第9話 財布
「こっちにも行ってみようよ、早く早くー!」
相変わらず、明るいトーンでマーケットを散策するエメ。
逸る気持ちを抑えられないのか、二人よりも速いペースで前を歩いていた。
「ちょっと、危ないから前を向いて……」
ナラが声を掛けた瞬間に、案の定エメはすれ違う通行人にぶつかってしまう。
通行人に軽く謝罪した後、こっちを向いて「やっちゃったよー」と笑うエメ。
一方、何も言わず去っていった通行人にナラは違和感を覚えた。
「ねぇ、もしかしたら何かなくなってたりしない?」
「え?」
その違和感の正体を突き止めるべく、エメに確認させる。
「……そういえば、財布なくなってるかも?あ、でもスリ対策用のダミーの方だから別に気にしな……」
「そっか。エメ、テオをお願い」
「ちょっとナラ!」
エメが全て言い切る前に、ナラは通行人の後を追った。
*****
人々が行き交う中、ナラは例の通行人を見つける。
ナラは足早に前を進むが、男との距離が一向に縮まらない。
おそらく、こちらに気付かれたのか。
男は人の往来が激しい通りをわざと行って撒こうとしているようだった。
そうはさせまいと、ナラは人々の間を縫って一生懸命食らいついていく。
そうやって、いよいよ男は裏路地の方へと足を運んでいった。
慌ててナラも裏路地に吸い込まれていく。
しかし、路地を見渡しても誰一人としておらず、男の姿は消え失せていた。
見失ったか、とナラは焦っていたところで、路地にあったゴミ箱が大きな音を立て、倒れた。
その影から、ネズミが飛び出し、向こう側へと去ろうとしている。
ナラの目にはそのネズミの背中に、財布が括り付けられている姿が映っていた。
━━あ、逃げる。
そう思った瞬間……鋭い爪を内側に隠したナラの脚は、大きく大地を蹴っていた。
━━速さに特化した骨格、筋肉。
それへと変化したナラの身体は、風を切るようにネズミとの距離を一気に縮めた。
逃がすものか、と気持ちが逸る。
そうやって、咄嗟にネズミの胴体を咥え、自身の首を上に上げた。
「ちょっとーー!ダメ!食べちゃダメーーー!!」
その時、いつの間にか追ってきたのか、エメがナラの口からネズミを奪い、勢い良く遠くに投げ出した。
「あ……」
……塀の向こうへ消えたネズミ。
棒立ちになるエメとラプトル。
更に後からやって来たテオ。
……気まずい空気が流れた。
「流石に食べるつもりはなかったんだけど……」
いつの間にか元の身体に戻っていたナラが呟くと、エメは「そうだよね……」と苦笑した。
「ごめん……でも、下手したら何かされてたかもしれないのに、どうして追いかけたの?」
エメの疑問に、ナラは答えた。
「だって、大丈夫だって言っても、自分の物盗まれるの嫌じゃない?そう思ったら、我慢できなくて……」
ただ素直な気持ちを、ナラは伝えただけだった。
そのつもりだったのだが、エメは目を見開いてまじまじとナラを見ていた。
かと思ったら、弾けたように大きな笑い声を上げる。
お腹を抱えて笑うエメに、ナラは戸惑いを隠せなかった。
「私、何か……変なこと言った?」
「ごめんごめん!そういう発想がなくて、ついつい」
『そういう発想がない』とは……?
さもおかしいと、エメはまだ笑っている。
妙な違和感が拭えず、ナラは声を掛けようか迷った。
それが喉元で引っかかっていたところで、見知らぬ男性が慌ててテオの側に駆け寄ったのが見えた。
「さしずめ、ナラパパさんがボク達のために付けた護衛の人だろうね。……さて、あんまり心配させるのもなんだし、表に戻ろうか」
いつもの調子に戻ったエメは微笑み、来た道へ戻った。
*****
活気あるマーケットに戻り、先程の護衛は距離を保った後方に待機している。
定位置に戻ったのだろう。
こちらはこちらで、一波乱あった後に何か甘いものでも、とエメが提案しようとした。
その前にナラは、とあるテントの前で立ち止まり、食い入るように店頭に並んでいる商品を眺めている。
どうしたのかと、エメが顔を覗かせた。
━━ナラの目線の先に並んでいたのは、様々なデザインの革財布だった。
「……ねぇ、もしかして、ボクの財布選んでたりする?」
それはどうやら正解らしい。
ナラは否定せず、まだ財布に目をやっている。
「せっかくマーケットに来て楽しんでたのに、スリの記憶で終わったら嫌かな、って思って。……でも、余計なお世話じゃないかなって迷ってるところ」
「嫌じゃないよ」
食い気味に声を出したエメに、ナラは思わず彼の方を振り向いた。
エメは微笑んでいたが、いつもの板についているそれではないように、ナラには思えた。
もっと優しいような、温かいような……。
「嫌じゃない……それじゃあさ、ボクが買うから一緒に選んでくれない?」
もちろん、とナラは答えた。
ひとまずここで一区切り。
次は幕間が入ります。
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