第15話 玄関先の男
その日、ナラは自室で本を読んでいた。
窓を開けて心地よい風を感じていたが、ふと表の方が騒がしくなっていることに気付く。
何事だろうかと正門へ向かうと、門の向こう側で男女が言い争っており、対応した使用人が困惑しているのが見えた。
その男女のうち女性がテオの母だと気付き、ナラは近寄ろうとした。
しかし、もう一人の男の様子がおかしく、足を止めて物陰に隠れた。
━━男の身なりは小汚く、無精髭が生えた顔は土気色をしているのに、目だけはギラギラとしている。
テオの母は必死で男を止めようとしているようだった。
それを無視して、男は叫んでいた。
「ここにあいつがいるんだろ!」
「あいつがまだいるから、君はあんなこと言ったんだ!じゃないとおかしいだろ!」
「あいつは施設に預けたら良い、そしてまた仲良く暮らそう!俺ももっと君に尽くすから!」
「あいつがいなかった頃、俺達幸せだったじゃないか!」
……一方的に、ずっと、そんなことを叫んでいた。
ナラは気分が悪くなってきた。
テオの母は男の声を聞いて、顔が真っ青になっていた。
ナラが胸を押さえていると━━
背後から現れたナラの父が、ナラの肩に触れ、前に出た。
「やれやれ、うちの使用人は忙しいのに、仕事を増やすものじゃないよ」
そう言いながら父が正門へ出ると、「誰だ、お前!」と男が飛びかかってきた。
父は殴ろうとしていた男の手を取り、そのまま後ろに回して男を拘束する。
「君、そちらのレディから接近禁止令が出されていただろう?それがどういうことなのか分かっていないようなら、しっかり理解してもらわないとねぇ」
悶える男に対し、至って冷静な口調で父は言った。
これでひとまず安心か……と、ナラが胸を撫で下ろしたのも束の間。
人が去った気配に気付いて、ナラははっとなった。
気配の後を追って見えたのは、テオの後ろ姿だった。
*****
夕食を乗せたトレーを手に、ナラはテオの部屋の扉をノックした。
返事はなかったが、一言声を掛けて中に入る。
━━暗い部屋の中で無表情のテオがベッドの上に座っていた。
テーブルの上にトレーを置くと、テオが口を開いた。
「慰めるとか、やめてね。親から愛されてるナラにおれの気持ち、分かるはずない」
ナラが何も言えず固まっていると、テオはこちらを見ないまま、うつむく。
「……もう、どうでも良い……やっぱりいなくなった方が良いかも」
感情のない声にナラは胸が締め付けられた。
「テオの気持ち、分からないかもしれないけど……私にはあの男の人がまともじゃないって思ったよ」
このまま立ち去るのが良いのだろう。
そう思う一方で、ナラは意を決して口を開いた。
「あと、私はテオがいなくなったら……嫌だと思う」
「だから、そういうの良いって」
「……逆に、」
緊張しながらも、ナラは続けた。
「テオは私が急にいなくなったら平気?」
一瞬、時が止まったような、間が流れた。
テオは大きく目を見開き、それからまた何も言わなくなった。
「良かった。流石に平気って言われたらちょっとショックだったかも」
なるべく軽い口調でナラは言った。
━━こう思うのは、おこがましい考えじゃないかと不安には思っていた。
一緒に過ごしてきた時間は、そう長くはないかもしれない。
それでも、その時間の中で生まれた感情の積み重ねが、全くなかったとは言いたくはなかった。
「……多分、テオがいなくなって良いって思ってないの、私だけじゃないと思うよ」
相変わらずテオに反応はない。
「ごめん、ご飯食べれそうなら食べて」
そう言うとナラは部屋から離れた。
*****
リビングへ戻ると、ナラの母が落ち着かない様子で立ちながら待っていた。
そこでナラはテオの母が一時保護施設で保護されたこと、そして彼女の元夫が警察に拘束されたことを知った。
「テオの様子は……大事ないかしら。何か言ってた?」
母は訊ねた。
ナラの脳裏には先程のうつむいたテオの姿がよぎる。
「『どうでも良い』って言ってた……」
そんなことはないのに、とナラは思う。
本来なら彼を守るべき人間に、あそこまで悪意をぶつけられるなんて━━あってはならないはずだ。
「なんで?なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう」
ずっと積もっていた苦しい気持ちが溢れ出し、ナラはこぼすように母に呟いた。
「テオも、テオのお母様も悪くないの。……でも、やるせないわね」
母もまた、悲哀に満ちた表情で目を伏せている。
テオの母とも交流のある彼女なりに、思うことがあるのだろう。
母は真っ直ぐ、ナラの目を見た。
「大人の都合に巻き込んでしまってごめんなさいね。貴方にまで、悲しい気持ちにさせてしまった……」
「私のことはどうでも良いよ」
そう言ってうつむくナラに、母は優しく背中に手を添えた。
母はほんの少しの間、まぶたを閉じる。
━━自分のことはどうでも良い。
……奇しくも二人が同じ言葉を口にしたことに、おそらくナラ自身気付いていないのだろう。




