幕間 イリス⑥
━━朝も早い時間帯。
想像以上に早く、イリスの下宿先に来てしまった外交官ジェフ・ジェニス。
まだ眠そうな大家に「今の時間帯どこにも行く当てがないんです」と泣き言を言って、どうにか談話室に通してもらった。
しばらくはここで待機しておくか、と椅子に腰かけようとした矢先━━
扉の向こうから現れたグレイに、ジェフは釘付けになった。
彼は手に一輪挿しを持ち、それを慎重に談話室の窓辺に置く。
一輪挿しには淡いピンクの花が、主張も控えめに生けてあった。
「……えっと、おはようグレイくん」
一瞬状況を理解できなかったジェフが、慌ててグレイに挨拶する。
グレイは頭を下げて自室へと戻って行った。
━━しばらく、無音がその場を支配する。
「ジェニスさん?こんな朝早くからどうされましたか?」
やがて、部屋からイリスが驚きながら出てきた。
「ごきげんよう、イリス嬢。すみません、様子を伺いに来たんですが、思いの外早くに来てしまって……それはそうと……」
申し訳ないとばかりに謝りつつ、目線を窓辺に向けると、察したであろうイリスが「あぁ、あれですね……」と苦笑した。
━━そして、イリスはことの顛末を話した。
*****
「……それからお花飾っているのですが、自分の部屋の日当たりが悪いからってそこに飾るようになりまして」
「なるほど」
「そして夜になったら『もうここに飾る必要がないから』って自分の部屋に持って行っててですね……」
「……そうですか………と、とても健気……ですね……」
そう言うジェフは、顔を向こう側に背け、身体を小刻みに揺らしていた。
しばらくしてこちらを向くが、唇を噛んで何かに耐えているようだった。
そりゃそうだよな、とイリスは思った。
ジェフは窓辺へ近寄り、花を覗き込んだところ、ふと気になったことがあったようでイリスに声を掛けた。
「この花ちょっと枯れそうになってます?」
ジェフの言う通り、花びらの端はところどころ茶褐色に変色している箇所がある。
グレイが毎日水替えをしているからか、長く持った方ではあるが、こればかりは抗えない。
と、思っていたが。
扉を閉める音が聞こえ、イリスとジェフは振り返った。
そこにはグレイの姿があった。
━━緊張が走った。
グレイは無表情だったが、しばらく行動を共にしていたイリス、そしてジェフには分かった。
……彼は今、とても落ち込んでいる。
「いやほら、新しいのまた買いますから!」
咄嗟にイリスが明るい口調で言ったが、彼の雰囲気は変わることがなかった。
むしろ目を伏せて、ぼそりと呟いた。
「……初めて人から貰ったものだった」
それだけ言うと、グレイはキッチンの方へ足を運んだ。
━━沈黙が流れた。
グレイの姿が消えたところで、イリスとジェフは顔を見合わせる。
「ど、どうしましょう!これ何とかしないと……!」
慌てふためくイリスに、ジェフがどうどうと手を前に差し出した。
「お、落ち着いてください!……っと、そうだ、私に良い考えがあります!」
そう言ってジェフは思い付いた案をイリスに話し始めた。
*****
「グレイさん、ちょっと良いですか?」
数日後、イリスは談話室に控えるグレイに声を掛けた。
「これを受け取ってほしいのですが」
そう言って長方形の小さな箱をグレイに差し出す。
グレイは怪訝そうな目でイリスを見ていたが、イリスが自信ありげな顔で、箱を開けるように催促し、渋々それに従った。
━━箱の中にはペンが入っていた。
金の縁取りがある黒いシャープなボディ。
上の半分がガラスになっていて、そこには液で充たされた中に、金粉と淡いピンクの花弁が浮かんでいた。
「そのペンの筒に入っているのは私が差し上げた花の花びらです。ジェニスさんから紹介してもらって職人に加工してもらいました」
黙ってペンを手に取るグレイに、イリスが説明した。
「他にアクセサリーにも加工できたのですが、文字書くのにも使ってほしいなと思いまして。普通のペンより書きにくいかもしれませんが、ちょっとしたシーンで使うのに良いのではないかと」
「確かに、あの花だ」
グレイは呟いた。
そしてまだ黙ってペンを眺めていた。
手元でペンをくるくると回して、中に浮かぶ花びらをしばらくじっと見つめていた。
「……ありがとう」
やがて、ぽつりとグレイは呟き、部屋の中に入っていった。
イリスは一人取り残された。
━━静かな時間だけが流れていた。
(意外とそういうところ、ちゃんとするよね……)
心の中で言いながら、イリスは全くもって心穏やかではなかった。
次から新しい章に入ります!
エピソードとしては現在30話くらいで、全体でだいたい50話なので、終わりがちょっと見えてきたくらいですかね。
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