『ハチドリ』少年の求愛(前編)
エメの話です。
恋愛描写多めです。
後編は夜9時頃投稿します。
━━時々悪夢を見る。
それは決まって昔自分が目にした光景だった。
この日は暗い部屋の夢を見た。
部屋の中で子ども達が身を寄せ合って震えている。
すすり泣く声が響き、中には母親を呼ぶ子どももいる。
けれど、自分は分かっていた。
そんなものは助けに来ないのだと。
「……エメ」
誰かが呼ぶ声がして、重いまぶたを開いた。
━━ナラだ。
ナラがこちらの様子を伺うように顔を覗き込んでいる。
「今からお茶にするけど、眠い?」
あたたかい声。
やわらかいにおい。
━━夢は最悪だけど、目覚めがこれならずいぶん良い。
*****
この時のことは、後から考えても分からない。
気がつけば、間近にこれ以上もなく目を見開くナラの顔があった。
「……え?」
一瞬エメは何が起こったのか、理解できなかった。
目の前にはフリーズしているナラ。
しかしすぐに、はっとなって自分の唇に手を触れる。
やってしまった、とエメは思った。
無意識に、本当に無意識にナラの唇に口付けをしていた……。
ふと、エメは人の気配に気付いて入り口の方に目をやる。
━━使用人のマイヤと目が合った。
「……大丈夫です、お嬢様、エメ様」
マイヤは咳払いをした。
「マイヤめは壁です。何も目にしておりません」
と言いながら動揺を隠せず小刻みに揺れているマイヤに、二人は言葉を失った。
*****
「……こんなことを訊くのも野暮だけれど。貴方達何かあったの?」
お茶をテーブルに置いたナラの母が、不意に声を掛けた。
その瞬間、背後でカトラリーを落とす派手な音が響く。
マイヤがこれでもかとばかりに慌てふためいていた。
「別に良いのだけど……えっと?」
頭を下げるマイヤを止めつつ、何かを察したらしい母がナラとエメ二人に目をやった。
ナラはむせそうになり、エメは日頃あまり使わないミルクをお茶の中に突っ込んでいた。
二人とも、どこかぎこちない。
「それはそうとして」
今度はナラの父が切り出した。
珍しく仕事が休みらしく、こうして午後のお茶の時間を皆と一緒に過ごしている。
「エメ、君何だかんだで休日ずっと我が家に来ているらしいじゃないか。他にやることないのかい?」
「やだなぁパパさん、ナラと一緒に過ごす時間ほど価値があるものなんてないでしょ?」
━━本格的にナラはむせた。
父は眉間に皺を寄せつつも、それを否定しない。
「それに関しては異議はないが、これじゃあ住む所を分けた意味がないだろう?」
「ええー、それじゃあまた一緒に暮らす?」
飄々と答えるエメに、そういうことを言っている訳ではないと父が溜め息を漏らした。
━━エメの拘束が解除され、ナラのもとに戻った際、恋仲になったのなら住む場所は別々が良いのでは、ということになった。
ナラの両親は二人の健全な交際を望んでいる、ということだ。
それを了承し、現在エメは近くの下宿先に住んでる。
しかし、父の言う通り休日はほぼ毎回━━しかも父が知らないだけで夕食も毎日食べに来ている。
これに関しては、エメにしっかりした食事をとってほしい母が招待しているのだが。
……おそらく、それを父が知らされる日は来ないだろう。
お茶を飲み終えた父は「調べ物があるから」と、早々に書斎へ向かう。
「……ごめんね、気を悪くしてない?」
ナラが申し訳なさそうにエメに訊ねた。
一方エメはけろりとしている。
「気を悪くするとかないよ!むしろボク、パパさんのこと好きだし」
「え?」
意外な答えが返ってきて、ナラはきょとんとしてしまった。
「ボクが調子悪くならないように病院紹介してくれたし、何だかんだで拘束されてた時に色々諭してくれたし……」
それは初耳だとナラは目を丸くしていた。
エメは笑い、「こういうことがあったんだけどね……」と、話をし始めた。
*****
渓谷での事件の後、身柄を拘束されていたエメ。
ある日、面会があると別室へ向かわされた先にいたのはナラの父だった。
父は机に座っており、その机の上にはチェスが準備されている。
「君も嗜んでいるだろう。付き合ってくれないか?」
仮にも身柄拘束されてる人間とチェス……これは職権乱用の香りがすると思いつつ、エメは父の正面に座り駒を手にした。
「……なるほど、なかなか手強い」
「昔『お客さん』にずいぶん仕込まれたからね。パパさんも強いけど」
父は考え込み、時間をかけて次の一手を指していく。
「……それで、君は解放された後のことは考えてるのかい?」
盤面へ目線を向けたまま、父は切り出した。
これが、本題なのだろう。
「……正直、迷ってて」
顔を伏せながら、エメは話した。
「テオからも手紙が届いて……許す、って。ナラも待ってるって言ってくれてる……」
駒を持つ手がしばらく止まる。
「でも……ボクはナラに相応しくないと思って……」
痛む胸を押さえながら、エメは呟いた。
自分は汚れている。
そんな自分が許されたからといって戻るのは、都合が良すぎる気がしていた。
━━その言葉に、父の眉がぴくりと反応する。
「君、うちの娘を侮らないでくれないかな?」
「え?」
最初、父の言っている意味をエメは理解できなかった。
「うちの娘がそんな器の小さい人間だと思うのかい?」
━━時が止まった。
やっと、言葉の意味を咀嚼できたエメ。
「え……パパさん面倒くさ……」
思わず呟くと、「失礼な」と父は返した。
「まぁ父親としては、娘が思いを寄せる相手が何も問題ないに越したことはないが……」
そう言いながら、「ちょっと私の昔話をしようか」と話をし始めた。
「昔……まだ私が職務に全てを捧げていた頃。身を固めろと両親が言われてね、それで目をつけたのがマイハニーさ」
どうやら二人の馴れ初めの話をするらしい。
父は続けた。
「マイハニーは貴族出身だったが、早くに両親を亡くして財産も親族に奪われてしまっていてね。医療従事者としてキャリアを積んでいたから丁度良いと思った訳だよ」
「ちょうどいい?」
「そう。私はいつ殉職するかも分からない。だから自分が死んでも一人で生きていける人が良いって思ってね。それでそれを正直に話したんだよ。『そういうことならお断りします』って言われて、そのまま彼女は海外の医療援助に行っちゃったんだけどね……」
「うわぁ……」
正直に話す父も大概だが、ナラの母も大概強いなとエメはしみじみ思った。
「でも素敵な人だったから忘れられなくてね。文通を経て帰って来たところで、『自分には貴方が必要なんだ』ってプロポーズしたんだよ。それでやっと受け入れてもらったのさ」
「へぇ……」
「つまるところ、御託は良いから『自分がどうしたいか』ということだよ」
エメは言葉を詰まらせた。
「正直に考えると良い。……さて、そろそろ時間だ。続きはまた今度」
それだけ言うと父はチェスを置いたまま、部屋を後にした━━




