30 秋の〆月 8 ある令嬢
他者視点。短めです。
大夜会でさほど出番のなかった彼女の話。
──こんなの知らない
彼女が目覚めた時、最初に思ったのはそれだ。その後、親切な老夫婦に記憶喪失の外国人として助けて貰った。
言葉はなぜか通じたけれど、文字は読めなかった。
老夫婦は、子どももいないから、自分達の家で家業を手伝ってくれるならここに住んで良いと言ってくれた。
彼女はそれを承諾した。
彼女は、自分がなぜここにいるのか分からなかったけれど、記憶喪失ではなかった。
なんとなく、漫画で読むような、所謂『異世界転移』というやつなんだろうな、とは思った。だからといって、それに喜ぶほどオタクでもなかったし、何かのゲームか物語かはたまた悪い夢だとして『戻るまで戻らない』のだから、何処だろうと同じことだ。
老夫婦のところで暮らして一年ほど、なんとか文字の読み書きができて、家電みたいな魔石の道具を使うことにも慣れてきたころ。
彼女を迎えに来たのは、歴史の教科書で見たような騎士と役人たちだった。
それからはあれよあれよという間に、彼女はメープル男爵の養女になった。老夫婦は、簡単に言えばこれからの生活の保障と引き換えに彼女を男爵に売ったのだった。
とはいえ、彼女にとっては、何処でも同じことだ。むしろ、ベッドがまともになり、食事の量が増えたことは普通に助かったと思ったし所謂淑女教育も、その対価だと思えば仕方ないと納得できた。
老夫婦にしてみれば、厄介なよそ者の世話の大半を手放せたのだから、ある意味Win-Winだとすら彼女には思えた。
友達が読んでいたライトノベルによく似た展開だけれど、その通りなら自分は王子さまに見初められたりするんだろうか、まで考えて、
──ないな
と自分で納得する。
そもそも王子とか鳥肌が立ちそう。キラキラ系よりも、彼女は細マッチョが好みなのだ。
そして引き取られてスパルタ教育の後、男爵――義父は彼女に言った。
「早すぎるかもしれんが、お前にも大夜会に出て貰うぞ」
なにそれ、と口に出さなかった自分を、彼女は自分で褒め称えた。
当初保護してくれた老夫婦は、彼女の世話役として屋敷に残っていた。家業は農業だったので、年齢的にも辛かったのだろう。
ただ、なんの縁も所縁もないはずの彼女を、自分達の孫だと言って男爵の血縁に仕立て上げたのはどうかと思うけれど。
男爵もそれを織り込み済みなのだ。表向きさえ整えて、自分の代で家名を潰さなければ良いと思っているようだった。そのうち、どこかから優秀な婿を捕まえてくるのだろう。そういうものだ。だから、生む腹は正直誰でもいいのだ。どうせ跡取りは居ないんだから。
彼女は、面倒だなと思いながら、年頃特有の処世術で笑顔と媚を振り撒いた。
そして、大夜会の夜が来て。
自分とそう年の変わらない娘が、王子と婚約したなどと言うので。
気になってガン見してしまったのは、まあ、悪かったと思うのだ。
彼女は別段、自分が違う世界のようなところから来たことを隠しもしなかったし、喧伝することもなかったけれど、ふとした瞬間に口にすることを、男爵や付き合いが出来た貴族たちは『ジンカイイ侯爵家の令嬢にも負けないかもしれない』と口にした。
だから、その王子と婚約したのがジンカイイ侯爵家の令嬢だと聞いたら、なおさら興味を持っても仕方がないはずだ。
そして。
どうやら、ジンカイイ侯爵家の令嬢も、自分に興味を持ったようだったから。
彼女は思った。
──これで今度こそ自由にして貰えるかも。
と。
彼女にとっては、老夫婦も男爵も、生きるために必要な相手だった。だから頼ったし頼まれごとには答えたし、やれることはやった。
最初の1ヶ月は帰りたかった。
次の1ヶ月で諦めた。
それからは生きることだけ考えた。
そうして、彼女は大夜会に来たのだった。
だから、老夫婦とも男爵ともお互い様だと思っている。お互い利用しあっているなら、等価交換だ。
目の前のジンカイイ侯爵令嬢は、漫画やアニメのヒロインみたいに、キラキラと美人な訳でもない──顔立ちは整っているけれど──し、どうやら話題の令嬢であるようだし、自分に興味を持ってくれているようだから、何かの切欠でも作れれば、頼る相手を変えられるのではないか。
彼女はそう考える。
帰れないなら帰れないなりに快適に生きていきたいものだと思うけれども、文明の進み具合とか、身分とかそういうのはすぐには変わらなそうだし、ならば高位の相手に守って貰うに限る。
彼女はもともと、そういうドライな女子高生だった。
ジンカイイ侯爵令嬢と王家の面々との挨拶を男爵に叱られながら切り上げて、彼女はこれからどうしようかと、その事ばかり考えた。
***
メアリーは、自分が貴族であることを望んだことはない。
けれど、今はなれて良かったと思っている。勿論、足りないことはまだ沢山あって、立派な貴族令嬢とは言えない。だけど、それでも、プリムと共にいたいのだ。
だから、『あの子』がプリムを見る眼差しが気になった。あの子――男爵家の養女になったという女の子。
「リバート様」
エスコートしてくれる婚約者の腕をすこし強く握る。
「なんだい?」
とろける、というよりは慈しむ眼差しでリバートが尋ねるのへ、メアリーはうなずく。
「わたくし、あの方が気になるのです」
リバートもメアリーの視線を辿って、その相手に気付く。
「メープル男爵か」
リバートにしてみれば、それは当然ある知識なのだが、メアリーにはそれがない。今後、リバートやプリムと付き合い続けるのならば、その点も覚えていかなければとメアリーは気を引き締める。
「メープル男爵様の、ご令嬢がプリム様をじっとご覧でしたので、気になるのです。他の方々も多かれ少なかれではあったのですが、彼女だけ気になりまして」
メアリーが告げれば、リバートはふむ、と頷く。
「挨拶をして問題のある相手ではないが、今日は控えた方が良いかもしれないな」
「何故ですか?」
「プリムが殿下の隣にいるからさ」
リバートの答えに、メアリーは、あ、と小さく溢す。
そう。
今のメアリーはリバートにエスコートされた、彼の婚約者としての立場。そしてリバートは、次期ジンカイイ侯爵だ。そして、その妹のプリムは今宵、王太子の婚約者に選ばれた。
つまり。今夜こちらから声掛けをするというのは、王太子妃の姻戚としての立場が明確に付いてくるということだ。
それに思い至って、メアリーは目に見えて落ち込む。
「申し訳ありません、リバート様。わたくし、考えが足りませんでした」
「いや。メアリー嬢が気になったというなら、確かにそれは気にするべきことなんだ。だから、君が気に病むことではないよ」
リバートは、己の肘に掛けられた彼女の手に己の手を重ねる。正装の手袋越しでも、互いの体温を感じられた。
「メープル男爵とその令嬢については、調べさせよう。メアリー嬢には、できるだけプリムと共に過ごして貰いたいが、どうだろうか」
リバートの提案は願ってもないことだ。メアリーは力強く頷く。
「お任せください」
「部下ではないのだからそんなに力まなくても」
リバートが苦笑すれば、きゅん、とメアリーの胸が鳴った。気を許された感じが、すごく嬉しい。
「……はい。リバート様」
だから、勝手に照れて頷けば、リバートもまた、照れ始める。メアリーはまた嬉しくなる。
「わたくし、リバート様に相応しくあれるよう頑張りますね」
照れを隠すように微笑めば、リバートはすこし頬を染めて笑みを返した。
「ああ。わたしも、君に相応しくあれるよう努めよう」




