幕間 イリス⑤(後編)
「グレイさん、道路の上に屋根があります……」
「あれは『アーケード』というやつだ。雨が降っても濡れずに買い物ができる」
「な、なるほど……」
「それじゃあ、あそこの大きな建物は何ですか?」
「『百貨店』だ。食品だけじゃなく、雑貨やら服やら売っている」
「へぇぇ……」
イリスは街に来てから、ずっとこのような状態だった。
本人としては冷静さを保っているつもりだろう。
そう思っているのは本人だけで興奮が隠しきれないほど、そわそわしている。
メイクを施された上、イリスから新品の服を手渡されたグレイ。
いつもは好奇や悪意のある目を向けられる彼は、今日に限ってはそれが全くないことに気付いた。
むしろ今、その目を向けられているのは……。
「……ここはあまり詳しくない。別の通りに行くか?」
「え?……あぁ、それではお願いします」
グレイの方から提案されたことが意外だと思いつつ、イリスは彼が案内する先へ向かうことにした。
*****
「こ、ここはまた違った雰囲気の……」
二人が到着した通りは、先程の道よりも狭いものの、活気に溢れた商店が並ぶ場所だった。
店主達の口上が飛び交い、見たこともない異国情緒溢れる商品が並んでいる。
「この国に来た移民達向けの店が並んでる通りだ。……変な輩もいるから離れるな」
「わかりました……!」
返事をしたイリスの目先は、すでに店先へと向けられている。
溜息を漏らしつつ、グレイはイリスの隣に並んだ。
━━珍しい絨毯や陶器、香辛料など。
歩きながら質問責めにするイリスに、グレイはよく付き合っていた。
それが一通り落ち着いたところで、ふとイリスが口を開いた。
「先程のアーケード、私が通行人から注目されていたから移動してくれたんですね。……良くない意味で」
「……」
「すみません、気を遣わせてしまって」
「……強引に付き合わせたくせに、そこは謝るんだな」
正論で刺されたイリスが何も言えずにいると、グレイは続けた。
「……こんな人間に文字教えたり……アンタは変わってる。こういう化粧だって、本来は使用人にやらせることじゃないのか?」
イリスは咄嗟に「それは」と言って、言葉を詰まらせた後、しばらく間をとって話をし始めた。
「私は自国で生家初の女性当主になりたかった……。だからやれる事は完璧に自分でやらなくては、と思っていたんですよ」
少し苦い思いが湧き上がってきたのを噛み締めながら、イリスは続ける。
「それに使用人が施すメイクは、あくまで他人から愛されるためのメイクでして。そうではなくて、一人で立ち向かうためのメイクをしたい……と考えた時、自分でやった方が手っ取り早いと思ったのがきっかけですね」
言いながら、イリスはグレイの反応が気になったが、彼は何も言わなかった。
変な空気にしてしまったのかと慌てたイリスは「他にもこんなことができますよ!」と、通りかかった花売りの少女から花を一輪、購入した。
「タネも仕掛けもありません」
グレイに花を一通り見せた後、手の平をくるりと回して花を消し、彼の目の前まで手を持って行ったところで、再び花を出現させる。
グレイは無言であったが、目を見開いて丸くしていた。
「これ、差し上げますね」
思った以上の反応が見られたところで、イリスはその花をグレイに差し出した。
「……男に花をやる奴がいるか」
苦虫を噛み潰したような表情のグレイに、イリスは微笑む。
「良いじゃないですか、花を貰うのに男女関係ないでしょう?それに私の故郷では、日頃お世話になっている人に花を贈る風習があるんです。…ちょうど、今の時期ですね」
そう言いながら半ば無理矢理、イリスはグレイの胸ポケットに花を挿した。
自分の胸に押し込められた薄いピンクの花を見て、グレイは溜息をつく。
「本当に、つくづくおかしな人間だ」
そう言ったグレイは真っ直ぐにイリスを見ていた。
彼がまともにイリスに顔を向けたのは初めてかもしれない。
━━イリスの心臓は、早鐘を打っていた。
*****
「それでは、メイク落としますね」
下宿先に戻り、クレンジングをコットンに浸してイリスはグレイに声を掛けた。
グレイから返事は返ってこなかった。
椅子に腰掛ける彼の姿は、心なしか哀愁が漂っているように見えた。
「またやりますから」
「別に良い」
イリスの言葉に間髪入れず、グレイは返した。
もしかしてムキになったのかと思うと、イリスは無性にグレイが微笑ましくなった。
「……また、外出する時はお願いしますよ」
それにはグレイは何も答えなかった。
イリスは口角を緩ませながら、コットンでグレイの顔をなぞった。




