『ハチドリ』少年の求愛(後編)
しばらくして、父に呼ばれてエメは父の部屋へ向かった。
どうやらチェスを打つらしい。
何だかんだで仲が良いのだと、ナラは思っていた。
「……お父様とお母様、そんなことがあったんだね」
残された母に話し掛けると、母は苦笑した。
「そうね、昔の話だけど……私も若かったから、自分が死んでも大丈夫そうって言われて腹が立ってしまったのね。医療に携わる人間としても、命を軽く考えているのは受け入れられなかったの」
遠い目をして母は話す。
その目は懐かしさをはらんでいた。
「そんな人から『貴方が必要』って言われたから、私も添い遂げたいと思ったの」
「わぁ……」
両親のこういったことを聞くのは照れくさい。
けれどナラは素敵だな、と思った。
「でも、お父様がエメを諭したのはちょっと意外だったな……」
ふと、ナラは思った。
自分は確かにエメに「待っている」と伝えてほしいと父に言っていた。
しかし、正直諭すまでするとは思っていなかった。
それに対し、母は少し困ったように笑う。
「お父様は人の気持ちに疎いけど……そうね、エメは私達の国が正しい支援をしていたら、いなかったであろう被害者でもあるから。……お父様の仕事柄、守らなければならない人間でもある、と思っているのでしょうね」
あ、とナラは言葉を詰まらせた。
母は続けた。
「何よりも、ナラに幸せになってほしいからでしょう。エメも最終的にナラを助ける道を選んだから、そこは信頼しているのかもね」
「そ、そういうものなのかな?」
戸惑うナラに、母は「そういうものよ」と微笑んだ。
*****
帰宅する時間になり、エメを送ろうとナラが立ち上がった。
━━歩道を歩く二人。
寝起きの口付けのことが思い出され、何となく気まずい雰囲気が流れていた。
「あのね、今度の休日なんだけど……」
それを打開するためか、ナラが切り出した。
「港に大型の旅客船が着いて歓迎のイベントするんだって。出店もやるみたいだから、良かったら一緒に行かない?」
「うん、もちろん」
「楽しみだなー」と言うナラは相変わらずぎこちない。
エメは意を決して足を止めた。
「あのね……ごめん」
急に止まったエメに、ナラは振り返った。
「初めてのキスだったのに……あんな風になってごめん」
「あ、あれね。あはは……」
そう、初めてのキス……。
ナラは頬を赤く染めた。
しばらく黙っていたが、やがておずおずと口を開く。
「あ、あのね……エメがいつも私に合わせてくれてるの分かってる。だからその……今までキス、とか……しないでくれてたんだよね?」
胸が高鳴っているせいなのか、上手く言葉が出てこない。
それでもナラは一生懸命に気持ちを伝えようとしていた。
「……だから、その、私も答えたい……エメの気持ち。好きだから、私も触れたいと思うし……」
エメは目を見開いた。
歯止めが、一つ剥がれる。
一歩、距離を詰めてゆっくりとナラの左手を取った。
━━驚くナラの指先に口付けをした。
ぴくり、と指が跳ねる。
しかし、黙ったまま拒否はされない。
次に手の平に口付けた。
まだ大丈夫そうだ。
心を決めて、頬に口付けた。
「……いっ……」
急に息が届く距離になったからか、流石に声が漏れる。
それが愛らしいな、とエメは思いながらナラの唇に口付けをした━━
名残惜しくも唇を離すと、涙目になっているナラの真っ赤な顔が瞳に映った。
「ごめんね」
笑いながらエメはナラを抱き締める。
「本当に大切にしたいと思ってるんだ。……だから、もう少し余裕がある振りさせてくれる?」
ナラは黙って首を縦に振った。
エメはまた強くナラを抱き締めた。
その余裕もいつまで持つだろう。
昔はどんなに気持ち悪い人間にも、笑顔を貼り付けて心を無にできた。
冷静にやるべきことをこなすことができた。
それは今、到底できそうにない。
感情が持っていかれそうになっていた。
━━この子は自分の全てだ。
そして、この子の全てがほしい。
離れてくれるなと、すがりたくなる。
きっと、そう言えば受け入れてくれるかもしれない。
しかし、この純愛と言うには重た過ぎる感情で、エメはまだナラを縛り付けたくないとも思っていた。
本当に、心から愛するというのは、どこまでもままならない。
「愛してる」
耳元でエメは囁いた。
ナラは自身の手をエメの背中に回した。
しばらくしたところで、ナラはエメの体から離れた。
そうして、エメの頬に両手を添える。
━━かと思ったら、思いっきり両頬を引っ張った。
「へぇぇ?」
ぽかんとするエメに、ナラは数歩離れる。
「私も大好き。……でも仕返しね。私の反応見て楽しんでたでしょ」
「えぇぇー……」
違うんだけどなぁと思いながら、エメは何も言わなかった。
それを肯定したと判断したナラは、いたずらな笑みを浮かべる。
……こういった表情をエメは初めて見た。
一応、ナラにとって自分も特別な存在なのだろう、とエメは思った。
「今度のお休み楽しみだね!」
そう言いながら、ナラは前を歩いた。
エメは走って、ナラの隣に駆け寄る。
「うん、楽しみ」
ナラの手を取り、エメは笑って答えた。
明日もまた前後編投稿します。
次はナラ、イリス、カレアの話です。
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