第35話 『ラプトルの少女』
重たい空気が流れている中、エントランスの方が騒がしくなった。
慌てた使用人が母の方へ寄った、その直後。
「ご機嫌よう、叔母様」
今一番この場にふさわしくない、聞き覚えのある声が響いた。
━━従姉妹である。
「あらあら、名家のお嬢様が案内されるのを待たずに中に入るなんて。そんなことあって良いのかしら?」
急な来客に戸惑うカレア達だったが、ナラの母は動じることなく対応した。
しかし、従姉妹も負けじと優雅に答える。
「無礼をお詫びいたしますわ、叔母様。ですが、私はナラの様子が、気になりまして。何度も手紙を送っていますが、何も進展が見当たらない様子でしたので、強行手段を取らせていただきました」
「心配させてしまったかしら、ごめんなさいね。でも本当にこれと言って進展がないの。伝えるべきことがあったら、貴方のお父様に伝えさせていただくわ」
静かな戦いが二人の間で執り行われている。
それにカレアもルゥも内心穏やかではなかった。
「父は忙しいもの、フォローするのが娘の役割でもあるでしょう?それに、こちらに他所のお客様を招いてるということは、もう大丈夫なのではないのですか?」
「こちらはナラの大切なお友達なの。無礼のないようにお願いね」
お互い一歩も引かぬままだった。
その間何か察したであろうテオが、ナラを連れて庭を離れようとしていた。
しかし従姉妹の視界には、庭を歩く見知らぬ生き物が入ってしまったようだ。
無言で従姉妹は庭の近くに足を進める。
母やエメがそれを制止するも、間に合わなかった。
テオが咄嗟にナラを隠そうとするも、完全に隠せる訳もなかった。
テオの体からはみ出た、頭を低くした異様な生き物を、従姉妹は目にした。
「……何、この生き物」
従姉妹は顔をしかめた。
「気持ち悪い」
醜悪な表情で従姉妹が呟いた。
テオは圧倒され、身動きができずにいると、後ろにいたナラが勢い良く離れた。
「あっ」
テオが叫ぶ間もなく、ナラの姿は庭から消えていた。
*****
人のいない路地を走りながら、ナラは止められない感情の暴力に胸を切り裂かれていた。
息が苦しい。
走っても、逃げ切れない。
……従姉妹のあの表情、あの声を聞いた瞬間、 おぼろげだった意識が呼び起こされた。
━━それは過去に深く刻まれた記憶。
昔、ナラの話を何でも笑顔で聞いてくれていた優しく大好きだった従姉妹。
彼女が、ナラのいない時に他の親戚と話していた自分を罵る声。
「……本当に邪魔くさくて仕方ないわ」
「ちょっと褒めたら調子に乗っちゃって」
「ああいうのも笑顔で対応しないといけないのだから本当に疲れる」
……もしかしたら、声がよく似た別人なのかもとわずかな願いを込め、恐る恐る物陰から覗いてみた。
それは紛れもなく従姉妹で、その顔は実に楽しげで悪意に満ちていた。
━━ナラが人の本心を怖く思うようになったのはそれからだ。
どんなに笑顔でお礼を言われても、本当にそう思っているとは限らない。
この姿になって、余計なことは考えなくて良いのだと思っていた。
けれど、従姉妹の言葉に改めて知らされた。
━━この姿は『気持ち悪い』。
気持ち悪くて……『残念』。
皆もきっと本心ではそう思っているに違いない。
逃げられない。
━━なら、自分はどうしたら良いのだろう?
そう自問自答していると、目線の先の方に人がいるのを確認した。
咄嗟に方向転換し、別の道に入る。
「捕まえたっ」
その瞬間、背後から急に首を捕まれた。
━━エメだった。
ナラは首を大きく振り激しく抵抗したが、エメは離す様子も見せない。
「気持ち悪い訳ないよ」
むしろ優しく囁くように、ナラに言い聞かせる。
「……ボクいつもナラ追いかけてばっかりだよなぁ。ナラさ、けっこう人の話聞かずに突っ走るところあるよね」
苦笑しながら話すエメ。
それを言われてしまうと……と、わずかに残った理性の中でも思うところがあり、思わず動きを止めた。
それを確認してエメは少し安堵した様子を見せる。
「……気持ち悪い訳ないんだよ。ああいう人間が言うこと、真に受けないでね。本当、反吐が出る」
強い口調で従姉妹を否定しながら、エメは続けた。
「今でも忘れないよ。……ボクが初めてナラと出会った時。『神様』って、本気で思ったんだ。ボクが逃げることができなかった、あの場所から救い出してくれた。……でも、今はそうじゃない」
エメの腕の力が少し強くなった。
しばし間があって、やがて再び口を開く。
「……人の話し聞かないのも、不器用なのも、人の悲しみを放っておけないのを、偽善だって思っちゃってる的外れなところも……色んなナラの姿知ったから」
憎まれ口を言っているようだったが、エメの口調は随分と真剣味を帯びていた。
「それはナラの悪いところじゃないでしょ?」
少しだけ、くすりと笑い「時々困っちゃうこともあるけどね」と冗談交じりにエメは付け加える。
「……だから、どっちでも良いんだ、今の姿でも、人の姿でも。どっちでも、みんなちゃんとそれがナラだって分かってるから。否定なんてしない。……望むようにして良いんだよ」
━━静かに時が流れていた。
街路樹の葉が風で揺れている音を聞いた時、ナラは胸の痛みがおさまっていることに気付いた。
エメは、穏やかに続けた。
「……それで辛いことがあるんだったら、声を上げて良いんだよ。人の本音は分からなくて怖いかもしれない。けどご両親やカレア達は……分からないなら答えてくれる、そういう人達だと思う。……きっとナラに、寄り添いたいって思ってるよ」
「ナラだって」とエメが言いかけた。
「ご両親も友達もみんなが大切で、寄り添おうとしてきたんじゃないの?」
━━誰かが自分と同じ立場になったら、どうする?
エメは最後にそう言った。
何も、言えなかった。
……ただ、「あぁ」とナラは思った。
何で今までそれが頭から抜け落ちていたのだろう、と思っていた。
人の気持ちは分からない。
分かったつもりになるのは傲慢かもしれない。
でも、見えないのはやはり怖い。
ただそれを理由に、大切な人達を信じていなかった。
難しくもない、シンプルなことだ。
━━皆のこと、ちゃんと見れていなかった。
ナラは心の中で呟いた。
そうして、羽毛に覆われた長い首は、気がつけばうずくまる少女の細いうなじになっていた。
「私は、」
震える声でナラが呟いた。
「……この『ギフト』、コントロールできなくて……でも否定されたくなかった。……これが『気持ち悪い』って……『残念』だなんて言われたくなかった」
そうしてふつふつと、込み上げてきた気持ちを口にしていく。
その中で、祖母から言われた言葉に酷く傷付いていた自分がいたことを改めて理解した。
「上手くできない。上手くできたら良いのに……何もかも」
上手く折り合いもできないし、上手く立ち回ることもできない。
━━気がつけば、ナラの頬には涙が伝っていた。
「うん、悲しかったね」
それを抱き締め、エメはナラの頭に顔を近付けた。
「伝えてくれて、ありがとう」
しばらく言葉を飲み込むように、エメは黙り込む。
深く息を吸い込む音がして、心を定めたのかエメは口を開いた。
「……寄り添わさせてくれて、ありがとう」
静かな声音でエメが呟く。
ずいぶんと優しく、温かで、大人びていて……それでいて泣きそうな声だった。
途端に、二人は勢い良く誰かに突進された。
━━カレアだった。
「人にはあれこれ言うくせに、自分ばっかり我慢して!」
二人を抱き締めながら、カレアは泣いていた。
「そんなん見てたらこっちが辛いに決まってるでしょ!大好きだって言ってんの、自覚しなよ!」
ナラは目を見開いた。
やはり、自分は人のことを見ていなかったのだと、改めて確信していた。
「ごめんね」
ナラもまた、カレアの背中に腕を伸ばして「ありがとう」と呟いた。
「それ、こっちのセリフ。いつもありがとう!」
「……どういたしまして」
勢い良く言うカレアに、ナラは泣きながら笑顔で答えた。
━━その様子を、ミアは少し離れた所で眺めていた。
姉の隣でルゥは不器用に微笑んでいた。




