11 夏の暑月 4
ブクマ200超えと感想頂いて調子に乗ったので予定より1日連続を伸ばしました。ありがとうございます。
だというのに今回プリムはいません。男どもしかいません。よろしくお願いいたします。
イングラム・ド・イルフカンナは、文武に長け、心優しい優秀な王子である、というのが、彼に対する周囲からの評価である。それはあながち間違いではないが、天性のものかというとそういうわけでもない。
下地は確かにあったのだろうが、王族という環境と、彼自身の自覚と努力によるところが大きい。
それが、彼の側近の一人である、セマニ・ラ・リードメン公爵子息の印象である。
実際、今目の前の王子は、明らかにぽんこつであった。天性の才なら、これほどぽんこつにはなるまい、とセマニは思う。執務机に肘をついて、うっとりと夢うつつ。これをぽんこつと言わずしてなんと言おうか。
先日の視察の折りに、どうやら想い人であるところのジンカイイ侯爵家の次女、リバートの妹に会った上、二人きりで馬車で送ったのだという。それからずっとこの有り様だ。
一日二日ならば許そうと思ったセマニも、流石にそろそろ堪忍袋の緒が切れるところである。
「殿下」
「…………」
「殿下!」
「…………」
どうしてくれようか。
セマニも暇ではない。早くサインを受け取り指示を出しに行きたいのである。そろそろ妹が出奔しそうな気配もあるので、残業もしたくない。
そう言えば、今日はリバートが休みを取っていた。件の妹を迎えに行くのだと言っていたが、迎えに──そうか。セマニは深く頷いて、今一度口を開く。
「殿下!」
「なんだ」
ようやく意識を向けてくれたことに安堵しつつ、心の内でリバートの妹に謝罪する。すまない、私のために犠牲になってくれ、と。
「リバートは今日は休暇なのですから早く仕事を進めてください」
「ああ、そうか、そうだったな」
「ええ。『妹が夏休みで帰ってくるので迎えに行くために』休んでおります」
「……夏休みで」
「はい。夏休みで」
「家、ということは、侯爵家の邸宅か」
「はい。学園の用事もあるので『領地に帰らない』とかで」
「そう、そうか」
「はい、殿下」
セマニが頷く。
イングラムはペンを取る。
「書類を回せ。一日くらいは、休みが取れるだろう」
「左様ですね。贈り物か手土産の手配もなさいますか」
「あ、ああ、そうだな」
恋をすると盲目になる、と人は言うが、ここまでわかりやすいものだろうか。セマニは少し心配になりながらも、書類の山をイングラムに差し出していく。
イングラムがやる気を出してくれるなら、まあ、どちらでも良いのだ。
セマニはもう一度、リバートの妹に心中で謝罪した。
一方、イングラムの心中は花畑である。間違いなく花畑だ。セマニにはわかる。
彼女が夏休みで部下の家に居るならば、誘うなり会いに行くなりする筋があるということで、そのための時間を捻出するために彼は今手を動かしている。とても分かりやすいことだ。花畑の働き蜂もかくやと言えよう。これでも幼馴染みであるから、恋路は叶うことを祈っては、いる。真面目に王子をしてきて、そして王太子となったのだから、結婚相手くらい選ばせてやりたいとも思う。しかし、己の妹のことを考えると、なんだかなぁ、というのもセマニの本心だ。
恋は盲目だ。良くも悪くも。
少なくとも、今のイングラムの恋は、セマニにとって有効に働いているので、ありがたいことだ。
今度リバートに、彼の妹がイングラムについてどう思っているか確認して貰おう。
セマニはそう決意した。
***
学生には夏休みがある、ということを、イングラムは失念していた。己が学生だったのは何年も前のことだし、学生時代にはもう公務があった。
立場上付かず離れず平等にを貫いていたので、良く一緒にいたのは側近かつ同い年だったリバートだけだ。
当時は、リバートの妹といえば上の妹のステラのことだった。プリムのことは、あまり話題にしていなかったと、イングラムは記憶している。
当時から今のような機転が利く娘だったなら、話題になっていそうなものだ。デビュー前の令嬢だったわけだし、母──王妃なら何か知っているかもしれないが、少なくとも、当時の記憶に彼女の姿はない。
イングラムは資料を読み、サインをし、必要ならセマニに声をかけつつ、プリムとの休暇をどう過ごすかを考えた。
彼に天性の才があるとするなら、このように複数のことを同時に処理できることなのだが、如何せん、その才能は今、己の恋路に使われている。しかもぽんこつに。
恐らく己が自由にできるのは、一日が限度だろう。「セマニ、ここの数値がおかしい。担当部署に差し戻せ」しかし城下町、この都を出歩くもの人目がある。人目を憚るプリムならば、あまり良い顔をしないだろう。実際、先日送ったときも、殆ど押しきったようなものであるし。「こちらは決裁したから、実処理に回してくれ」ならば家に行くか。しかし、己が家に行くとなれば、リバートが黙っては居るまい。「却下だ。合理性がない」外で会うことは難しいなら、ジンカイイ邸か、城で会うか。しかし城に呼ぶ口実も、己には用意できない。まだ婚約すら出来ていない。父の──国王の言葉に従うなら、彼女に選ばれるか彼女が卒業するかがなければ、表立って彼女一人を王城に呼ぶ口実がない。「こちらは問題ない。事務を続けさせろ。ああ、こちらには指示を追加しているので、再検討させてくれ」コンツェルト伯の家は本邸が都にあったか。いっそのこと、メアリー嬢とリバートを巻き込んだ方が良いかもしれない。
「よし」
イングラムが顔を上げると、セマニは
「まだですが」
と次の書類を差し出すところだった。
「いや……今の『よし』は独り言だ」
差し出された書類を受け取りながら、イングラムは赤面した。
手紙を書こう。まずはリバートに。
イングラムはそう決めて、次の仕事に取り掛かった。
***
リバートは嘆息した。
眼前の幼馴染み兼同僚と幼馴染み兼上司が休暇明けの翌朝、いきなり揃って頭を下げてきたからだった。
こういう時は大抵、ろくなことにならないとリバートは理解している。
が、上司、というよりも忠誠の相手に頭を下げさせているのは耐えがたく、幼馴染みのよしみで他に人がいないときには軽率に頭を下げてくるとしても、それでも言わねばならなかった。
「顔を上げてください」
と。
もちろん相手はそれも込みでやっているので、溜め息くらいは見逃されるべきだとリバートは思う。
「今度はなんですか」
昨日一日の休暇で、まさか終わらなかった仕事が残っているとでも言うのか。この二人で? いや、それは考えにくい。ということなら、仕事以外のことになる。現状、王太子に頭を下げられるようなものといえば、リバートにはひとつしか思い当たらない。
手紙を書くより明日話した方が早い、と考え直した王太子の行動は早かった。登城して執務室に来たリバートにセマニを伴っていきなり頭を下げたのだった。有無を言わせぬ電光石火の電撃作戦は、確かにリバートの出鼻をくじくことには成功した。
しかし。
相互の理解は置き去りにしていた。
リバートの問い掛けに、王太子は顔を上げた。
「頼みがある」
リバートにはわかる。
これは絶対にろくなことじゃない。
「命令ではなくですか」
リバートが言えば、王太子は頷く。
「夏の休暇中に、プリム嬢に会いたい」
ほらみろ。リバートはセマニをみやる。夏の休暇を思い出すなんて、常の王太子ではしないことだ。吹き込んだ犯人がいる。目の前にいる。
セマニは視線をそらして口の動きだけ「すまない」と呟く。
「何か案がおありで?」
こうなれば応じるしかないのも分かっているので、リバートは訪ねる。王太子はまた、頷く。
「私がジンカイイ邸に行く」
「却下ですね」
「話を聞け」
「聞きましょう」
「私は『お前に』会いに行く。そう言えば学生時代にもそんなことは無かったしな。その上でプリム嬢に会わせて欲しい」
リバートは半眼で王太子を見つめた。言いたいことは分かる。こんな顔を主君に見せるべきではないことも分かる。しかし納得はいたしかねる。
「私だけが会いに行くのは確かに不自然だろう。そこで、コンツェルト令嬢を招待して欲しい。そうすればプリム嬢も気軽なはずだ」
王太子が我が家に来る不自然は何も緩和されないが、と思いつつ、リバートはそれをどう伝えるか考える。
代案も出さねばまたぐずられそうだ。普段はこんなぽんこつではないのに、となんとも言い難い気持ちにもなる。
「では、私がプリムとメアリー嬢を郊外の庭園にでも誘いましょう。殿下は偶然散策に来られた、というのはいかがですか。王立庭園ならば、殿下から休暇に利用許可を頂いたのでとでも言えばよろしいかと。さもなくば、あの庭の見事な離宮でしょうか」
リバートの提案に、王太子は目を輝かせた。
顔に、それだ、と書いてあるのが見えた気がして、リバートはまた息を吐く。
「それはいいな。それとなく、プリム嬢の予定を聞いてくれ。確実な日に押さえよう」
王太子はうきうきと頷いてから己の執務机についた。
ようやく今日の仕事が始まる。リバートは頭が痛くなるのを感じつつ、メアリーを誘えることを少しだけ喜んだ。
それから、ふと近頃思うことを口にする。
「私はそろそろ、アストラナガン殿下に付くべきかもしれませんね」
カラン、と乾いた音がする。見れば王太子がペンを取り落としていた。
「何かあったのか?」
口調は落ち着いているが、大分動揺しているだろう。リバートはペンを差し出しながら答える。
「殿下とプリムがどうにかなる場合、私が殿下の側近で在り続けるのは良くありません。アストラナガン殿下にはイルワの次男ギアックがおりましたが今は居りませんし、慣れた者が付く必要があるとは言われております。私が適任かと」
ペンを受け取り、王太子はすぐに正気に戻る。いや、王太子の仮面を被り直した、と言えば良いか。
「その話は確かに出ている」
そして頷く。
「ただ、アストラ自身が乗り気でなくてな。自分のために今の安定した体制を崩すのも本意ではないと言っている。やがて臣下に降ることを考えても、スノーヴィのグランディニーリが付いているし問題ないと」
スノーヴィ侯爵家の次男グランディニーリは、アストラナガンの側近で、学友である。イルワ元侯爵家の次男ギアックと二人、アストラナガンと同い年のため、幼い頃からその様に育てられてきたはずだ。ギアックは、セマニの妹、ミノルカオルの婚約者でもあったが、セマニはそのことをあまり口にしない。三人の折り合いは悪くなかった、とリバートは耳にしている。イルワ元侯爵家の謀反について、ギアックがどう関わったのかなどは、まるで話に出てこない。
「よって、現状維持だ。幸い、側近としてはグランディニーリが良くやっているそうだし、臣下たちも奮起している。私から逃げられると思うなよ」
最後の一言をリバートに告げて、王太子は机に向き直った。
それからもくもくと資料に目を通している。
リバートは別に逃げようとしたわけではないが、王太子──イングラムに、暫定とはいえ筆頭侯爵家の次代の二人が付いているのは他の貴族からの攻撃の的になり得るとは考えた。
結局リバートもイングラムに甘いのだ。
外面ばかり整えて、完璧な王子であり続けるくせに、こういう時に経験不足を見せるような、王子が過ぎて人間を置いてきたようなところは、何とかしてやらねばと思ってしまう。
同い年のリバートだけでなく、一つ下のセマニも同じようなことを考えているのは明らかだ。でなければ、リバートの妹のプリムを差し出すような真似はするまい。
いや、するか。考え直して、リバートは頷く。セマニは仕事に対して淡白なところがあるので、単純にイングラムにニンジンをぶら下げただけかもしれない。
リバートはまたため息をついた。時計石を見れば、次の予定が迫っていた。ぐだぐだし過ぎである。
「殿下、間も無く会議が始まります。ラーシュが迎えに来てしまいますよ」
「ああ、そんな時間か」
今日の会議は、陛下と王太子、都の商店街や各街区から選ばれた代表者たち、貴族議会の商工部門たちとのものだ。
城外の人間との会議のため、ラーシュが護衛のために迎えにやって来る。
都は王族の直轄地でありつつ、国の要所でもあるため、貴族議会からも参加者がある。だが、貴族議会の貴族たちは自領を持つものが多く、街区の代表者たちからは、真剣に考えて貰えていない、という声もある。
この会議にはリバートも父の名代として学園卒業後からよく参加しているが、街区の者たちの言い分も分からないではない。貴族の議員は結局自領を先ず富ませなければ立ち行かない立場だ。いくら都のこと、そして貴族議会議員の勤めとはいえ、優先度は自領より下がる。実際、夏のこの時期の会議は、多くの貴族が代理人を立てる。ジンカイイの様に後継を出している所は良い方だ。その上、ジンカイイはプリムが事業をやっていることもあり、街区の代表者からの心証は悪くない。プリム自身に自覚はなかろうが、そういうことになっている。
王族の警備をしなければならないのは変わらないが、ここ数年はまだ落ち着いている、と宰相は言っていた。
ただ、今回は。
──イルワ元侯爵家の息のかかった商人が出てくる。
それはもう既知の事実だ。金で準男爵の地位を買って、都にも進出したそれなりの大店が、今回の街区代表の一人に入っている。
だから、落ち着いていても、王族の警備を厳重にせざるを得ない。
こんな時、プリムならどうするだろうかと、リバートはふと考える。
プリムの商売の姿勢は、相手に損をさせないことにつきるとリバートは考えている。その為に己が損を被ることも、プリムは厭わない。だからこそ、付いていく者たちがいるのだろうというのは分かる。その危うさを支えられる部下を連れているのもどういった才能なのかと頭を抱えたくなる。
ともあれ、この状況を、プリムならば──思い付かない。何せあれの思い付くことが突飛すぎる。
ただ。
同じことはできずとも、同じ道を目指すことは、出来るかもしれない。
──相手に損をさせないこと。
リバートは表情を引き締めて、会議に向かう王太子のあとに続いた。
次回は5/11(火)です。いつもの時間にお会いしましょう。




