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リングリーン

「おいあんた。どこに行きたいんだよ」


 言葉の態度の大きさの割に、声にはまだあどけなさが残っている。視界に入った紺色のズボンとスニーカー。目線を上げると、学ランを着た少年がいた。顔つきや身長、声から察するに、高校一年生か中学三年生。何かを達観したような、どこか冷めたような表情をしているが、そんな表情をするのにはまだ幼すぎる顔つきだ。精一杯の背伸び、と言ったところだろうか。

 私は何も言わなかった。


「今何時だと思ってるんだ? 昼の11時だぜ。なのに、あんたはもう二回も目黒駅に来てるだろ? 山手線を何周するんだよ。どこも行くところなんかないんだろ」


「…………泣く場所を探しているの」


「なんだよ、それ」


 と少年の声。


「すごく泣きたいの。でも、泣ける場所なんかどこにもないのよ。でも、わたしはすごく泣きたいの。少なくとも、この東京っていう冷たくて、無表情な町にはないんだわ」


 私は一度上げた顔をすぐに伏せ、少年の顔から目線を逸らした。


「俺が連れてってやるよ。あんたの言う、泣ける場所ってヤツにさ」


 少年が差し出した掌に、真っ白な掌が重なる。それに引っ張られるように席から腰を上げ、少年の隣に並ぶ、私の隣に座っていた少女。

 私は恐らく、今『達観した少年』と『悲観した少女』の二人を直視したらあまりの青春のむず痒さと、二人のその若さ故の恥ずかしさに吹き出してしまうだろう。笑いをかみ殺して頭を垂らし、居眠りをしたフリをする。瞼は薄く開け、二人を見失わないように少年のつま先を視線で捕まえる。


 すでに手垢にまみれているカッコよさや美しさや儚さの観念について語ったり実際に行動に移してしまう若者が、中二病というあまりにも的を得過ぎた言葉によりイタいやつの象徴としてやり玉にあげられたり陰口の対象となる反中二病プロパガンダが流布される今日この頃。そんな彼らにとっては一種の差別さえあるような世の中でありながら、彼らは電車内という公共の場所、あまつさえ山手線でそれを隠そうとしない。いや、むしろこの乗客の入れ替わりの激しい山手線の中で、『達観した少年』と『悲観した少女』の二人が同じ時間に同じ車両で出会えたことはもう奇跡ではないだろうか。一種のシンパシーか、それとも、神とかいうきまぐれでイタズラ好きな運命を操る存在が彼らを引き合わせたのか。

 新宿駅に停車すべく減速を始めた山手線。少年のつま先は扉の方へ向き、強引に引っ張られるように少女のつま先も同じ方向へ。

 そうだろう、そうだろう。なにせ『悲観した少女』は泣く場所を探していて、『達観した少年』はその場所へ彼女を連れて行くのだ。彼女は、彼の行き先について行くだけだ。そこがどこであろうと、行きついた先で彼女は泣くのだ。

 停車と共に彼らは歩きだした。私は新宿駅到着のアナウンスで目をさまし、うっかり乗り過ごすところだった男性の小芝居を入れ、彼らより数歩遅れて新宿駅で下車した。

 新宿駅という場所は、交通のアクセスという一点を除けば人間に対しかなり厳しいと言わざるを得ない。ただでさえ複雑な構内、それに迷い込んで困憊しなからも未だにさまよっている利用者から我が庭のように自在に歩き回る熟練の利用者まで多くの人々でごった返し、その過酷さに拍車をかける。そんな目の回るような人の多さに辟易しながらも、あの二人を見失わないようにしなければならない。かく言う私は後者、20年以上も利用していて慣れない方がおかしいだろう。

 今日、『何かを見つけるため』山手線をすでに4周した私は、ついに下車する理由を見つけたのだ。

 強い潮風に吹かれ、わたしはコートの襟をつまんだ。『達観した少年』、『悲観した少女』、そしてわたしの三人を監視するように、上空を鳶が旋回する。私もあれになりたい。ああやって世界を見下ろし、この二人のような面白いものを見つけたい。しかし、今の私に出来ることは、やはり見失わないように11月の海岸線を歩く彼らの後をつけ、事の顛末を傍観者として見届けるだけだ。

 新宿の目の回るような雑踏を踏破した彼ら湘南新宿ラインに乗り込み、藤沢、鵠沼海岸に到着。その間も『達観した少年』は『悲観した少女』に言葉をかけ続けていたのだが、『悲観した少女』の声は小さくて私ではその声を聞き取ることはできなかった。しかし、言えることがある。あの今すぐにでも泣き出してしまいたい少女は、名も知らぬあの少年に心を開いているということだ。

 そして二人はまだ歩むのをやめない。『達観した少年』はどこへ行くのだろうか。すでに江ノ電の駅を何駅も通過している。時たま、二人は降りられる浜に見つけては海に近寄り、押し寄せる波際を歩いて靴を濡らした。彼らはそんなことも気にかけず、海の方をすぅと見据えてまた手を強く握り直し、また目的地へ歩き始める。

 運命の人、というのは使いまわされた陳腐な響きだが、あの二人は確実にそうだと言えるだろう。運命の歯車が、お互いにかみ合った二人。片方からその運命の歯車にはめ込もうとしてもああはならない。初対面からここに至るまでの数時間、うち約2時間を一見不毛とも思える海岸線をなぞったこの旅を、おそらく文句も言わずに『悲観した少女』は導かれていく。私は思う。きっと、『達観した少年』は『悲観した少女』と同じように泣きたくなったことがあるのだろうと。そして彼は、泣いたのだろう。きっと彼は、その時の道のりを彼女と共になぞっているのだ。東京という砂漠のように乾ききった無表情な町での生活に疲れ、乾いた心を涙で潤すために乗り込んだ電車でここ(神奈川県)にたどり着いた。

 これは、ドラマだ。高層ビルに悉く視界を狭められる日常から、果てしない海が眼前に広がっているある種の非日常へと逃げだし、思い切り泣くための二人の、東京からの、生活からの、あるいは世界からの逃亡劇だ。逃避行だ。

 長く東京に根差し、雁字搦めとなって逃げだすこともできない私のような大人には出来ないことだ。出来たはずなのに、私はしなかったのだ。そして、私も今、『達観した少年』に導かれ、今、ここにいる。

 二度と戻らないように押し殺し、感情を失ったようにただ没個性的に働き続け、不当な理由から職場に、いや世界から見放された時、私にはもう流す涙が残っていなかった。しかし、今なら泣けるような気がする。瑞々しい彼らの逃亡劇が、私の心に少しずつ体温を取り戻していくような気がする。

 そんな瞬間だった。上空の鳶の声も潮騒も国道を往く車のエンジン音も聞こえなくなったような静寂の後。赤ん坊のような、精一杯の声で少女が泣いた。

 人目もはばからずただ叫び、涙を流す『悲観した少女』は立つ事すら出来なくなり、その場に座り込む。『達観した少年』は学ランの上着を脱ぎ、ここまで旅をした運命の人の背中を優しく叩き、寒い潮風からかばうように震える肩にそっとかぶせ、その隣に座った。

 私の頬を熱いものが伝った。

 中二病と呼ばれようと、学校をさぼって遠出をするバカ野郎と罵られようと、これは彼らのかけがえのない財産と呼ぶべき体験だ。

 ただ、若さゆえの間違ったバイタリティが見たこともないような珍プレー好プレーを見せてくれるのではないだろうかと好奇の目でここまで付け回してきた哀れで愚かな自分を、私自身の涙が窘めたのだ。


 私は踵を返した。

 もう、ここに留まってはいけない。『悲観した少女』は私のような下種な目的や感情すら表に出すこともできない臆病者たちのせいで泣くこともできなかったのだ。私がここにいては、彼女はやっと見つけた泣くことのできる場所すら失ってしまう気がする。少なくとも、私が奪うような仕打ちをしてはいけない。


「ヒャッハー!」


 あまりにもムードをブチ壊すドブネズミの断末魔にも劣るような騒音が突然耳を突いた。その方向に目を向けると、4匹のバカ野郎が釣竿をぶんぶんと振り回していた。


「中二病釣りだぁ~! 青春をはき違えて間違った方向にこじらせた救いようのないバカガキの忘れたくなるような恥ずかしい歴史を釣り上げて10年後に暴露してやろうぜ~!」


 あの人のイタいところをつく罵詈雑言と過ぎた悪ふざけ。間違いない、超バクだ。くっ、なんてタイミングで現れやがる…………。

 しかし、私が今、超バクを肉眼で確認したということは、いくら超バクが私を無視してあの二人に狙いを定めているとしても、これは私の夢だ。

 超バクがそれぞれ釣竿を振り上げる。二人は、この騒ぎにまだ気づいていない。そのくらい、必死に泣いているのだ。


「邪魔はさせない!」


 例え夢だとしても、これは私の夢だ。彼らが実在していない私の夢の中だけの住人だとしても、絶対に失ってはならないものがある。


「うぉおおお!」


 体格でも、おそらく腕力でも超バクの足元にも及ばないであろう私は捨て身で超バクに体当たりをした。

 それで超バクの怒りを買って私がどうなったのかは言うに及ばないことだろう。

 しかし、超バクとの劣勢を極める戦いの中で私は思ったのだ。

 やられるのが私だけでよかったと。あの二人は、無事なままなのだろうと。








 けたたましい目覚まし時計の音で朝に連れ戻された私は朝食を食べ、歯を磨いて顔を洗うという一連のルーティンをこなした後、どこへ行くでもなく最寄りの駅から山手線に乗り込んだ。

 ひたすら続くこの電車で私は今日、何かを見つけることが出来るだろうか。




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