幕間 イリス④
イリスの学園生活は、特に交友関係を築くことなく月日だけを消耗していった。
相変わらずクラスメイトはイリスを意識下で見下している。
数回ほどお茶会に誘われたが、あくまでそれは好奇の目にさらされているだけでしかなかった。
━━こんなものかとイリスは半ば諦めていた。
腹は立つが。
それはそうとして、イリスはとある書類を手に、談話室へ顔を出した。
「ごきげんよう、グレイさん」
いつものように、そこにはグレイが待機している。
怪訝そうな表情で見ているグレイを差し置いて、イリスは書類を彼に差し出した。
「グレイさん、ここの保護者?保証人?のサインを書く欄があるのですけれども。よろしければ、グレイさんの名前を書いていただきたいのですが」
「……それは俺が書くので合っているのか?」
「多分大丈夫でしょう。許可の必要な本を借りるかどうかの書類なので、そこまで厳密にという訳でもないでしょうし」
より一層眉間の皺が濃くなるグレイであったが、黙ってイリスが差し出したペンを取り、サインをした。
「ありがとうございます。あ、この私との関係を書く欄も記入してくださいね」
そう言ってイリスが残っている空欄を指差す。
しかし、グレイはペンを持つ手を下ろした。
どうしたのかとイリスがグレイを見ると、彼は無表情のまま答えた。
「……書けない」
「ん?」
「自分の名前以外書けない」
余計な含みは持たず、淡々と事実を述べるようにグレイは呟いた。
イリスは少し間をおく。
「すみません。新聞読んでいる姿を見ていたので、てっきり書けるものかと思い込んでいました」
「……文字は読めるようにした。読めないと騙してくる奴がいる。書くのは上手くできない」
「そうですか。うーん……」
今度は少し長めにイリスは考え込んだ。
今までのグレイの姿を見て、些細だが引っ掛かりを覚えていた。
「ちなみにグレイさんって左利きですか?」
急に何事かと、グレイは怪しんでいるようだった。
イリスは慌てて意図を話した。
「あ、いや、不審者止めたりナイフ持ってたの右手だったなと思って。だけど、ペン持ってるの左手ですよね」
そう言ってイリスが指差したのは、グレイがペンを持っている手だった。
話の通り、彼は左手でペンを持っている。
「それじゃあ右に持ち替えただけで、けっこう変わってきますよ」
グレイはまだ疑っているようだったので、イリスは続けた。
「護衛術とは違って独学だったら仕方ないのでは?ただえさえペンを持つのは練習が必要ですし」
はい、とだけ言い、イリスはグレイからペンを奪って反対の手に持ち替えさせた。
そのまま簡単に指の位置を教えて、イリスが持っていたメモに書いてもらう。
たどたどしくはあったが、グレイは文字を並べて書くことができた。
「ほら、これだけでも改善した」
今までと異なる書き心地だったからだろうか、グレイは驚いているようだった。
「あとは見本を見ながらやれば……」
イリスはそう言って一度ペンを返してもらい、メモに見本を書いて、グレイに差し出す。
すぐにでも書いてくれるかと思ったのだが、意に反してグレイは、受け取ったそれをまじまじと見ていた。
「どうかしました?」
メモから目を離さないまま、グレイは答えた。
「……いや、アンタの字、綺麗だな」
一瞬、イリスの思考が止まった。
今、何と?褒められたのか?彼に?
まだグレイは渡された文字を見ている。
━━どうも嫌味でも皮肉でもなく、純粋な意味で言っているようだった。
「と、とにかく!この調子だったらすぐ習得できると思いますよ。良かったら私もお手伝いしますので」
グレイは考え込んでいたが、しばらくしたところで「頼む」と答えた。
それもそれで意外だと思いつつ、イリスは妙に心に落ち着きなく、そわそわとしていた。
グレイは首を傾げていた。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!
第二章はここまで、
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