幕間 イリス⑤(前編)
窓の外に見える石畳の道を見ながら、イリスは溜息をついた。
イリスがこの国に来てずいぶん経つが、街の様子を十分に堪能できていない。
せっかくなのだから、文化や風習など、肌で感じたいのだが例によって気軽にそういうことを聞ける人間はいない。
セルウォース侯のルシアンからは度々外出のお誘いの手紙を貰うが、どうも面倒な話をされそうで気が進まないのである。
「……グレイさん」
結局頼みの綱は彼しかいないとのことで、イリスは談話室に駆け込んだ。
「お願いがあるんですが……」
「断る」
流石頼りになる警護人だ、話が早い。
「そう言わず!……実は街に出たいんですけど、グレイさんいつも後ろから付いてきているでしょう。そうではなくて、分からないことを色々質問したいので、横に付いてもらえたら……と」
「断る。……警護しにくい」
「そうなんですけどね!お礼は弾みますから、そこを何とか!」
「断る」
泣きつくイリスだが、グレイは決して折れることはなかった。
押し問答が続く。
最初こそグレイの態度は冷静だった。
しかし、あまりにも同じ言葉の繰り返しに感情的にならざるをえなかったのだろう。
痺れを切らしたのか、強い口調でグレイは言い放った。
「お前はこんな見てくれの人間と歩きたいのか!」
そう言って、いつも前髪で隠していた顔を手で掻き上げ、露わにする。
━━イリスは言葉を失った。
イリスの目に映ったのは━━肌から色素を抜いたような、灰色の肌だった。
瞳は老犬のように白く濁っている。
「……これ以上、俺に仕事以外のことを求めるな」
それだけ言うと、グレイは自室へと去っていった。
一人、残されたイリス。
普通の感覚であれば、これ以上グレイに関わるのは躊躇するだろう。
しかし、何故かそう時間が経たないうちに、イリスはグレイの部屋の扉を叩いていた。
「あ?」
いつになく鋭い口調の彼に臆することなく、イリスは扉を開ける。
「つまるところ、見た目をどうかしたら良いんですね?」
「は?」
唐突にそんな発言をしたイリスは、何故か自信に満ち溢れていた。
****
━━数日後。
「……なんでそうなる!」
イリスに言われて渋々椅子に腰掛けたグレイは荒れていた。
側にあるテーブルの上には大きなボックスが置かれている。
それをイリスが広げると、中から洒落た謎の容器やら筆やらスポンジやらが、ずらりと出てきた。
「はい。という訳で、メイクしますね」
「そういうことじゃないだろう!?」
「安心してください。私はタリナのシミも、ウルのニキビ跡も消した女です」
「誰だ、それ」
「うちの使用人です」
「だからそういうことじゃない」と拒否反応を示すグレイに、イリスはまた別の箱を取り出した。
「もちろん、タダとは言いません。……これをどうぞ」
差し出された箱に、眉間に皺を寄せたグレイ。 しかし、中を開けたところで目の色を変えた。
中に入っていたのは、琥珀色の液体が入った瓶だった。
「……これは……ブルーモル……しかも30年もの……」
「そうですよ。好きなんですよね、その蒸留酒。しかも市場ではなかなか出回らないプレミアものですよ……」
イリスは不敵な笑みを浮かべた。
金に物言わせる形になってしまったが、致し方ない。
グレイが仕事のない日に、その銘柄の蒸留酒を愛飲していることは調査済みだ。
自分が使えるあらゆる手段を尽くす━━これはもはや意地だった。
グレイはイリスを睨みつけながら考え、考え……考えた挙句に蒸留酒のボトルをテーブルにそっと置いた。
「……二度とこんなことはやらないならな」
「はい!」
イリスは嬉々として準備を始めた。
前髪を上げてもらい、コットンに化粧水を乗せて肌を整えようとしたが、グレイは人を殺りかねない眼光でイリスを睨んでいた。
「あの、もう少し力抜いてもらえませんか?」
「……」
「……それじゃあ、目をつぶってもらっても良いでしょうか?」
無言のまま、グレイは目を閉じた。
無理をさせているのは承知だが、まだ力は抜けていない。
イリスは肌を整え、色付きの下地を色素の抜けた肌に乗せる。
その際、自分の手が脱色した肌に触れた。
反対側の肌よりひんやりしていて、冷たさを感じる。
━━異様ではあった。
間近で目にすると、範囲は思っていた以上に広い。
一瞬圧倒されたイリスだったが、それを察せられないよう、すぐに思い直してグレイに向き合う。
(私はメイクの魔術師。……私にできないことはない)
一度、深呼吸をした後、イリスは目の前の「顔」だけに集中することにした。
*****
「できましたよ」
イリスがそう言い、グレイは目を開いた。
目の前には手鏡を差し出したイリスの姿が映っていた。
それを受け取った後で、グレイはすぐに自分の姿を確認できなかったが、やがて意を決して鏡を覗き込んだ。
━━グレイは、しばらく動くことができなかった。
目を見開いて、自分の顔をただ眺めていた。
白く抜けた肌は、どこにもなかった。
グレイは何も言わなかった。
鏡の中の自分から、しばらく目を離せずにいた。
それをイリスは満足気に見つめていた。




