10 夏の暑月 3
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よろしければそちらからご覧ください。明日もあります。
さて。
わたくしのあれそれはさておき、夏休みでございます。
お兄様が迎えに来てくださったので、帰りの馬車はお兄様の向かいにわたくしとエステルが座りました。
前日にメアリー様はご自宅に帰られましたので、お兄様とメアリー様の接触は見られませんでした。残念です。
「学園はどうだ?」
馬車が走り出すと、早速お兄様に聞かれます。どう、と聞かれてもなかなか難しい問い掛けです。
「皆様良くしてくださいますわ。日々のことは、お便りに書かせていただいておりますけれど」
「ああ、そうだね」
メアリー様とのお便りでも聞かれているとは思うのですが。
あ。
「そういえば、先日街でお兄様を見かけましたわ」
「声をかければ良かったのに」
「だって、メアリー様とお二人だったのですもの」
ほんとは馬車で通りすぎたのですけれどね! そこは秘密にしておきます。
お兄様は目を真ん丸にしています。勝ちましたわ。と得意気になろうかと思ったら、顔を赤くして口許を隠しておいでです。というか、赤くなった顔を隠したいのですね。
「あら」
思わず溢せば、お兄様はじとり、とわたくしをご覧になります。
「見ていたのか」
「偶然ですわ。わたくしも通りすぎただけですもの」
やぶ蛇にならないように躱していかないと。
「メアリー様とはお手紙のやり取りをなさっておいででしょう?」
お兄様は今度こそ言葉を失われたのでしょうか。俯いて、ふう、と息を吐きました。
「メアリー嬢から聞いていたか。確かに、メアリー嬢とは文を交わしているよ」
「お兄様とメアリー様の仲が宜しいなら、わたくしはとても嬉しいですもの」
心から! そしてメアリー様に義姉になっていただくのです。
お兄様は口許を隠したままです。
「私個人としては」
「はい」
「メアリー嬢を好ましいと思っている」
「まあ!」
「ここだけの話だ。忘れてくれ」
忘れませんとも! 心のメモ帳に重要マークをつけましょう!
さて、お兄様もカミングアウトしてくださいましたし、わたくしも覚悟を決めねばなりません。藪から蛇を出されるのは好みませんが、自分から飛び出す分には良いのです。
「ではわたくしも、ここだけの話を」
「どうした?」
「お兄様とメアリー様を見たのは殿下の馬車の中で、なのです」
お兄様は目を丸くされました。
まさかそんなことになろうとは、と顔に書いてございます。
「お前は一緒ではなかったのか?」
お兄様はエステルに尋ねられ、エステルは「はい」と頷きます。
「ご一緒させていただいておりましたが、殿下がお誘いなさったのはお嬢様でしたので、わたくしはそこでご遠慮させていただきました」
「……そうか。そういうことなのか?」
頷いてからお兄様は今度はわたくしに問われます。
「よく、わかりません。けれど、好ましいとは、思います」
これが恋かは断言できませんが、他の男性の知人友人とは違うということはわかります。
ムジーク様、とも、違います。
「そうか」
お兄様は深く、息を吐かれました。
馬車は学生街を抜け、大通りを越えて、貴族街へ向かいます。
貴族街は学園と大通りを挟んで城の反対側です。大通りに近いほど位が低く、離れるほど高位と言われていますが、街の造成当初に比べれば売買も進みましたので、さほど厳密なものではありません。
馬車は貴族街の閑静な通りをぱかぱかと駆けて行きます。
ジンカイイ侯爵家の屋敷は昔から変わらず貴族街の奥まったところにございます。我が家より奥には、旧イルワ侯爵邸と三大公爵邸があると聞いております。我が家は侯爵邸としては小さめ、だそうですが、それでも一般のご家庭に比べれば豪邸と言えると思います。
門を潜り玄関前の馬車用のロータリーまで馬車は進みます。宿根草が植えられた花壇の周囲を走るロータリーを回って、馬車は玄関の目の前で停まりました。
玄関の観音扉が開き、ドアマンをはじめとした屋敷の使用人たちが並んで待っておりました。
御者が馬車のドアを開き、踏み台を置きます。
まずエステルが降りて、脇に控え、頭を垂れました。
それからお兄様が降りて、わたくしに手を差し伸べます。
わたくしはその手を取って、踏み台に足を下ろしました。
もう一歩降りて、地面に両足がつくと、使用人たちが一斉に
「おかえりなさいませ、お嬢様」
と声を上げて頭を下げました。
なんですの、この歓迎!
わたくしこんなの初めてでしてよ。
普段は別邸付きの執事──今はお兄様の侍従のトーマスが兼任して執事修行をしております──と、別邸付きのメイド長、あとは手隙の使用人達が迎えるくらいですのに。
わたくしが驚いておりますと、先頭で出迎えたトーマスが顔を上げました。
「一度練習をしておくと良いかと思いまして」
「私が許したんだ」
とお兄様。
「今年の社交の季節は、トーマスに屋敷の仕切りを任せるつもりだからな。我々しかいない間に色々と試すように指示した」
トーマスの執事修行、いえ、正しくは家令なのかもしれませんが、領地に残るトーマスの父にしてすべての使用人たちの長の跡を継ぐ練習中、ということなのですね。わかりやすいので執事といってしまいますけれど、厳密には今はトーマスとエステルの父が家令、トーマスは執事か従僕、というところでしょうか。
「エステルも家政婦をしてみる?」
家政婦とはメイドたちの長、メイド長とも呼ばれる、今のエステルたちの母の立場です。尋ねるとエステルはいいえ、と首を振りました。
「わたくしは、お嬢様の侍女でいとうございます」
わたくしもその方が嬉しいけれど、エステルとしてはお母様を継がなくても良いのかしら。
「わたくしは、嬉しいけれど」
「母は、もう跡目を決めておりますよ」
エステルは穏やかに微笑みます。
そういうものなのですね。わたくしは、そうなの、と頷くのでした。
「立ち話もなんだ。屋敷に入って、お茶にしよう」
お兄様の一声で、使用人たちは一斉に屋敷内に散りました。
わたくしの荷物を持った従僕と、屋敷のメイドが部屋に運んで片付けておいてくれます。
わたくしはお兄様に手を引かれ、トーマスとエステルを伴って、昨年、メアリー様を招いた、庭の見えるサロンへ向かいました。
サロンには花が飾られて、お兄様が帰宅次第ここへ来ることを決めておられたのがわかります。
わたくしと、お兄様と、メアリー様の思い出のお部屋です。
向かい合ってテーブルにつくと、メイドが直ぐ様お茶を運んできました。
この部屋で二人でお茶を、あんな話をした帰り道の後にする、というのは、お兄様なりの計画でしょう。
両親がここに居ないうちに、話したい兄妹のことがあるのです。
ティーカップに注がれた、ハーブティーを一口。
ほっと息を吐くと、お兄様が口を開きました。
「私は、メアリー嬢に求婚するつもりだ」
リーンゴーンと頭の中で祝福の鐘が鳴り響きます。いつの間に、と思わないではないですけれど、手紙のやり取りをして、二人で出掛けてお出でなら、それは、不思議なことではないはずです。
「頑張ってくださいまし。是非、メアリー様をわたくしのおねえさまにしてくださいましね」
心からの微笑みで頷きますと、お兄様は少し戸惑って。
「先ほども感じたが、嫌だとは思わないのか?」
「そう感じられる方がおられるのは否定いたしませんけれど、わたくしは、お兄様とメアリー様が結ばれることに忌避感はございません」
友達と家族になることに、複雑な感情を持つ方がいることは、否定しません。ただ、貴族ではまた良くありそうな話しでもあります。
わたくしの答えに、お兄様はそういうものか、と頷かれました。
「それで、お前はどうだ? 馬車で二人きりだったことを私に言ったのだから、思うところがあるのだろう?」
本当は、この部屋を用意なさったのは、お兄様のことをわたくしに話されるためだったのだろうと思います。が、わたくしの、ある意味爆弾発言でお兄様はご自身の優先度を下げてしまわれました。先日のお茶会のわたくしを思えば、お兄様の心配もさもありなん。お兄様のお心に応えるためにも、きちんと、お話ししなくては。
「考えたのです」
そして、わたくしは口を開きました。
「考えて、わたくしは、きちんと今を生きて居なかったのではないかと思いましたの。きちんと、自分の有り様と向き合っていなかったのではないかと思いました。それでその、先日、ムジーク様主催のお茶内に参加したことはご報告したと思いますが」
「ああ」
「その時、わたくしは、ムジーク様をお断りすること、を自然と考えましたの。当たり前のように」
選ばないと決めただけでなく、別のものを選んだのだと。
わたくしの言葉に、お兄様は穏やかに微笑まれました。
「そうか」
そうして、とても優雅な手付きでティーカップを持ち上げ、また一口飲まれました。
美しい所作です。
お兄様の、貴族としての生き方が詰まっているようです。
「二つから一つを選ばねばならないわけではないぞ?」
そして、そうおっしゃいます。殿下か、ムジーク様かの二択ではなく、改めてわたくしが選ぶことも出来るのだ、と。
ですから、わたくしも出来るだけ優雅にティーカップを持ち、微笑んでから口に運びました。味がわからなくなるほど緊張しているのが分かります。
「殿下のことを、意識している、という自覚もありますの。多分、好きなのだと思います。仮に、これが恋の好意で無かったとしても、婚姻にもその先のことにも、きっと、後悔しない程度には」
そう。
イングラム殿下に感じるこれは、確かに好意でしょう。友情や、同士や、家族へのものとは異なります。ただ、それが恋か、愛か、断言できませんけれど。
それでも、未来を選べるなら、その未来がいいと思い始めているのです。
元々箱推しゲームのヒーロー達です。嫌う理由なんて、初めからありません。けれど今は現実で、ゲームではなくて、わたくしはヒロインではありませんが、心を傾けてくださる方が居て。
ええ。嬉しいと、思います。
「──ただ、それを自分で選んだとしても、王太子妃や国母と言われると、しり込みいたしますわね」
何となくいたたまれず、笑い話にしてしまいたくて、わたくしはそう言って言葉を終えました。
恥ずかしいですわ!
物凄く恥ずかしいですわ!
顔が火照るのを隠すべく、わたしはお茶のお代わりを頼みます。湯気の熱で誤魔化してもらいましょう。
お兄様を盗み見れば、何というか生暖かい微笑みですわ。微笑ましい、と見守ってるつもり、みたいな。
「お前も、大きくなったな」
おじさんみたいなこと言いますわね。
「十七になりますもの」
お姉様は、十七でイオート辺境伯様に嫁がれた訳ですし。
「ステラを参考にしなくていいからな。お前は、お前で選ぶといい」
お兄様はそう言って、言葉を止められました。
やがてどちらともなく立ち上がって、お茶の時間は終わりました。
自室の片付けは凡そ終えられていて、細々としたものが机の上に並べられていました。エステル無しなら十分な仕舞われ方です。
エステルは部屋の隅々を見て回って確認しておりますけれど、大体の場所は変わらないわけですから困らないと思うのですけれど。
「いいえ。細部を怠ってはいずれ大きな瑕疵に繋がるのです」
とエステルは真剣です。邪魔しないようにしましょう。
わたくしは、机上の包みを開きます。作りかけの、サシェになる予定の布と刺繍たち。わたくしはそれを手にとって、縫い物の続きを始めました。
蓮布の端切れを繕い合わせて一枚にしてから、刺繍をしています。
袋は二重にして、ハーブを外側に、結晶を内側に納める形を目指して針を刺します。蓮の花を柄に見立てた剣の意匠を抜いとります。
西洋剣の柄は、日本刀の柄のように円形ではないですが、まあそれはご愛敬ということで。蓮の剣、想像では美しい気がしますし。花弁の柄の剣を振るうメアリー様もあり、ですし。
無心になって針を刺していますと、あっという間に辺りが暗くなってきました。
「お嬢様、そろそろ、夕食の装いにお着替えを」
そうでした。
貴族、割りと良く着替えるのでした。わたくしが元々引きこもりなのもあり、あまり着替えない方ではありますが、流石に学園から着てきた服で晩餐の席に座るわけにも行かないのです。
とはいえ。
「春はずっと制服だったし、あまり堅苦しくないのがいいわ」
お兄様と二人の晩餐でガッチガチの盛装をする必要もございませんし。
わたくしの言葉に、エステルは、かしこまりましたとドレスを選びに下がります。
イルフカンナは、あまりコルセットをつけることの無い文化圏ではありますが、それでも必要なときは付けねばなりません。今日は多分、付けなくて良いと思うのですが。
やがてエステルは数人のレディスメイドを伴って、夏向けの、華やかな黄色地のドレスを持ってきてくれました。翠の糸で蔓草が刺繍してある、さわやかな装いです。まるで自分が花束になった気持ちになります。
髪も結い上げてもらって、エステルを伴ってダイニングルームへ参ります。
既にテーブルにはお兄様が待っておられ、食前酒を召し上がって居られました。
「お待たせいたしました」
軽く礼をすると、お兄様が顔を上げて、
「ああ」
と頷かれました。
「すまない。一人の夕食に慣れてしまっていてな。今日からお前が居ることを忘れていた」
お兄様が苦笑されます。
わたくしも向かいに座って頷きました。
「わたくしも食堂でばかり頂いていましたから、静かな夕食は久しぶりです」
お兄様が目を丸くして、それから破顔されました。
「すまないな。お前をないがしろにしたわけではないんだ」
「存じておりますわ。久しぶりに我が家の料理人の味を楽しめるのですから楽しみにしておりました」
話しているうち、わたくしにも食前酒が出されました。
一口で飲み干せる量の、甘い果実酒です。
それを頂くとすぐわたくしとお兄様の前に、前菜として、一口ずつ三種類が盛られた皿が出されます。
生玉ねぎを生ハムで巻いたもの、魚卵の塩漬けとチーズ、プチトマトとチーズのカプレーゼのようなもの。それぞれ一口ずつ頂いて、丁寧な仕事に舌鼓を打ちます。
お兄様がお一人のときに、このようなコースになさるとも思えませんから、わたくしのために段取ってくださったのでしょう。その心遣いも味に加わるようです。
すぐに湯気のたつスープが出されました。これは、蓮根のポタージュです。まだ季節には早いので、備蓄を出してくださったのでしょう。大事に一口ずつ頂きます。故郷の味、と言えば良いのでしょうか。
懐かしい気持ちになります。まだ学園に入って、四ヶ月なのに。たった一年の在学期間。そのはじめの、たった四ヶ月。なのにもう懐かしくなるなんて。
心なしか、食べる速度が遅くなっても、お兄様は穏やかにご覧になっていました。
お兄様にも、きっと、懐かしい感覚なのではないでしょうか。
スープのあとは、お肉料理です。今日は赤身肉のロースト。見ただけで分かります。これは、
「お兄様、こちらの味付けはもしかして」
「お前のところのハーブ塩だ。トーマスが聞き付けて、試作を貰ってきてな」
わたくしがお兄様とトーマス、それからエステルを見ると、三人とも企みが成功したみたいに笑っています。酷いですわ!
「これ、最新のブレンドでしょう。酷いですわ」
マスターたちと契約してからの試作ブレンドと見ましたわよ。トーマスがあからさまに視線を反らしますから、あとでエステルに締め上げて貰いましょう。
それはそれとして。
脂身が少なく、少し干されて固くなった赤身を、はちみつと食塩水で戻してやわらかくしたお肉に、あのハーブ塩を振って焼いたもの。
これは美味しそうですわよ。味が濃そうですが!
繊維が固く切りにくいのを、なんとかナイフで切って一口大にしてから口に運びます。噛みごたえはありますが、噛めば噛むほど味が出ます。これは、メインの肉料理というより
「おつまみですわ」
「確かに」
庶民向けの保存肉をわざわざ調理してくださったのでしょう。シェフに申し訳ないことをしましたわ。
「ですが、方向性の参考になりました。お心遣い、ありがとうございます」
むっちむっちと噛みながら、お兄様は一つ頷きました。
これは干す前の調味液にハーブ塩を使うのも良いと思われますわね。
お肉のあとはお口直しのソルベ。とはいえ、氷は貴重ですから、甘く煮きったワインのジュレを一口。
そしてお魚料理と続きます。
白身魚のポワレは、ふっくらとしてシェフがまた腕を上げたのでしょう。
お兄様がにやにやとしていますが、まさか。
「これの味付けもお前のところの塩だ」
んまっ!
お兄様、どこの手先ですの。
「機密が漏れてるではありませんの」
わたくしがじっとりと呟きますとお兄様は苦笑して、許せ、というばかり。
侯爵家から引き抜いた者も我が商会にはおりますし、彼らがお兄様やトーマスに頼まれれば、否とは言いにくいでしょう。
「あまり、わたくしの商会のものたちをいじめないでくださいましね」
お兄様は肩を竦めます。確信犯と見ましたわよ。
「お前がすぐに突飛なことをしなければ、そこまでしないんだが」
わたくし、そんなに突飛なことはしておりませんわ。
じっとりとお兄様を見据えますとやれやれとでも言いたそうです。不満! 不服! 子供扱いなさって!
魚のメインを終えますとデザートが供されます。今日はシフォンケーキに、初夏の味覚、生のブルーベリーが生クリームと共に添えてありました。心得たエステルが薄めに淹れたコーヒーを添えてくれます。
我が家のシェフとパティシエの味を存分に楽しみつつ、お兄様の企みをいただいた感じです。どれも、『わたくしのために』考えられたメニュー。
商会を巻き込んだことは不満ですが、この歓迎にどう感謝を告げたら良いのか。
「お兄様」
「ああ」
「ありがとうございます」
「うん。堪能したか?」
「とっても。シェフもパティシエも腕を上げましたわね」
「お前が帰ってくると聞いて、本気を出したようだ。私一人ではこうはならない」
「それはお兄様の感想が旨い、か、良い、しかないからですわ。
今日のポワレなんて、焼き加減が絶妙で、外はカリカリにしっかり焼き目が付いていますのに、中はふんわりしっとりで、仕事の細かさを感じましたわ」
「そういうのは、お前が言ってやれ」
「普段召し上がられるのはお兄様なのに」
「お前にだから、みんな嬉しいのさ」
お兄様がしみじみとおっしゃいます。
「だからお前は、お前の望むままに生きると良い。婚約も、今ある選択肢ばかりではないから」
それ、今引っ張りますか?
わたくし、感心しかけたところをまたじっとりとお兄様を見詰めることにします。
トーマスがお兄様の背後で首を左右に振っています。
仕事はできるのにデリカシーが足りませんわ、お兄様。
わたくしは溜め息一つ。
「ごちそうさまでした。シェフに美味しかったと伝えてね」
給仕のメイドにそう告げて、わたくしは席を立ちました。
「刺繍の続きをしますので、お部屋に戻りますわ」
お兄様に一礼して、エステルを伴い部屋に戻りました。
乗ってきておりますし、出来れば今日中に一つ仕上げてしまいたいですわね。
机の上に手持ちのランタンを乗せて手元の明かりを確保して、さて。一息に終わらせますわよ。
蓮と剣を縫いきったら、一枚内布を合わせて、その間にハーブを詰めます。ハーブのクッションのようになったそれを、今度は巾着の形に整えて縫い合わせれば。
「出来ましたわ」
巾着の紐に細い革紐を通して、これで首から下げられます。
持ってきたメアリー様の結晶を納めて首から下げてみると、思いの外ふかふかしております。
「もう少し薄くした方が良さそうね」
わたくしは紐をほどいて、結晶を取り出し、一部の縫い代をほどいて、ハーブを少し掻き出します。揉んで慣らして縫い直してもう一度。
改めて首から下げれば丁度良い感じです。
「うん。良さそうですわ。これを試作として、メアリー様にお渡しする本番を作ることにしましょう」
わたくしはうむうむと頷きます。蓮布の端切れは縫い合わせてありますから、あとは刺繍から先です。
エステルが絶妙に微妙な微笑みを浮かべていますが良いとします。わたくしの刺繍の腕など分かっているのです! わたくしが! 一番! ええ、たしかに生前祖母から日本刺繍を習っておりましたし、下手ではないと思います。多分! ええおそらく! 実際、チート的にできるのです! できるのですが!
ええ、正直に申しましょう。圧倒的に、絵心がございません。ですから、予め意匠の決まっているものはそれなりにできるのです。今回のように自分でデザインを考えるとだいたい爆死するだけで。
「正直に言って頂戴」
「では僭越ながら。花から蛇が生えておりますか」
「違うわ! 蓮の花の柄の剣なのよ」
「……お嬢様」
「何かしら」
「刺繍はわたくしにお任せいただけませんでしょうか」
「……そうね。エステルに任せることにするわ」
人には、得手不得手というものがあるのです。
流石にメアリー様に差し上げるものにわたくしのクオリティはあんまりにもあんまりだと、エステルも考えたことでしょう。そしてわたくしは、己の非を認め、改善できる女なのです。本当は、メアリー様の分こそ己の手で刺繍したいのですが。
「最初の一刺しはお嬢様にお願い致しますね。腕は、良いのですから」
エステルの優しさがいっそ染みます。不器用、というか、デザインセンス? は、直りますでしょうかしら。
わたくしは一針を刺したサシェになる予定のそれを、刺繍糸のかごと共にエステルに差し出しました。
悔しいですが、わたくしの実力はこの程度なのです。悔しいので、夏休みの内に練習しましょう。センス、磨きます。
そうして夜も更け、わたくしの夏休み一日目は終わっていくのでした。




