血
代々続く医師を生業とする岡崎家の三男坊として僕は育ってきた。兄たちは既に医師への道を盤石のものとさせており、岡崎家の跡取りの心配は一切なかった。だから僕は兄たちとは違い、周囲からのプレッシャーもなく、比較的のびのびと成長してきた。
だからこそ、僕が医師を目指すということは家族にとっては衝撃だったらしい。
父は「医者以外の人生もある」。
母は「無理をしなくてもいい」。
兄は「俺たちでは頼りないか」。
どう解釈しても、僕が医師を志すことは歓迎されてはいなかった。僕は家系とかそうものではなく、好きな漫画の主人公が医者だとか、人を救う職業はとても尊いとか、父が医師で経済的に恵まれてその恩恵を自分も受けているからとか、いくらでも理由はあったのだが、どうやら正当な理由ではないということらしい。兄たちが受けたプレッシャーを受けることもなく、兄たちが許されなかった職業を選ぶ権利を持ち、ある程度の自由があった僕が、その自由の中から医者を目指すことはそんなに悪いことなのか。
僕はその時、何が正しいのかとか自由だとかは、過去の基準によるもので先人たちの後世に生きる僕たちにそれを決めたり選んだりする権利はないのだと気づいた。
その頃、世間を賑わせていた話題は専ら吸血鬼についてだった。
人の血を飲まねば生きられない人種がいることは世界中が周知の事実、今更取り上げる理由もないように思えた吸血鬼問題は、人権団体が吸血鬼と言う呼称に鬼、という言葉が入っていることが人権侵害だと訴え、東欧で国を相手に人権団体が訴訟を起こしたことを発端に、各国の吸血鬼に対するスタンスの再確認と見直しが問われていた。
日本に住む僕からすれば吸血鬼問題はそれ以上でも以下でもないものだったが、吸血鬼の多く住むヨーロッパでは未だに解決されていない問題らしく、各国によって違う認識を万国共通にするべきだと世界中を巻き込んでの大騒ぎとなった。
最も注目を浴びたのはEU圏の某国。その国では「吸血鬼は人間ではない」と定められており、そのことに人権団体が憤慨、大使館が襲撃を受け、「人間とそうでないものの境界線を引く」会議が行われた。そこで「人間と同じ言語を操る者は人間」という人権団体に対し、怒りが収まらない某国は信じがたいことにいくつかの単語を教え込ませたオウムを会議に出席させ
「ならばこれも人間か!」。
もはや吸血鬼問題は泥仕合だった。そして対岸の火事ではなくなった日本もご多聞に漏れず、吸血鬼に参政権等の人権を与えられていないことを抗議し始める団体が現れた。すると、今度は日本国籍を持つ吸血鬼に参政権を与えるという公約を提示した政治家の選挙事務所が吸血鬼排斥団体により襲撃され、日本でも吸血鬼問題は泥沼化。
もうどうしようもない、という時に僕は斎藤に出会った。
斎藤は同じ中学の同級生。友達はいない。同じクラスになるまで、いたことも知らなかったほど影の薄いヤツ。色白で細身、モヤシという言葉がピッタリだった。どこから出たかは知らないが、彼は吸血鬼という噂が立ち、今まで以上に遠巻きにされるようになっていた。世界中を賑わせている問題でもあり、家族と進路のこともあり、僕は斎藤を放っておけなかった。
「斎藤、お前って吸血鬼なの?」
ある日、僕は一人で弁当を食べている斎藤に声をかけた。
「クォーター」
「クォーター?」
「祖父は純血」
「つまり、お前は混血?」
「うん」
斎藤は僕の方に一度も振り向かずに淡々と答えた。
「…………隠さないんだな。意外だ。噂は本当だったのか」
「訊かれたら嘘はつかないよ。誰も俺に訊かないから、噂の域を出ないだけで」
「ふぅん」
「でも、あんまり人には言わないでほしい。すごく厄介」
やはり、居心地が悪いのは自分だけじゃなかったのだと、僕はとてもうれしかった。きっと、斎藤は自分の辛さを理解できる。そう信じて疑わなかった。
実際、斎藤とはそれをきっかけに親友と呼べるくらい仲良くなれたし、斎藤は吸血鬼の置かれている環境のあれこれを教えてくれた。吸血鬼の生存に必要な血液は、日本の場合は国が医療機関を通して輸血用の血液を支給していること、吸血鬼の人権を主張する団体には一人も吸血鬼がいないこと。
「みんな知らないけど、困ったことに日本で吸血鬼はかなりいい扱いを受けてる。迷惑って言ってるんじゃないよ。でも、医療費は無料、一部の税金が免除、収入に関わらず一定額の支給なんかはホントに困るんだ。吸血鬼に対する認識は国民と政府では意見に相違がありすぎる。国民からしたら、いつ自分たちを襲うかわからないような生き物に自分たちの税金がつぎ込まれてると知ったらいてもたってもいられないだろうし、吸血鬼達も各々自立できるくらいの経済力はある。ウチだって、俺を私立中に入れる余裕があるくらいだから全然困ってない。多分、経済支援も何もかも、国が吸血鬼を切り捨てるときにやりやすいんだと思う。金銭が絡むとやっぱり人は目の色が変わるから、国内で反吸血鬼の意識が高まってこの待遇を知ったらまず叩かれるのは経済支援だ。そして、経済支援をスケープゴートにして吸血鬼達を切り離し、政府は今まで払った金を手切れ金として吸血鬼と縁を切ったポーズをする。でも実際はそれにも組織が絡んでいるわけだから、官僚の天下り先として吸血鬼は一部階級に求められる存在だ。それに、税金を免除されるのは国は吸血鬼に日本国民の義務も果たせてくれないのか、とむなしくなる」
「斎藤、すごく頭いいんだな」
「そう言われたくて、頭よさそうな言葉も覚えたんだよ。実際は誰かの受け売りだから、よくわかってないんだ。一言一句覚えた訳じゃないから、間違ってるかもしれないし」
「実はすごくしゃべるんだな」
斎藤が誰かとしゃべっているのを僕は見たことがなかった。だから斎藤と話せたことは嬉しいし、そして少なからず、斎藤にここまで話させたことにも達成感を感じていた。
「ずっと話し相手がいなかった。だから、俺は結構張り切ってる。吸血鬼って言って引かれなかったのも初めてだし、祖父の武勇伝でも語りたいくらいだ」
と、斎藤は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに言った。
結局、各国の吸血鬼問題がどうなったのか僕はよく知らない。吸血鬼の吸血は、嗜好や文化ではなく、生命維持に最低限必要なことと認められたあたりまでは報道されたが、日本での吸血鬼問題は芸能人のスキャンダルとか、日々上書きされていく話題に埋もれて風化していき、その結末は曖昧なままだった。
「岡崎、俺も医者になるよ」
エスカレーターで付属の高校に進学した高1の冬、街頭テレビで午後ドラマの再放送をみながら、斎藤は突然言った。
「医者になり病院から輸血用の血液を支給してもらうことを個人的に契約する。国からの支援はいらない。吸血鬼ではなく、斎藤一樹として」
医師を目指していることは斎藤に言ったことがなかった。斎藤には周囲には隠しておきたいようなことを何もかも言わせておきながら、僕は自分が隠しておきたいことは斎藤にも絶対に言わなかった。訊かれなかったから言わない、という斎藤の弁を借りれば正当化できなくもないが、フェアではないとは思っていた。でも、吸血鬼問題のようにそんな罪悪感も、一年間の付き合いの間に風化しかけていた。
「…………岡崎家はみんな血反吐吐きそうになりながら勉強して、それでもきつかったって言ってるけど?」
「血反吐吐く程度で吸血鬼辞められるんなら安いもんだよ」
「そっか」
そこで一瞬、間を開けて
「じゃあ、僕もなるよ。医者に。斎藤とは違う動機かもしれないけどさ」
「いや、かっこいいこと言ったけど、本当は好きな漫画の主人公が医者とか、人の命を救うことは尊いとか、岡崎見てたら医者になったら金には困んないんだろうなぁ、とか、そんなもんをある」
「なーんだ、一緒じゃねぇか」
と僕と斎藤は笑った。
「なんでもいいんだよ。自分したいことをすればさ。過去のしがらみから抜けるのも、未来を夢見るのも」
なんて、大人になったら言えないような恥ずかしいことを言いながら。
『ヒャッハー!』
突然の耳障りな音の方に目を向けると、街頭テレビに謎の生物が映し出されていた。背景は、夕方のニュース番組のスタジオ。アナウンサー数人が猿ぐつわを噛まされ、縛り付けられている。画面の上には「番組の予定を変更して放送しています」の文字。謎の生物が夕方のニュースのスタジオを占拠したことで午後のドラマの再放送が潰れたのは一目瞭然だった。
『俺たち超バクも、この世界での吸血鬼のように不当な扱いを受けてきた! だが、それも今日までだ! 日本政府に要求する! 日本政府はバクに対し全ての権利を譲渡しろ! もちろん、内閣総理大臣の座もだ! そして貴様ら人間どもは全て、俺様の奴隷になるがいい! てめぇらの泣くも笑うも俺の気分次第だぁ~! ヒャッハッハッハァ~!』
僕は呆然としている斎藤の制服を掴み、乱暴にゆすった。
「なんだよ、これ!」
「なんだよって、知る訳ねぇだろ!」
「斎藤! 悔しくねぇのかよ! あの言い方じゃ吸血鬼まであの化け物の同じみたいじゃないか! 何ぼーっとしてんだよ!」
斎藤は僕の手を振り払った。涙をためた斎藤の顔が一瞬だけ見えた。
「それが悔しくてぼーっとしてんだろうが! 岡崎にこの気持ちはわかんねぇよ!」
斎藤に突き飛ばされた僕はそのまま転倒し、アスファルトに頭をぶつけて気絶した。
「斎藤、起きてるかー」
「吸血鬼が昼間寝てると思うなよ」
「いや、吸血鬼は寝てなくても、暫定無職は寝てる時間帯かなーと思って」
「残念、暫定無職は今日は朝から撮り溜めた海外ドラマ消化してたので起きてましたよ」
不機嫌な口調で斎藤が答える。
「で、まぁ本題だけど、来週合コンあるんだけどさ、斎藤来いよ。最近吸血鬼系男子流行ってるし、今は暫定無職でも医師免許持ってるとなりゃそこそこ希望持てるだろ?」
「焼肉じゃなけりゃいく。未だに生レバーネタ言われるからな」
俺は笑って、「じゃあよろしくー」とだけ返し、電話を切った。




