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32 秋の〆月 10 その翌日2

 支度が整う頃、控えめにドアがノックされました。


「イングラムだ。いいだろうか」


 王太子殿下がいくら婚約者とはいえ、客間に直接お出でになるとかどうなんですそこのところ!?

 わたくしはちらり、とエステルを見ます。

 エステルは最後の仕上げとばかりにロータスの香水を振りかけました。


「準備整いましてございます。お嬢様。殿下をお招きしてよろしいですか?」

「ええ、お願い」


 化粧台のチェアから立ち上がって、少しスカートの裾を払って整えて。

 背筋を延ばしてドアを見つめると、オルトがドア前へ。


「只今お開けいたします」


 告げてから、恭しくドアを開きました。夜会の盛装ではなく、会談用の正装といった趣のイングラム王太子殿下は、シックな装いにも関わらず、顔面兵器の美しさを存分に発揮しておられます。むしろ、その美しさを際立たせるためのシックな正装なのでしょうか。これだから乙女ゲームのメインヒーローは。

 一応ドレスと宝石で着飾っておりますが隣に立つとわたくしも添え物ですわね。昨夜も少し思いました。どうしてもモブなのですわたくしは!


「プリム嬢、支度はすんだかな。迎えに来たんだが」

「ごきげんよう、イングラム王太子殿下。はい。滞りなく。お迎えに来ていただけるとは思いもせず、お通しに手間取りまして申し訳ございません」


 微笑んで頷いて、謝辞を申し上げてから深くカーテシーをいたします。

 粘り腰、健在です。

 視線を戻しますと、イングラム王太子殿下が薄く微笑んでおられました。いつもの微笑みですが、口角上がり気味です。


「良く似合っている。わたしという枝に咲く花として、わたしと共に来てくれるね?」


 うわぁ。褒め言葉マナーにエスコートのお誘いも重ねてくるとか流石の一言です。素面で言われたら震えそうですが、顔が良いって凄いですわね。それともあばたもえくぼの恋心でしょうか。胸がきゅんとしてしまいます。


「喜んで、殿下。殿下という大樹に支えられるなら、花も強く咲きましょう」


 差し出された手を取って答えますと、イングラム王太子殿下が少し目を見張ってから、とろり、と微笑まれました。

 うわあああああああああ。

 イケメン!

 だめ!

 眩しい!

 思わず目を逸らしてしまいます。

 これは兵器ですよ、兵器。


「プリム嬢?」

「す、すみません。殿下があまりに麗しく、直視できません」


 拒絶ではないことを伝えるため手をきゅっと握りつつお応えしますと、殿下がもう一方の手を添えてこられます。


「嬉しいことを言ってくれる。会談は応接の広間だが、着くまでには落ち着いてくれ。それまでは、君を堪能させて貰おう」


 殿下何か吹っ切れましたか!?

 後ろに続くのはセマニ様、ラーシュ様、お兄様。

 ご三方、朝早くからご苦労様ですが、殿下を止めてくださりは……しませんか。お兄様は心なしかつやつやしておられますね。メアリー様と上手く行かれましたの? ちょっと、そこ詳しくお願いいたします。


 そして。

 さらにその後ろに。


「ムジーク様」


 まさかの。

 ムジーク様がお出でだったのです。


「ジンカイイ令嬢、婚約がなったと聞いた。悔しいが俺はここまでだ」


 穏やかに目を細められるのは、出会ったときの鋭い眼差しとは正反対です。

 思えば、ムジーク様との関係も大夜会と、その翌日の会談からでございました。わたくしは改めて、ムジーク様に一礼いたします。


「祝福、ありがとう存じます、ムジーク様」

「ああ。まあ、ついでだ。面倒な女の気配がしたから城に来たらそのまま連れてこられたからな」


 ムジーク様は今度は心底面倒くさそうに仰いました。

 面倒な、女?


「今日の会談にはムジーク殿にも同席して貰うことにした」


 応えて、イングラム王太子殿下が仰いました。

 その文脈ですと、チェスカ様が面倒、ということになりますが。

 あと、ムジーク様が感じる面倒な女の気配って、


「どういうことですか?」


 思わず呟きますと、ムジーク様とイングラム王太子殿下が目を見合わせてから、肩を竦められました。


「行きましょう。お待たせしても面倒です」


 とにかく面倒らしいですわね。

 セマニ様に促されて、イングラム王太子殿下と愉快ななかまたち、もとい、わたくし含めた一団は、応接の部屋へ向かいました。


 そう言えば昨夜はムジーク様を見掛けませんでした。招待されないことは──おそらく──ないと思うのですが、なにかご事情がおありなのでしょう。

 応接の部屋の入り口には衛兵が立っていて、イングラム王太子殿下を見付けると深く頭を下げながら、観音開きのドアを開きました。


 昨年、ムジーク様とお話しした部屋と同じお部屋です。


 ドアを潜ると眼前に大きなテーブル、左の壁面に国章が刺繍された大きなタペストリー。右手、タペストリーを眺める位置の席にチェスカ様がお掛けでらっしゃり、その後ろに三名の、あの侍女たち。

 イングラム王太子殿下がゆったりとした足取りでタペストリーを背にする席へ向かわれます。続いてわたくし、そして、ムジーク様。

 ムジーク様がイングラム王太子殿下の背を通り越して反対側へ、わたくしはその向かい。コの字型に立ちました。

 チェスカ様の侍女が、彼女の椅子を引いて、立ち上がりを補助します。

 チェスカ様がゆったりと立ち上がりました。まるで、この部屋の主はチェスカ様であるかのように。

 この場で高位にあたるのは、わたくしの主観ではイングラム王太子殿下でらっしゃいますが、果たして、チェスカ様はどうお考えでしょうか。

 わたくしはこの場では最下っ端ですから、固唾を飲んで見守るほかございません。

事態が膠着するなら、何かしなければならないでしょうが、わたくしにできることなどたかが知れております。

 と。


「竜の亜人の後継、ムジークである。皆、座れ」


 という不遜なお声でわたくしの不安は吹き飛ばされました。

 ムジーク様が金の目で周囲を見渡され、それからずっしり、と椅子に腰を下ろされました。


「そうだね。あらためて、わたしは、イングラム・ド・イルフカンナだ」


 イングラム王太子殿下が続けられ、わたくしに視線を送られます。

 わたくしはチェスカ様に、粘り越しの真骨頂たるカーテシーを披露してから


「ジンカイイ侯爵家次女、プリムでございます。ごきげんよう、チェスカ様」


 と挨拶いたします。

 顔を上げて見たチェスカ様は呆気にとられたように、表情が抜け落ちておられます。


「隣国、イルフニンシ真王国から参りました。セインゴナコマチェスカ・エルイルフですわ。この場を設けていただき、感謝いたします」


 呆気にとられながらも、名乗りを上げて美しいカーテシーをなさるのは流石でらっしゃいます。

 つんとした目鼻立ちはお姫様というよりはオフィス街で見掛けたバリキャリビジネスウーマンを思い浮かべます。なんというか、荒波に揉まれてそう。パワハラとか。

 さておき、そんなチェスカ様の本日の装いは立襟でデコルテを隠したデザイン。レースやリボン、刺繍のような装飾は少ない代わりに、艶やかな生地と大きめのブローチがアクセントになっておられます。

 四人が席に腰をおろしますと、セマニ様が一歩前に出られました。ちなみに、お兄様、ラーシュ様、セマニ様は今回、貴族子息ではなく王太子の側近、部下としての列席ですので、席には着かず立っておられます。

 お兄様が立っているのにわたくしが腰を下ろしている、というのが、昨夜決まったわたくしとお兄様のこれからの関係性を如実に現しておりました。


 セマニ様が卓についた四人を見渡されてから一礼されます。


「失礼いたします。わたくしは、イルフカンナ王国宰相を努めますリードメン公爵家長子、セマニと申します。わたくしから本日の会談の目的について、ご説明申し上げます」


 そうして口を開かれたセマニ様に、チェスカ様は一言


「結構です」


 と遮られました。


「わたくしは、我が国と貴国との和合のため、イングラムおに……殿下と婚姻するために参りました。それ以外にございません。

 ジンカイイ令嬢、昨夜、わたくしが本当に欲しい物、を用意できるとおっしゃいましたけれど、それならば、私はイングラム殿下を望みます」


 チェスカ様がはっきりとおっしゃいます。自身と責任感に満ちた、強い眼差しです。夜のか弱い明かりの中でなく、今、窓から差し込む陽光でわかります。その視線の先には、イングラム王太子殿下がおられます。

 遮られたセマニ様は、特にうろたえることもなく、イングラム王太子殿下を振り返りました。

 説明を拒まれたわけですから、段取りを確認するおつもりなのでしょう。イングラム王太子殿下は右手を上げて


「セマニ、苦労をかけた。下がってくれ」


 と命じられます。セマニ様は一礼して壁際、ラーシュ様とお兄様が立つ場所まで下がられました。

 イングラム王太子殿下は机の上に両肘を付いて、顔の前で指を合わせられました。欲目でしょうが、とても様になっておられます。かっこいい。うっとりしてしまいそうになるのを堪えなければなりません。


「セインゴナコマチェスカ嬢、その申し出はすでに昨日の日中においても、父王からお断り差し上げていることだ。それに、大夜会のとおり、わたしは、こちらのジンカイイ侯爵令嬢プリム嬢と婚約を交わしている。わたし自身が望んだことだ。これを覆す気はない」

「気の問題ではございません。イングラム王太子殿下。これは『必要』なことです」

「どこがだろうか」

「お察しでらっしゃるでしょう。我が国は、貴国へ兵を向けようとしております。それを止めきれなかったわたくしの無能を咎められるのならば、それは致し方ないこと。甘んじてお受けいたします。

 ですが、わたくしとて、我が国とて、争いたくて争うわけではございません。ですから、わたくしとイングラムお兄様の婚姻によって姻戚関係を築き、戦争の意味を失わせるのです。一つの思いの国であると示すのです。もはやそれしか、回避の策はございません」


 それこそが最善だと信じた、輝かしい表情でらっしゃいます。きっと信じて、頷いてもらえると思っておいでです。そしてご自身のお言葉に盛り上がってきてしまったのでしょうか、チェスカ様の口から昨夜と同様『お兄様』という言葉が漏れます。お二人には面識はなかったはずですが、彼女はなぜかそれを口にするのです。


「無理だな」


 ですがそれを、イングラム王太子殿下は一言で切り捨てます。


「我が国で掴んでいる情報では、貴女とわたしの婚姻程度で止められる線は、とうに過ぎている。結婚しました親戚ですからもう争いません、などと言えるのは、お互い交渉の落とし所がそこにあったからにすぎない。

 国家間の戦争というのは『交渉』で『外交』の手段にすぎない。まあ、貴女の婚姻の申し出も、その意味では外交手段なわけだが、いいかい。戦争したい国から『結婚したら戦争しません』などと言われたところで信じられるわけがない。戦う意志のあるものから差し出されるものは、全て罠だと思うほかない。今の貴女は、罠か人質になれても、平和の象徴にはなれない」


 淡々と、イングラム王太子殿下がおっしゃいます。

 そう。

 そうなのです。

 戦争をしかけ()()()側から『娘をやるから攻めてこないでくれ』というのは、交渉として有り得ます。

 ですが、戦争をしかけ()側が、『娘を娶るなら戦争を仕掛けないでやる』なんてこと、脅し以外のなんだというのでしょう。好意的に受け取るならば、その娘が独断で『わたしが人質になりますから戦争を止めてください』くらいでしょうが、その場合むしろ、人質を取られた、として先方に攻め込む口実を与えることになるわけで。

 チェスカ様を受け入れる利点が、まったくないのです。


次回は本編お休みして短編スピンオフを別で投稿する予定です

来週の本編更新はありません。

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