幕間 イリス⑧
肌にへばりつく、不快な感触でイリスは目を覚ました。
目の中に何かが入り、そして鼻腔に甘い匂いが広がる。
手足は何かで固定されていて、身動きができない。
「わっ、あぁぁっ!」
悲鳴を上げると、ケラケラと下品な笑い声がすぐ近くで聞こえた。
目をシパシパさせながら凝視すると、見知らぬ男が二人、こっちを見下ろしていた。
「起きた?それね、白ワイン。目覚めにお酒被るなんてサイコーでしょ?やっすいやつだけどねー!」
何を言っているのか、理解が追いつかない。
呆然とするイリスを、声を掛けた男は愉快そうにまた笑っている。
「ここ、どこか分かる?」
男から尋ねられ、イリスは辺りを見渡した。
━━暗い。
明かりは男たちが持つランタンだけ。
足下に草の触感を感じる。
耳に届くのは木や草が風でぶつかるざわめきの音……。
「ここ、だいっぶ山の奥!もちろん街からかなーり離れた所ね」
男はいたって楽しげに、イリスに話しかけた。
「で、そんな山奥に甘いワインの匂いが漂ってたらどうなると思う?」
イリスは何一つ状況を掴めていなかった。
しかし、その中であっても男の言葉の意味を理解できた。
……イリスの耳元に不快な羽音がまとわりついてくる。
「…こんなまどろっこしいことしなくても、さっくり殺れば良いんじゃねぇっすか?」
愉快そうな男の後ろで、ランタンを持っていた別の男が怪訝そうに言った。
「口封じしたいから、ただ始末しろってだけの依頼でしたよね?」
「お前分かってねぇなぁ!」
…ひやりと汗が流れるイリス。
それに全く気遣う気はないらしく、愉快そうな男は続ける。
「だってこの子、アルケアのすっごいご立派な名家のお嬢様なんだろ?苦労も何もせず、ここにお勉強しに来たわけだ。……そんなん、惨めにわめき散らす最期だったら面白過ぎるじゃん」
男は相変わらず笑っていた。
その目には狂気が宿っている。
「……相変わらず趣味が悪いっす」
「え、何ごめん。お前ヤッてから殺りたかった?」
「いや……とにかくとっとと帰りましょうよ」
後ろの男が催促するのを受け入れたのか、愉快な男は「はいはい」と言ってイリスに顔を向ける。
「ここさ、狼とかも出るからさ。まっ、そういうこと」
それだけ言うと、イリスを蹴り上げた。
━━後方は崖になっていたらしい。
男達のいた場所から、イリスは転がり落ちて行った。
「それじゃあねー!」と、遠くから声が聞こえ、そして小さな灯火は視界から消えていった。
「いっつ!」
転がった痛みと、落ち葉が肌にくっつく不快感でイリスはパニックになっていた。
虫、狼……明かりのない山奥……命の危機……恐怖しない理由がない。
「おい」
その時、聞き覚えのある声がイリスの耳に届いた。
━━グレイだった。
深呼吸し、あふれそうな涙腺を押さえ、イリスは辺りを見渡す。
目が闇に慣れたところで、近くに転がっていたグレイを見つけた。
イリスは自由のきかない手足でもがきながら、グレイの側に寄った。
「グレイさん!大丈夫ですか?」
イリスと同じく、グレイからも甘い匂いが漂っている。
彼もワインを被っているのだろう。
「……大丈夫だ」
グレイの声を聞いて安心する間もなく、獣の遠吠えがイリスの鼓膜に鳴り響く。
「と、とにかく逃げないと!」
急ぐイリスに対し、グレイの返事は芳しくない。
「……俺は、できない。アンタは逃げろ」
「何言って!」
「両足を折られてる」
まるで、状況だけを報告するかのように話すグレイ。
━━イリスは言葉を失った。
グレイを見たことですっかり安心しきっていた。
だから、その違和感に気づかなかったのだ。
問題がなければ、イリスを見つけても転がったままの彼ではない。
━━ぐちゃぐちゃになる感情を押さえ、イリスは自分の両頬を勢い良く叩いた。
「……大丈夫な訳がないでしょう?」
横たわるグレイの服を掴んで、イリスは話しかける。
「痛いなら痛いって言ってください、私……」
イリスは掴む手の力を強くした。
「グレイさんの気持ちを、無下にしたくないです」
そして深く息を吸い、覚悟を決める。
「……話し合いたい」
もう、この人のことを傷付けたくない。
イリスは心の底からそうありたいのだと思っていた。
━━グレイは何も言わなかった。
「……だから、ここで死ぬ訳にはいかない」
そう言うと、一瞬にしてイリスの姿は消えた。
何故か衣服と、彼女を拘束していた縄だけが残されていていた。
グレイは声も出さず、目の前の光景に思考が停止していたようだが、次の瞬間に再びイリスの姿を目にする。
━━何故か、衣類を全く身にまとっていない。
「は?」
「あぁっもう!変なことになってる!訓練しとけば良かった」
「は?あ?」
「グレイさん、見ないでくださいね」
「なっ!」
混乱するグレイを差し置き、縄から自由になっているイリスはグレイの上半身を持ち上げる。
「痛いかもしれないですけれど、とにかく私に捕まって!」
何が何だか分からないグレイだったが、一刻も争うこの状況、ひとまず言われた通りイリスにしがみつく。
と、同時に。
二人の身体が宙を舞っていた。
言葉を失うグレイ。
振動もなく、綺麗に着地をするイリス。
それを繰り返し、あっという間に崖の上に到着していた。
「……あはは!人を侮って!どうせ世間知らずの非力な小娘だから何もできないって思ったんでしょう?いい気味!!」
木々の間をぶら下がったり跳びながらイリスは叫んでいた。
「ほんっと!」
「どいつもこいつも━━!いい気味だ━━!!」
どうやら、下半身から何か糸のような物が出ているらしい。
……イリスはすっかりおかしなことになっていた。
それを目の前にして、グレイが黙っていたのは、足の痛みからだけではなかった……。
*****
「先ほどは、失礼しました。……取り乱してしまって……」
山を抜けた所で、たまたま通りかかった住民に救助を求めたイリスとグレイ。
ガタイの大きい男を抱えた裸の少女━━
大変不審がられたが、ひとまず馬車を呼んでもらい、病院へと向かっていた。
その馬車の中で、すっかり冷静になったイリスはグレイに頭を下げた。
「……ハエトリグモです」
もらった毛布の中でうずくまりながら、イリスは呟いた。
「私の『ギフト』」
「あの小さいクモの?」
「はい……」
多少なりとも状況を把握したらしく、グレイが納得したように話した。
「……あぁなるほど、確かにアレはよく跳んでるか……凄いな」
「凄くはないですよ。華がないですし。それが理由で当主に相応しくないとうちの一族から言われもしましたし……」
自分で言いながら、イリスは感傷的になっていた。
過去にそれを言われ、打ちひしがれた時の感情を思い出していた。
「そうか?」
「そうですよ」
「……もう一回なってみろ」
「え、何故?」
突然意味のわからないことを言い出したグレイに、イリスは戸惑っていた。
しかし、グレイの気持ちを無下にしたくないと言い出した手前断りにくい。
仕方なく言われた通りに変化する。
毛布の中からぴこぴこと跳び出したクモに、手を差し出したグレイ。
これは手に乗れということか?と恐る恐る手の平に跳び乗るイリス。
グレイはそれを目の前に近づけて、まじまじと見つめた。
「……可愛いけどな、やっぱり」
独り言のように言葉をこぼしたグレイに、イリスは突発的に変化を解く。
「急に元に戻るな!」
「だって、そんなこと言うから……!」
例によって服をまとわず、意図せずグレイに寄りかかったイリス。
グレイは慌てて毛布をイリスに被せる。
「そもそも華がないって話なのに、何ですか『可愛い』って……」
「確かにそうか、俺は好きっていうだけの話だか……」
イリスの言葉を納得したのか、真顔で考え込むグレイ。
「もう、本当にそういうところですよ……」
イリスは耳まで真っ赤になった顔を隠すように、頭から毛布を被って丸くなった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次はいよいよ最終章です。
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