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冬瓜

「やりなおしませんか」


 とメールを送ったら、三日後に寿美礼さんからメールではなく段ボールで荷物が届いた。

 側面には引っ越し業者のロゴ。隙間はばっちりとガムテープ。差出人は安西寿美礼、住所は同棲を始めるまで住んでいた町のもの。

 その大きな段ボールを業者から受け取ると、ゴロリと何かが転がる感覚と同時に箱の中身の重心が移動した。壊れ物ではあるまいかと疑りながら、慎重に箱を運び、カッターで気を付けてガムテープの封を切る。すこし湿った段ボールを開くと、青臭いにおいにまみれたなかなかのビジュアルを持つなにかが入っていた。

 色は、例えるならば水死体。水死体など見たことはないが、きっとこんな風に具合の悪そうな青白い色をしているのだろう。小ぶりのスイカなら二つは入りそうなサイズで、先端のヘタを結び目とすれば、つるんとした外面もさしずめ水風船。

 人差し指の背でこんこんと叩いてみると、なるほど、中は空洞でも液体でもないようだ。まぁ、ヘタがついているのだから、植物には違いあるまい。

 一度腰を上げ、換気扇を回してタバコに火をつける。窓を開けないのもベランダに出ないのも、真冬の乾燥した寒気が故。そもそも、一人で住んでいる今ならば、換気扇を回す義理もない。でも、寿美礼さんはタバコは嫌がった。だから今は当時より本数も増えた。


「タバコを嫌がる人とよりを戻したいタバコ税高額納税者」


 そっと口に出して、悲しくなる。






 寿美礼さんとの出会いは高校一年の時。同じクラスではあったが、交流は社交辞令以外はなかった。たまに女子が見てる球技大会や昼休みのミニサッカーではいいとこ見せようとしたとか、でもそれは男子なら当たり前のことだ。誰だって張り切るし、それでケガをしたヤツもいた。オーバーヘッドは危険だし、柿は意外と固いので妙な踏み方をすれば足を挫く。そういう危険をわきまえていたあたり、結局のところ、俺はサッカーだのバスケだのがしたいんじゃなくて女子にいいところを見せたいの方が動機になっていた。

 で、たまにいい場面をかっさらうことが出来ると、ギャラリーの中に寿美礼さんがいないか無意識に探していたことに気付いたのが確信だった。初恋なんて、案外そんなものだ。

 高校時代は何事もなく、本当に社交辞令以外は何もなく、委員会も部活も当番もかぶらず、雑談する機会はなし。雑談をもちかける度胸もなし。当然、想いを打ち明けるシチュエーションもプロセスもなし。

 寿美礼さんが好きだ、という気持ちは、履歴書の資格欄のようなもんで、聞かれれば答えるし、聞かれなきゃ答えない必要性もなく、でも、まぁ、俺のそれまでの人生の中で得た添加物ではあった。で、それは結局バックナンバーになることもなく大学に持越し。寿美礼さんと同じ大学だったことは幸運だったとしか言えない。好きではあっても、寿美礼さんがその大学だから、という理由だけで志望校のレベルを上げ下げするほど寿美礼さんへの思いは強くなかった。縁がなかったとすっぱり割り切れる。

 他に知り合いのいない大学と言う新しい環境の中で、例え交流はなくとも知らない顔ではないという事実はアドバンテージだった。さほど社交的ではない俺と寿美礼さんはお互いに野球のランナーのリードのように、安全圏にお互いを置きつつ、別の交流を広めようとしていった。そして幸運は重なり、サークルの新歓コンパで大学生のテンションの高さを目の当たりにした寿美礼さんは自分はあの勢いにはついていけないと自覚し、帰塁。少しの友達以上恋人未満の期間を経た夏のある日、俺の想いは報われることになる。

 思っていた以上に俺と寿美礼さんは相性が良かったらしく、交際は順調に進んだ。当時をすでに遠い記憶として思い出せる今なら、いかに自分たちが適度に清潔で不潔で順調で、翻れば没個性的と言えるほどだったと客観的に見ることが出来る。そんな交際を破局まで4年も続けてきた。

 2年目には同棲を持ちかけ、駅から10分ほどの安アパートを借りた。

 思い返せば、罅はあそこで生じていたのかもしれない。新歓コンパで酔いつぶれて学生が一時的とはいえ嫌いになるような寿美礼さんよりも、高校生時代と変わらず良いところを見せたい動機が変わらなかった俺の方が幼稚だった。つまるところ、金。

 二人で同じ屋根の下で同じ釜の飯を食うためには、まず屋根と釜の中身が必要だ。その屋根を借りるためと釜の中身を買う金を稼ぎたい一心だった俺は、目に入ったアルバイト募集には全て応募したのではないかと思うほどアルバイトを入れた。結果、俺と寿美礼さんの生活水準は高くなったが、学校とアルバイトばかりでほとんど眠りに帰るだけの屋根、談笑を楽しむこともなくただ食うだけの食事と、生活水準と反比例して生活は淡泊なものになっていった。過労に耐え兼ねた俺は一度、病院にも運ばれた。迷惑をかけた分、寿美礼さんにいい思いをさせてあげなければならないと思った俺は、懲りもせずに働き続け、寿美礼さんにいいものを食べさせ、いいものを贈った。可処分所得のほとんどは寿美礼さんのために使った。だが、それは金さえあれば誰でも買えるものであって、俺という人間が寿美礼さんにしてあげられるベストなものではなかったのも今ではわかる。きっと寿美礼さんの心はこの頃から俺から離れていったのだと思う。

 そして、必然的に勉学に割ける集中力も時間も足りなくなり、寿美礼さんより少なくとも一年は遅く卒業することが決まった。

 先に卒業した寿美礼さんは適度に苦戦しつつも就活戦線をくぐりぬけ、中小企業のOLとして働くことになった。そうなれば、経済力の差は歴然だ。お互いが学生だった頃は働き通した俺の方が稼いでいたが、社会人になれば寿美礼さんは正社員だ。安定感も違うし、勉学が本分の学生のままの俺と労働の義務を背負う寿美礼さんでは身分が違う。

 一浪したこともあり、就活で苦戦していた俺は、経済的に自立できるようになった寿美礼さんに対し出来ることがなくなり、寿美礼さんのために自分が何をしてあげられるのかがわからなくなり始めた。それでも俺は就職活動をしつつ、稼ぎ続けていた。タバコはこの頃に始めた。

もうお金は大丈夫だから、自分のことをがんばって、と言わなかったのは、病的に寿美礼さんに尽くさねばと、荒みきっていた俺の精神への配慮だったのだろう。

 卒業をしてしまって事実上のヒモとなり、アルバイトも控えめになっていった。

 そして、ある夏の暑い日、不文律となっていた「俺は一生フリーター」を俺はうっかり口を滑らせてしまった。

 そして寿美礼さんはただ一言だけ言った。


「もうもたない」


 それが持たない、だったのか保たないだったのかはわからない。

 翌朝、寿美礼さんは出て行った。俺は追いかけることもできず、連絡を取ることもできなかった。もう寿美礼さんにはいつ愛想を尽かされてもおかしくないと思っていたのだろう。自分以外はもう誰もいない部屋では無意味だとわかっていてもふとしてしまう目配せは減っても、その無意味さを噛みしめるうちに喪失感は大きくなっていく。部屋のあちこちに根付いた思い出は悲しみとなり、澱となって心が淀んでいく。

 その虚無感が閾値に到達し、もう冬になってからの復縁メール。実に情けない。

 だが、こんな大きな実を送り付けられても俺の心には困惑しか生み出さない。正体のわからないものから、どうやって寿美礼さんの意図を察しろと言うのだ。

 タバコを吸い終え、始末をしてからパソコンに向かい、検索エンジンに届いたものの特長を乱暴に叩きつけるように入力する。

 家庭菜園だと植物図鑑だののページをいくつもまわり、寿美礼さんから送られてきたみょうちきりんなものが冬瓜だとわかった。

 本来は夏に収穫される野菜の一種であるが、保存方法次第では他のウリ科の植物では保たない冬まで保つことから、この冬瓜という名がついたらしい。


「意図がわからん」


 誰もいないのに角が立つような口調で呟いてパソコンの前を離れ、また換気扇へ。

 冬瓜がなんだってんだ。


「ヒャッハー!」


 突然の騒々しい声が耳を突いた瞬間、窓が粉々に砕け散った。俺は驚いて窓から外を覗くと、上空には改造バイクに跨ったモヒカン頭のバク、つまり超バクの群れが。彼らは『バクの炎』以降に現れたバクの新種だ。二足歩行で人語を操る。外見も人間と大差がない。バイクを運転し、あまつさえ改造して飛行可能にしてしまうまでに高い知能を持つ。性格はいたって凶暴、パンクファッションを好み、斧や棍棒、ボウガン、さらには火炎放射器まで持ち出し、群れをなして暴徒と化す。主食は人間の夢。夢を食われた人間は、起きた時には夢をバクに食われたこと以外は何も覚えていない。何をされてもダメージはなく、夢の中にしか出現せず、強いてあげるならば起床時に虫の居所が悪くなる程度で、実害はほとんどない。と、当局は発表。

 当局の発表は正しかったようだ。現に、今、超バクは俺に向かって突っ込んでくる。


 つまり、超バクがいるということは、今この寿美礼さんから冬瓜を受け取った俺は、現実ではなく夢。

 こんな悪夢なら、このまま食われてしまってもいい。起きた時の俺は、案外すっきりしているかも。

 そう考えていたのに、俺は一直線に冬瓜に向かった。

 何か意図があるはずなんだ! 例えそれが、俺にとって良いことだろうと悪いことだろうと、これは寿美礼さんから送られたもの。例え夢の中でも、寿美礼さんは寿美礼さんだ。その寿美礼さんのメッセージを理解するまで、俺は食われる訳にはいかない。

 撃ちこまれるボウガンの矢を避けて冬瓜をまるで女性のように大事に抱え、裸足のまま玄関から飛び出す。

 いつまで逃げ切れるかわからない。でも、俺はこの冬瓜のメッセージを受け取らねば!


「ヒャッハー! ほーらぁ、逃げてみろよぉ!」


 上空からバクのあざ笑う声。これを覚えているのなら、今日の寝覚めは最悪のものになりそうだ。

 冬瓜冬瓜。言葉遊びの類の何かか? 冬瓜…………

 冬瓜は本来夏に収穫するもの。それが冬まで持ち越す。

 俺たちが付き合い始めたのは、夏。その時の、あの付き合い始めた頃、一番お互いに幸せだった頃の気持ちは、冬、つまり今までまだ保っている。そういうことなのか!?

 いや、冬瓜は何年も持つものだとの記述はなかった。そういえば、別れたのも夏。今年の夏だ。この冬瓜は、夏に別れた時の気持ちは冬になった今もまだ変わっていないということか? 

 そんなことを考えている間に、いつの間にか俺の両脇を超バクが運転するバイクが並走している。走る足にブレーキをかけ、踵を返してバクを振り払うように走り出す。

 まだまだ。まだ食われる訳にはいかない!


「ヒャッハー! 往生際の悪い奴だぁ~さっさとくたばれぇ!」


 転回して俺に追いついたバクはいたぶるように速度を落とし、両耳にそれぞれ違う罵声を浴びせる。その罵声の中で、聞きなれた声が俺の名を呼んだ。

 進行方向に目をやると、そこには寒さで頬を真っ赤にさせた寿美礼さんがいた。

 どういうことだ。でも、いま俺がやるべきことは何故寿美礼さんがいるのか、冬瓜のメッセージはなんなのかを問うことではない。


「寿美礼さん! 来るな! 逃げろ!」


 俺の声で寿美礼さんの存在に気付いたのか、超バクも顔を進行方向に顔を向ける。


「なんだぁ~てめぇは~」


「上玉だヒャッハー!」


 超バクはニタニタと笑いながらボウガンに矢をセットする。鏃は俺ではなく寿美礼さんに向けられている。


「寿美礼さんに手ぇ出すな!」


 俺は渾身の力でジャンプし、超バクのボウガンを奪って寿美礼さんへの攻撃を阻止することに成功した。


「見るな寿美礼さん!」


 ボウガンを超バクに向け、引き金を絞る。


「なァ~んだてめ…………あべしっ!」


 超バクに命中、バイクごと墜落した。


「寿美礼さん! 冬瓜のメッセージはわからない! ごめん! でも、俺には言いたいことがある」


 そこまで言ったところで、地面がどんどん近いてくるのは自分がつんのめったからだとわかる。足に矢が刺さっているのは、別の超バクが俺をボウガンで撃ったからだろう。


「ヒャーハッハァ~! 何本目に死ぬかなぁ~?」


 馬鹿笑いをする超バク。死ぬことが例え前提だとしても。


「寿美礼さん、今でも愛してる! 実は高校生の時からずっと! 愛してる!」


 別に、よりを戻したいんじゃない。そのことを、伝えたかったのだ。


「うっ!」


 二本目の矢が刺さった衝撃が全身を走ったのち、俺は意識を失った。











「おはよう、寿美礼さん」


「おはよう。すごい顔してるよ」


 待ち合わせ場所の駅で挨拶をかわし、俺と寿美礼さんは大学へ向かう。


「うん、なんかすごいひどい夢を見たっていうか、胸糞悪い寝覚めっていうか」


 と俺は頭をかく。


「大丈夫かな?」


「やな夢ってだけでしょ。気にすることないよ。あ、そういえば、この間の話」


「この間の話?」


「ど、同棲の話なんだけど…………」


「うん」


 と、お互いに頬を紅潮させる。


「まだ早いんじゃねーかなぁと思うんだよな。大学出たらにしようよ」


「そうね。その方がいい」


「まぁ大学出たらもう結婚かもしれないなー、なんて…………。お、冬瓜だ」


 恥ずかしさを散らすように、話題をそらす。

 八百屋に並んだラインナップの中でも一際大きな存在感。どっしりとした巨大な水風船のようなインパクトのあるビジュアル。


「あんなの、食べられるんだ」


 と驚く寿美礼さん。


「夏に収穫しても、冬まで保つんだぜ」


 と、知識をひけらかしていい気分になる。


「詳しいんだね」


「寿美礼さんが知らないだけだよ。」


「じゃあ、冬瓜の花言葉も知らないよな。冬瓜の花言葉は…………」


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