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パキケファロサウルス

 格闘において最も優れた攻撃は頭突きであるなんていうことは聞いたことがない。脳が 揺れて危険だし、固い部位とだけあって格闘技の試合では相手にも致命傷を与えかねない。 しかし、裏を返せばルールのない実戦においての頭突きは非常に強力な技だと言わざるを得ない。そうでなくとも、頭突き、にはなんとも言えない男気を感じる。頭という人間最大の急所を使い、頸部にも大きな負担をかける諸刃の究極の打撃。男気溢れる。想像してほしい。大量の不良に囲まれた自分が、その不良の一人の髪の毛を掴み、ぐいっと引き寄せて額と額をゴチーン! とぶつけ合う。その反動の痛みに耐えつつも、崩れ落ちた相手を見下ろす男気。頭突きにはロマンがある。頭突きをしてこそ、男だ。


「って考えてしまうんだ」


 と、岡崎にこぼす。


「大丈夫か吉村」


 岡崎は心配そうに尋ねる。


「大丈夫じゃないかもしれないんだ。俺は…………俺はいつ人に頭突きをしてしまうかわからない」


「俺は脳外科だからなぁ。門外漢だ」


「やっぱり、精神科に行った方がいいのか?」


「紹介しようか?」


 本当にいつからこの衝動に駆られるようになったのかは全く分からない。映画や漫画で頭 突きがかっこいいと思ったことはあっても、頭突きをしたい、と思ったことなどなかった。しかし、気づけば日々の生活の中で私は明らかに頭突きを多くしていたのではないか。 例えば、荷物を持っていたりして両手がふさがっているとき、扉を閉めるのに頭で押して 閉める。足を使えばいいのだが、頭を使うこともあるだろう。私はこの場合、十割、頭で行く。以前はそっと押していたのだが、今では首を振りかぶり、額がヒリヒリして扉がビリビリと震えるほど強く「ダンッ!」。両手がふさがっていなくても扉を頭突く。確かに額に痛みは残るのだが、何故か快感を得てしまう。その快感が忘れられず、冷蔵庫の扉にも頭突き。抽斗にも頭突き。最近では、クローゼット、半開きのトイレの扉など、頭突きして開閉できるものにならなんにでも頭突きをして開閉している。少しドアノブを握り、動かせるようになったらすぐに頭突きをして突き破るように扉を開けている。妻に怪しまれないように、子供が真似しないようにと気を使ってはいるのだが、頭突きをせずにはいられない。 幸いにも、家族にも見られてはいないし扉の開閉以外に頭突き衝動を催したりはしないが、明らかにその頻度も威力も増してきている。これが今度、人にまで頭突きをしたくなってしまったら…………。もう考えたくもない。


「精神科か」


 自分から言い出したものの、やはりその言葉の響きには少し抵抗がある。本心では「必要ない」と言ってほしかったのだがプロに言われてしまってはしょうがない。犯罪者が精神鑑定で罪が軽くなるなんてこともあり、そこでなにかしらの診断が下ると自分 まで犯罪者になってしまうような気さえする。しかし、このままエスカレートすれば「会社員、頭突きで学生を線路に突き落とす」なんて見出しと共に容疑者の吉村、なんてことになるかもしれない。


「海外じゃ誰もがセラピーを受けたりしてるし、その頭突き衝動を早い段階でまずいこと だって思えてる分、今のうちに相談しとくべきだ」


「あんまり気が進まないなぁ」


「ほら、高校の時に斎藤一樹っていただろ。あれ、精神科やってたんだよ。今は諸事情があって休職してるけど、相談してみるだけならいいんじゃないか?」






「頭突きねぇ」

 岡崎と話した一週間後、斎藤に頭突きのことを相談することになったのだが、私は斎藤の ことをほとんど覚えていなかった。高校時代から岡崎と斎藤の仲が良いのは知っていたが、まさか二人とも医者になっているとは思わなかったし、休職中、というのもどういうシチュエーションなのかもわからない。


「やっぱりまずいよな?」


「そりゃ、ものを壊したり人を怪我させたりしたらまずいだろう」


 そんなことはわかってる。お前は精神科の医師じゃないのかと糾弾したい気持ちをぐっと飲み込む。


「そうだなぁ。例えば、家の照明あるだろう。あれのスイッチ。あれには頭突きしたくなら ないのか?」


 照明のスイッチ? 考えたこともなかった。今までは扉、に固執していて、そのうちに人 に、としか考えていなかったが電灯のスイッチ。ほとんど壁だ。まともに頭突けば額だけではなく、首も痛めてしまうだろう。下手したら脊髄損傷。壁紙もやぶれるだろう。もしかしたら、壁に穴が開くかもしれない。


「子供が寝ちゃって、二階の寝室に運ばなきゃいけないけど抱きかかえてるから頭で階段の照明をつけなきゃいけない時とか」


 寝ている子供を抱きかかえて、頭突き? もし、子供がマフィアに捕まっていて、それを助け出したが以前気絶したまま、マフィアのアジトから脱出する時に手が使えないから構成員に頭突きを食らわせるとかだったら、ハリウッド映画みたいですごくかっこいいじゃないか。


「まずい、やってみたくなる」


「そうか」


 斎藤はブラッドオレンジジュースをストローで一口すすった。


「今、俺は医師免許を停止させられてるから、別にこれは診断でもなんでもないということを先に言っておこう。俺の好奇心も少なからずあるが、吉村がどこまで頭突きをしたいのか探っていこうか」


 医師免許を停止させられる?


「効果はあるのか?」


「確認することで吉村が今後、無意識のうちに頭突きをかますことがないように気を付けさせる」


「わかった」


「で、照明のスイッチは?」


「…………頭突きたい」


 少し目をそむけて答える。


「じゃあそうだな。つり革はどうだ?」


「つり革?」


「電車とかバスのつり革。頭突きしたら、よく揺れそうだぞ」


 あの垂れ下がった三角形に頭突き。そしてゆらゆらと揺れるあれをサッと避ける。


「頭突きたい」


 今日の帰りの電車から気をつけねばならない。そう思うと、冷や汗で背中がびっしょりと濡れてしまう。


「センタリングには」


「ヘディングシュート」


 ダメだ。頭突けるものならなんでも頭突きたくなっている。サッカーはゲームでたしなむ程度だったが、もうダメだ。ヘディングしか考えられない。


「斎藤、ダメだ。俺は重症だ。考えたらヘディング以外にありえない」


「なら、気をつけろ。音楽のコンサートに行ったらヘッドバンキングも確実だな」


「したい」


「テレビのリモコンのボタンにも頭突きたいと思うか?」


「考えたこともなかった。だが、そう言われるとリモコンのボタンも押すんだよな」


「頭で押すことは別に禁止されてはいないが」


「気を付けよう。斎藤、もういっそ正直に言ってくれ。俺はちゃんとした診察を受けた方がいいよな?」


「その程度なら診察受けても薬出されるだけだぞ」


「なら、どうすればいいんだ? 俺は、お前が人に頭突きをしたいか、と訊いたら頭突きた いと言ってしまうぞ! そうしたら俺の人生は終わりだ!」


 斎藤はブラッドオレンジジュースを吹き出した。


「ごめん、ツボに入った」


「笑い事じゃないんだ! お前は、必死な患者の前でもそうするのか!」


「だったらどうする。頭突くか?」


 口元を赤く染め、笑う姿はまるで吸血鬼じゃないか。血も涙もないのか。


「まぁ、いいだろう。吉村。扉、照明のスイッチ、ヘディング、ヘッドバンキング、リモコン。これに対しては、頭突かないように気を使ってみろ」


「使ってる! 頭突きたくなくなるにはどうしたらいいのかって俺は訊きに来たんだ!」


 拳をテーブルに叩きつけて怒鳴る。喫茶店中が一瞬静まり返る。斎藤は口元をぬぐい、まつ毛ひとつも動かさない。


「お前は、医師に同じことを言われてもそうするのか」


 私は口ごもり、拳をテーブルの下に隠す。思い切り叩きつけたせいか、今になってじんじんと熱を持って痛んできた。


「気を付ける。それ以外に対処方法なんてないんだよ。むしろ、それで済むのに処方箋を書きまくって患者をヤク漬けにする悪徳医師の話でもしてやろうか? 俺がどれだけ良心的かわかるぞ」


 くそぉ、この鬼め。正論を言われたらこっちからは何を言ってもみっともないだけじゃないか。


「自制すること。いい大人なんだからそれをしろ。実際のところ、吉村は今まで家族にばれずに頭突いてきたんだろ? これからもそれを続ければいい。そのうち慣れる。つまり、我 慢して、慣れて、治せ」


「わかった。努める。怒鳴ったりして悪かったな。嫌味じゃないぞ」


「わかってる」


 と、斎藤は涼しい顔のままだ。


「ここは俺が持つよ」


 我慢して、慣れて、治せ。斎藤は何も間違っていないだろう。だが、言うのは簡単でも我慢することをずっと続けるのはフラストレーションが溜まる。扉、切符の券売機のボタン、つり革、バスの停車ボタン、扉、照明のスイッチ。 斎藤と話してからも頭突き欲は収まらなかったが、結論を言うと私は一週間、一度も頭突かなかった。もちろん、扉の開閉にもだ。ヘディングやヘッドバンキングを観ないようにス ポーツニュースや芸能ニュースを避け、リモコンを避けるうちにテレビは観ないようになっ た。携帯電話はキーを頭突かないように手でしか操作できないスマートホンに機種変更。パソコンのキーボートは自制心を持って頭突かないように努めた。 一度でも頭突いてしまうと、斎藤に馬鹿にされる気がしたのだ。人が真剣に打ち明けた悩 みを聞いてジュースを吹き出すようなヤツに馬鹿にされることを考えると、頭突きをしたく なる衝動などいくらでも、我慢できる。

 今日も一日、外では頭突かずに済んだ、とほっと胸をなでおろしながら仕事から家路についたある晩。近所一帯がめちゃくちゃに破壊されていた。


「な、なんだこれは」


 あまりの衝撃に私は思わず鞄を投げだし、我が家に走った。一体何が起きた。誰がこんなことを…………。いや! 妻と子供は無事なのか。家に向かって走っている間に、破壊された風景が徐々に見えなくなればいい、と思った。しかし、私の家まで破壊の痕跡が続いていて、門の前には妻が倒れていた。


「おお、あ、あなた」


 倒れる妻を抱きかかえる。意識も朦朧としているようで、どうにか声を絞り出しているような状態だ。


「い、いったい何が!?」


「やつらが突然町におしいってきてメチャクチャに…………」


 と肩で呼吸をしながら妻。


「ヒャッハー!」


「ウワッハハハ!」


 モヒカン頭の異形の怪物たちが愛しい我が息子を脇に抱えて図々しく我が家の玄関をくぐって外に出てきた。息子は動いていない。怒りのあまりに歯を食いしばった瞬間。私は反射的に化け物に頭突きを食らわせていた。

 私の渾身の頭突きを食らった怪物はを悲鳴を上げて息子を放し、私はすぐに息子を奪い返して抱いた。呼吸はしている。脈もあるが、意識は戻らない。


「うおおお!!」


 もう一発、怪物に頭突き。家族、家、頭突かないという誓い。それまで築き上げてきたものが一瞬にして崩れ去った。私は初めて怒りに我を忘れた。視界に入った化け物は片っ端から頭突き。家の中から出てくる怪物、バイクに乗ってさらにどこかからやってくる怪物、全てに頭突きを食らわせた。


「はー、はー」


 そして、気が付いてたった一人で地獄と化した我が家に立っていた時には


「ううおおおおおお~!!」


 例えようもない悲しみが私の胸をつきあげた!


「という夢を見たんだが岡崎、俺は精神科に行った方がいいのか?」


「紹介しようか?」


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