差し出した。


「……お願い」


カールはその手を握る。

細くて、温かい手だった。


(こんなに柔らかいのか……)


訓練で鍛えた自分の手とは違う。

その違いが、妙に胸に響いた。


市の奥にある古書店。

魔術書を扱うことで有名な店だ。


「ここよ。新しい魔術書が入るって聞いたの」


オリアナは目を輝かせて店に入る。

カールはその後ろ姿を見て、

(本当に魔術が好きなんだな)と微笑ましく思った。


「カール、これ見て。

 初級魔術の応用編なんだけど、あなたにも役立つわ」


「そうか。……ありがとう」


「あなたのために選んだのよ?」


「……そうか」


カールは本を受け取りながら、

胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


(俺のために……か)


そんなふうに誰かが自分を気にかけてくれるのは、

いつ以来だろう。


昼時になり、二人は市の外れにある小さな食堂へ入った。

木のテーブルと暖炉のある、落ち着いた店だ。


「カール、何にする?」


「お前と同じでいい」


「えっ……じゃあ、シチューにしましょう」


料理が運ばれてくると、

オリアナはスプーンを手に取りながら言った。


「ねえ、カール。

 あなたって、意外と甘いもの好きよね?」


「……なんで知ってる」


「図書塔で、蜂蜜入りの紅茶を飲んでたでしょう?」


「見てたのか」


「ええ。かわいかったわよ?」


「かわ……っ!?」


カールは思わずむせた。

オリアナは慌てて水を差し出す。


「ご、ごめんなさい! からかっただけなの!」


「……からかうな」


「ふふ、ごめんなさい。でも……嬉しかったのよ。

 あなたが、私の前で少しずつ表情を見せてくれるのが」


カールは言葉を失った。

胸の奥が、静かに熱くなる。


(……こいつは、本当に)


夕暮れが近づき、二人は学園へ戻る道を歩いていた。


「今日は楽しかったわ。

 あなたと一緒にいると、時間が早く感じるの」


「……俺もだ」


オリアナは驚いたように目を見開き、

やがて柔らかく微笑んだ。


「カール。

 あなたがそう言ってくれるなんて、嬉しい」


風が吹き、オリアナの髪が揺れる。

その一瞬、カールは思った。


(……触れたい)


けれど、彼は拳を握りしめた。


(まだ早い。

 こいつを困らせたくない)


オリアナはそんなカールの迷いに気づいたように、

そっと言った。


「カール。

 急がなくていいのよ。

 あなたのペースで……ゆっくりでいい」


その言葉に、カールの胸が強く締めつけられた。


「……ああ。

 ゆっくりでいいなら……俺は、ちゃんと向き合う」


オリアナは嬉しそうに頷いた。


「ええ。待ってるわ」


二人の手が、自然と触れ合う。

指先が重なり、やがてそっと絡まった。


それは、

唇に触れるよりもずっと優しい、

二人だけの約束だった。


学園の門が見えてきたころ、

オリアナがふと立ち止まった。


「カール。

 今日はありがとう。

 また……一緒に出かけましょうね」


「ああ。……次は俺が誘う」


「楽しみにしてるわ」


夕暮れの光が二人を照らす。

その距離は、もう友達以上だった。


けれど――

まだ唇には触れない。


それは、

焦らずに育てていくための、

二人だけの静かな約束だった。

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