第12話 渓谷へ(川下り)
日がまだ高くはないうちから、ナラとエメ、テオは馬車に揺られていた。
「前お祖母様が言ってた渓谷行ってみたーい、今度の休みの日に行こうよ!」
とのエメの提案により、いよいよ渓谷への観光を決行することになったのである。
ナラはテオにも、一緒に行かないかと声を掛けた。
例によって「おれは別に」と言われ、すっかり落ち込んでいたのを見かねたエメが「どうせ暇なんだから行こうよー」とフォローする。
結果、渋々ながら一緒に出掛けることになった。
午前中の方が客足も少なく、より動きやすいとのことで三人は早めに家を出る。
「はい、朝ごはんね」
「馬車の中で簡単なものを」と、使用人のマイヤが持たせてくれたサンドイッチをナラが二人に配る。
エメは「美味しそう!」と嬉しそうに、テオは「……ん」と仏頂面で、それぞれ受け取った。
美味しそうに食べているのは同じだなぁ、とナラは二人の表情を見ながら、自分も具だくさんのサンドイッチを頬ばった。
そうして到着した渓谷の入口で。
━━わちゃわちゃと騒いでいる人影は、どうやっても見覚えがあるものだった。
「あれれーナラだー偶然だねー」
「本当だー偶然だなー」
「……なんだ、おまえら白々しい」
棒読みで話すカレアとルゥに、怪訝そうな顔のミアが言うと「ちょっと!」「お前それは違うだろっ!」と慌ててツッコミを入れていた。
どういう状況か、面食らっていたナラだったが、このままだと三人が言い合いになりそうな気だけはしていた。
「……えっと、皆で巡る?」
戸惑いつつ、ナラが言うと「そうだね、せっかくだしね!」とカレアが待ってました!とばかりに乗っかって来た。
テオの表情は帽子に隠れてよく分からない。
きっといつもの感情の読み取りにくい顔なのだろう。
エメは「賑やかで良いね!」と、にこにこしていた。
「それじゃあ、私が案内するね」
それぞれ「はーい」と言う一同の前を通り、ナラは先頭で歩き出した。
*****
「……この土地一帯をヴェイルの一族が管理するようになったのは、三十代ほど前から。その中でもここは比較的初期から一般公開してたんだって」
「へぇ」
「この先にある滝には言い伝えがあって……昔々、人間に怒った山の神様が、山肌を岩で覆ったんだけど、それを哀れに思った巨大な獣が自身の大きな爪で岩を削り取ったんだって。そこから勢い良く水が噴き出て今の豊かな滝になったとか」
「へぇー」
「……というか、聞いてるのエメだけだよね」
青々と木々が生い茂る遊歩道を一同は歩いていた。
ナラは説明をしながら歩いていたが、相槌を打っているのはエメだけだった。
少し距離が離れた後ろで、残りの四人が続いている。
特にカレアは「テオくんっていくつ?」「ナラの家ってどんな?」「ナラの家のご飯って何が美味しいの?」など、ずっと質問攻めをしている。
テオはカレアの声掛けに圧倒されているからか、たどたどしくも素直に答えているようだった。
何を言っているのか聞き取れなかったが、時々テオがわずかに笑っているような━━気がした。
「うーん……私テオにプライベートなこと、あんまり聞けてなかったのに……カレアはすごいなぁ」
「あれ、もしかしてヤキモチ?」
「ち、違うよ!」
慌てて否定するナラにエメは微笑む。
「まぁ、ナラにはナラの良さがあるし。ゆっくり関係性作っていこうとしてるのも、悪くないと思うよ」
そう言って、羨ましそうにしていたナラをエメは励ました。
しばらく歩いたところで、澄んだ空気に鳴り響く轟音を耳にするとともに、視界が開けた。
━━切り立った岩肌の間を、瀑声とともに白糸の滝が遠く滝壺の方へと、落ちていっている。
霧のような水しぶきがこちらまで漂い、肌に触れ、ひんやりとしていた。
豊かな水の動き。
下には川が流れており、その水面の上にはボートがちらほらと浮かんでいた。
「うわぁ……綺麗だね」
絵になるようなその光景を目にしたエメ。
しばらく魅入るように眺めていた。
「うん、私もここ好きなんだ」
神聖な空気が漂っているような、心洗われるような……そんな気持ちに二人が浸っていると、後ろからカレアが声を掛けてきた。
「ねぇねぇ、せっかくだからボート乗ろうよ!」
「良いね、ボクも乗りたい!」
テンションが高い二人に引きずられ、ナラは階段を下っていった。
*****
観光用の物は小型の手漕ぎのボートのため、一同は二手に別れて乗ることにした。
ナラはエメとテオと一緒のボートになった。
最初は「漕いでみたい!」と、息巻いていたエメだったが、オールを動かしても水が泡立つばかりで上手く前進できなかった。
結局「私、慣れてるから」と、ナラが漕ぐことになった。
オールを漕いで、しばらく岩の合間を縫っていくと、滝が落ちるその真下の周辺まで来ていた。
霧が頬や髪を湿らせている。
「うわぁ、水しぶきすごい!音も爆音だねぇ!」
会話をかき消さんとする滝の音に負けじと、エメが声を張っている。
テオもまじまじと水が流れて落下する様を、眺めていた。
「どうする?もっと近寄ってみるー!?」
ナラもかき消されないように声を出したところで、テオの被っていた帽子が水面へと落ちてしまったのを目にした。
咄嗟にテオは下へと手を伸ばす。
思いの外、身を乗り上げてしまったのだろう、ボートが大きくバランスを崩した。
━━あ、と思った瞬間。
水しぶきを上げて、落下したのはエメだった。
テオの身体を引き戻そうと、身を乗り出したのだ。
「エメ!?」
テオが叫んでいる。
「エメっ!ボートにしがみついて!」
ナラも慌てて我に返り、声を掛けた。
エメはナラから言われた通りにボートに手を伸ばす。
すぐ届く距離に落下したのは不幸中の幸いだったかもしれない。
しかし、ボートに上がるのは思った以上に難しくエメは苦戦している。
ナラもテオを気にしつつ手を伸ばすものの、上まで持ち上げるのは困難だった。
━━その時だった。
「大丈夫だいじょーぶ、落ち着いて。それじゃあ持ち上げるよぉ、三、ニ、一っ!」
川の中から穏やかな男性の声がして、エメの体はボートの上へと這い上がった。
何が起こったのか理解が追いつかないまま、ナラは川へ目を向ける。
そこには、水面からひょっこり頭を出しているカワウソのつぶらな瞳があった。
「怪我はなぁい?とりあえず桟橋の方に行こっか?」
先程までの緊迫した空気にカワウソの、のほほんとした声が混じる。
「あ、はい……」
ナラは言われるがまま、桟橋の方へとオールを漕いだ。




