第30話 『ハチドリ』の少年
━━ずっと奪われるだけの人生だった。
売られる前のことは覚えていない。
ただ、『エメ』という名前を与えられ、「お前は逸材だ」と言われたのが一番古い記憶だった。
それから、自分の全ては他人によって作り出された。
与えられたことをこなさなければ、食事を与えられなかった。
気持ち悪い大人の手から逃れようとしたら、髪を引っ張られて「部屋」に引きずり込まれた。
言動も、立ち振る舞いも、そういう姿を望まれたから定着させたものだ。
そうやって、いつしか「完璧な作品」だと言われるようになった。
今の主人が自分を買ったのも、そこが「都合が良かった」からだろう。
━━だけど彼女は、自分に何も求めなかった。
困惑した。
彼女にとって、自分はその他大勢と変わらない存在であり、その他大勢と同じ様に手を差し伸べるべき存在だった。
未熟で、繊細で……何故だか心地が良い。
━━そんな彼女を、自分が奪うようなことがあって良いはずがない。
自分の意志などとうに失っていたのだと思っていた。
けれど、彼女や彼女に関わる世界に触れて━━そう、そこにいたいのだと思ってしまった。
*****
ナラは意識だけが、かろうじて残っていた。
状況はよく分からない。
ただ全身激痛が走っている。
首に打たれた「何か」は身体の自由は奪うが、痛覚は残してくれているらしい。
痛みに耐えながら、ナラはテオのことが気になっていた。
「服毒された際、少しは動けるようになる方法」
何時ぞや父から勝手に指導された時、まさかこれが活用される日が来るとは、思いもしなかった。
できれば、テオを救出するために使いたかった。
しかし、無駄な使い道ではなかったと、ナラは思うことにした。
「ナラ!」
ふと、近くでエメの声がした。
「待ってね、まず解除薬打つから!」
感覚はなかったが、エメの気配が間近にあることは感じられた。
「……効くまで少しかかるけど、呼吸が楽になると思う」
『解除薬』と言っていたものが打ち終わったのだろう、エメは続ける。
「多分骨あちこち折れてる……頭は今のところ大丈夫そうだけど……鎮痛剤あれば良かったね、ごめん」
そうして、エメはぽつりぽつりと状況を説明してくれた。
ナラが谷の底ではなく、途中の棚に落ちたこと。
全身かすり傷だらけだが、落ちている途中に木などに引っ掛かり、それがクッションのようになって致命傷は避けられたこと。
テオも無事救出して、あの生き物もいなくなったこと。
「……でも、ナラはすごいな。この薬、ボク打たれた時、全く動けなかったよ」
そうして最後に、呟くようにナラに語りかけた。
「……ボク、裏切ったのに」
エメの深く息を吸う音が聞こえる。
「なんで庇っちゃうの?」
苦笑しながら話すエメ。
しかし、その声は今にも泣きそうな声色を含んでいた。
ナラは思わず唇を震わせていた。
「……っ」
「だめだよ、まだ無理しちゃ」
「……かったから……」
「死んで、ほしくなかった……」
何の捻りもない、純粋に思ったままを口にしたナラ。
エメの動きは止まっていた。
「……そうだね、ボクもそうだ」
難しいことは何にもない。
エメは滲む目を細める。
「……ナラ、大好きだよ」
━━大切だから……愛しているから、生きてほしい。
ただ、それだけなのだ。
「だから死なせない。待っててね、必ず助けるから」
そう言って、エメは背を向けた。
ナラはぼやけた視界に焦点を合わせる。
小さな鳥が空を舞っていた。
翼を目で追うことはできない。
ただ、翠の美しい身体が煌めいていた。
エメのこの姿を、ナラはほとんど見たことがなかった。
ただ、遠く離れていくエメを見て、万が一最期に目に映ったものがあれなのだとしたら、それはそれで良いのだと思えた。
*****
渓谷中に鳴り響くような咆哮が聞こえ、ナラは目を見開いた。
どうやら意識を失っていたらしい。
それよりも、先程の声だ。
あの大きな獣ではない。
身の危険を感じていると、地面が揺れ動く音が近付いて来ていた。
ぼんやりと輪郭が見える。
眼光が見える。
ざらつくような口元が見える。
それが、間近でまた咆哮を上げた。
鼓膜を突き破る轟音、そして開かれた口から規則正しく並んだ鋭い牙が……。
━━もう、だめだ。
気が遠くなりながら、ナラは確信していた。
「ナラ!」
それが祖母の姿になった時、ナラの頭はまだ現実に追いついていなかった。
「聞こえる?大丈夫?容体は?頭は?こんなに傷だらけになって!!」
威厳も何もなく、祖母は取り乱していた。
ナラはやはり状況が飲み込めていなかった。
呆気にとられていると、祖母の後ろから首の長い生き物がナラの顔を覗き込んだ。
━━ダチョウだ。
「お義母様、落ち着いてください」
ダチョウはナラの母に変わり、冷静に祖母に話しかけた。
祖母は咳払いをし、気まずそうに口を詰むぐ。
「ナラ、よくがんばったわね。今鎮痛剤打つから待ってちょうだい」
そうして首から下げていたバックから注射器を取り出し、ナラの腕にそれを打つ。
しばらくしたところで、多少なりとも痛みが緩和された。
「……今日はたくさん注射打つ日だなぁ……」
ぽつりと呟いたナラの言葉に、母が少し口角を緩めた。
「ちょっとは余裕が出てきたかしら。待っててね、もう少しで救助隊が来るから。……エメがね、家まで知らせに来てくれたの」
ナラの身体を確認しながら、母が話し始めた。
「体力使い切ってしまったのでしょうね、伝え終わったら半冬眠?って言うのかしら眠ってしまったけど、問題はないそうよ」
ある程度確認が終わったところで、母がナラに耳打ちをする。
「貴方がいなくなってから、お祖母様が家にいらっしゃっていたのだけどね。エメからの知らせを聞いた瞬間……あの姿になって真っ先に渓谷に向かって行ったの」
ナラは目を瞬かせながら、それを聞いていた。
「そのおかげで逆に私が冷静になれたのだけれどね」
苦笑混じりに母は言った。
そして、母は祖母へ顔を向ける。
「私、初めて知りました。お義母様の『ギフト』……ティラノサウルスだったのですね」
祖母は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「それはそうよ、一族内でも知る者は限られているのだから。変化したことも、今まで数回ほどしかないでしょうね」
祖母は続けた。
「これが発覚した時、随分苦労したもの。『淑女に相応しくない、役に立たない。だから隠すべきだ』なんて言われ続けたかしらねぇ……。」
遠くを見ながら、どこかもの悲しげな顔を見せる祖母。
今よりももっと、女性は淑女らしさを求められていた時代を生きていた人だ。
きっと、話している以上に大変な苦労をし続けて来たのだろうと、ナラには想像ができた。
「……だから、何かとナラを気がけてくださっていたのですね」
母の問いに祖母は溜め息をついた。
「私は全ての孫を愛しているわ。でも、同じ苦労をするであろう孫は、どうしても気になってしまうでしょう?」
……あぁ、そういうことだったのか、とナラは一人納得した。
祖母がナラに言った『残念』という言葉の真意。
それは自分の経験と重ねていたからだったのだと、今気付いた。
それが分かったところで、心なしか息をするのが随分楽に感じた。
「……お祖母様、これからもっとその『ギフト』使えば良いのに」
「何を今更」
ふと呟いたナラの言葉に、祖母は苦笑した。
「……格好良いのに」
「そうね、かっこよくてつよいのよね」
それに母が続く。
「お祖母様は、格好良くて強いから、今更も何もないと思う……」
ナラの言葉に、祖母は何も答えなかった。
それでも、ナラは満たされた気持ちになっていた。
「ところでお義母様、向こうに死に損ないの極悪人の方が転がっていますが、いかがいたしましょう?……注射器に目一っ杯空気含ませて打ち込んでおきましょうか?」
「………おやめなさい」
にこりと微笑む母を、祖母は正した。
しかし、祖母も言葉を発するまで随分と間を置いていたことに、ナラは目を丸くしていた。




