第4話 伝説の魔獣、フェンリル……その親です。
木々の間から現れたのは、一頭の巨大な狼だった。
灰色を基調とした毛並みは、月明かりを受けた銀のように輝いている。
その身体は、普通の狼とは比べものにならないほど大きい。鋭い眼光と、全身から漂う圧倒的な魔力。その姿には、森の主と呼ぶにふさわしい威厳があった。
「……大きいわね」
リンナが剣の柄に手を添えたまま、警戒を崩さずにつぶやく。
「ええ。かなりの魔力を感じます。普通の魔獣ではありませんね」
ミルファも杖を構え、相手の様子をうかがっている。
一方、フロウベルは二人とは違う反応を見せていた。
「……わぁ、見事な毛並みですね。モフりたい!」
「わぁ、じゃないわよ! ちょっとは警戒しなさい!」
リンナの声に、フロウベルは落ち着いて答える。
「大丈夫ですよ。狼さん、警戒はしてますけど、敵意はありません」
そのときだった。
「きゅんっ!」
先ほどまでフロウベルのそばにいた小さな獣が、嬉しそうに鳴いた。
そして、スライムたちの防御陣をすり抜けるように駆け出す。
「えっ、ちょっと!」
フロウベルが止める間もなかった。
小さな獣は、大きな狼の足元まで走り寄ると、尻尾を大きく振りながら身体をすり寄せた。
大きな狼は一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐにその鼻先を小さな獣へ近づける。
そして、優しく頭を舐めた。
「……親子、だったのね」
リンナが剣から手を離す。
「どうやら、そのようですね」
ミルファも杖を下ろした。
大きな狼は子供の身体を確かめるように鼻先で何度も触れたあと、ようやくフロウベルたちへ視線を向けた。
その目には、まだ強い警戒が残っている。
「えっと……この子を見つけたのは私たちです。怪我はありませんでしたよ、カーちゃんが診てくれましたから」
フロウベルは、敵意がないことを示すように一歩下がり、肩のカーバンクルを触る。
カーバンクルを見た大きな狼は、また、驚いたように目を見開いた。
そして、その場にいる全員を観察するように、ゆっくりと視線を動かしている。
やがて、その視線がフロウベルの背後にいるスライムたちで止まった。
「……あなたたち、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」
フロウベルが声をかけると、スライムたちは少しずつ防御陣を解いていく。
その様子を見て、大きな狼はわずかに目を細めた。
『人間よ。我が子を保護してくれたこと、感謝する』
突然、頭の中に声が響いた。
「えっ?」
フロウベルが目を丸くする。
「今の、念話ですか?」
ミルファが驚いたように尋ねる。
「はい。たぶん、この子のお父さんから……」
『いかにも。我はこの森に住まうフェンリル。そなたたちが保護してくれたのは、我が子だ』
「フェンリル!?」
リンナが思わず声を上げた。
「本当にフェンリルだったの!?」
「ほらぁ、リンナがあんなこと言うからフラグ回収しちゃったじゃないですか!」
「言うんじゃなかった!」
ミルファは二人のやり取りを横目に、目の前のフェンリルを観察していた。
「伝承に残る魔獣……四大魔獣とは別の存在ですが、その力は匹敵するかもしれませんね」
「つまり、とんでもない魔獣ってことね……」
リンナが小さく息を吐く。
フェンリルはそんな三人を気にする様子もなく、我が子の身体をもう一度確かめていた。
『我が子はまだ幼く、好奇心も強い。森の中で遊んでいるうちに、我の目の届かぬ場所まで行ってしまったのだ』
「それで、はぐれてしまったんですか?」
『そうだ。気づいたときには、すでに姿が見えなかった。匂いを追って探したが、途中で人間の往来する道へ出たらしい』
フェンリルは一度、森の奥へ視線を向ける。
『我が子を探すため、森の中を広く探し回った』
「あ、だから、あの魔物たち街道沿いまで……」
フロウベルが気づく。
『そうだ。その際、我の魔力や気配に反応した魔獣たちが、住処を変えたり、普段とは異なる場所へ移動したのだろう』
「なるほど……」
ミルファが納得したようにうなずく。
「森の魔獣たちが道路の近くで目撃されていたのは、フェンリルが子供を探していた影響だったんですね」
「つまり、この子を探して森中を歩き回っていたから、周囲の魔獣たちも落ち着かなかったってこと?」
リンナが確認する。
『その通りだ。人間を襲うよう命じたわけではない。だが、我の行動が結果として人間の生活圏に影響を与えたことは認めよう』
「はた迷惑な……」
リンナが呆れたようにつぶやいた。
「それなら、事情は分かりました。これ以上、魔獣たちが道に出てこなければいいんですけど……」
フロウベルは子供のフェンリルを見た。
子供はすっかり安心した様子で、親の前足に身体を寄せている。
「この子、ずっとお父さんを探していたんですね、よかったです」
『ああ。我も心配していた。無事でよかった』
フェンリルの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
フロウベルは子供のフェンリルに視線を向ける。
子供は、近くで跳ねているスライムをじっと見つめていた。
「ぷるんっ」
「きゅんっ!」
スライムが跳ねると、子供も嬉しそうに尻尾を振る。
「……仲良くなっちゃいましたね」
「スライムと遊ぶフェンリルって、なかなか見られない光景ね」
リンナが呆れたように笑う。
その様子を見ていたフェンリルが、再びフロウベルへ視線を向けた。
『人間よ。そなたは召喚士なのだな』
「はい。フロウベルといいます」
『先ほどから、そなたの周囲にいる魔獣たちの気配を感じていた。これほど多くの魔獣を従えているとは……それにカーバンクルまでとは……』
『きゅっ、ベヒモスもいるよ』
要らんことをしゃべるカーバンクル。
『な!?ベヒモスとまで契約しているのか、人間よ』
「え、ええ、まぁ」
『す、凄まじいな。フロウベル、お前人間か?』
「失礼ですね!人間です!か弱き美少女です」
「か弱き美少女ねぇ……」
リンナが混ぜっ返す。
「まぁ、みんな、従えているというか、みんな自由にしているというか……」
「そこは否定しないのね」
リンナが小声で突っ込む。
『我が子は、そなたに懐いているようだ』
フェンリルの言葉に、フロウベルは少しだけ表情を引き締めた。
「はい。でも、私はこの子と召喚契約を結ぶつもりはありません」
「えっ?」
リンナが驚いてフロウベルを見る。
ミルファも意外そうな顔をした。
『……なぜだ?』
「この子はまだ幼いです。寂しかったから、助けてもらったから、だから一緒にいたいと思っているのかもしれません。でも、それが本当にこの子自身の意思なのか、今は分かりません」
フロウベルは、子供のフェンリルを優しく見つめた。
「召喚契約は、お互いの意思を尊重するものです。だから、この子が自分で考えて、自分の意思で私と一緒にいたいと思ってくれるまでは、契約しません」
フェンリルはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと目を閉じる。
『……なるほど。そなたは、我が子を力として扱うつもりはないのだな』
「もちろんです! この子の力には興味がありますし、どんな能力を持っているのか見てみたいとは思います。でも、それを無理に使わせるつもりはありません」
フロウベルは即答した。
「この子が一緒に冒険したいと思ってくれるなら、私は歓迎します。でも、無理に連れて行くつもりはありません」
『よい召喚士だな』
「えへへ……」
「そこで照れるんだ……」
リンナが小さくつぶやいた。
フェンリルは我が子へ視線を落とす。
『我が子よ。お前はどうしたい?』
「きゅん?」
『この人間と共に行きたいのか。それとも、我と森で暮らしたいのか』
子供のフェンリルは、親の顔を見上げたあと、フロウベルの方を見た。
そして、フロウベルの足元へ近づく。
「きゅんっ!」
その小さな身体が、フロウベルの足にすり寄った。
「……そっか」
フロウベルはしゃがみ込み、子供の頭を優しく撫でる。
「でも、急がなくていいんですよ。これからゆっくり考えましょうね」
子供は嬉しそうに尻尾を振った。
フェンリルはその様子を見届けると、フロウベルへ向き直った。
『我が子が自ら選ぶのであれば、そなたとの契約を認めよう』
「ありがとうございます」
『ただし、ひとつ頼みがある』
「何でしょう?」
『我が子はまだ幼い。無理をさせず、危険な目に遭わせぬようにしてほしい』
「はい。もちろんです!」
その返事を聞き、フェンリルは静かにうなずいた。
そのとき、リンナが小さく手を挙げる。
「えっと……ちょっといい?」
「どうしました?」
「今の話って、つまり……フェンリルの子供が、私たちの仲間になるかもしれないってこと?」
「そうですね!」
「……また、とんでもない仲間が増えそうね」
ミルファは苦笑しながら、子供のフェンリルを見つめた。
「まだ契約していませんよ?」
「そういう問題じゃないと思うけど……」
フロウベルは子供の頭を撫でながら、満面の笑みを浮かべていた。
こうして、森の異変の原因は明らかになった。
しかし、フロウベルたちの旅には、またひとつ新しい出会いが生まれようとしていた。




