第74話「連邦中央軍司令官」
旅人が急遽正装を求められる局面というのはある。そういうときは貸衣装を使うとか、持ってきている簡易的な正装を使うわけだ。そのはずなんだけど、姉さまがそれを許さなかった。ユール家の伝手で至急用意された正装は恐ろしいほど私にぴったりだ。
「別人みたい」
アトミールが冷やかす。
「……ほっといて」
素直にありがとうが言えないくらいに私の心から余裕は失われていた。彼女からプレゼントされた服や普段着ている学士服と比べると、正装には拘束されている感じがする。今私は会議場隣の控室に立ち、ユール家の使用人三人がかりでの服や髪などの調整を受けている。こういうの、苦手だ。
「クロエラエールさま。準備が整いましてございます」
三人して頭を下げる使用人の人たちに一人一人お礼を言って、私は隣室へと歩き出した。衛兵が勝手に開けてくれる扉。吹き込む人いきれの熱気。姉さまがいくら私を推したところで、私は所詮田舎の若い女貴族。こんな中央で何かしらの権限を与えようと考える人間などいるはずがない。私はそう期待していたのに――。
「クロエラエール・ヒンチリフ司令官、入られます!」
なぜか、こんなことになってしまった。
「座ってください」
居並んで最敬礼する一回り以上年上の男女。居心地悪いったら。全員に座ってもらってから、私も長い机の上座へと座った。
「本日からよろしくお願いいたします。クロエラエール・ヒンチリフ三等地方政務官でございます。恐れ多くも連邦中央軍臨時司令官の任を賜りました」
壁際に並んだ席の一つから誰かが駆け寄ってくる。うわ、早速何か間違っちゃったか。
「司令は職務に基づく准官位の制に基づき一等政務官に準じます。位階に言及される際はお気を付けください」
「えー……。訂正いたします。クロエラエール・ヒンチリフ准一等政務官でございます。身に余る責務に身が引き締まる思いです。何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」
本当に。心の中でため息をつこうとしたとき、隣に座っていた細身の男性がよく通る声で宣言した。
「それでは、私フォーラントリス・ユール二等政務官が進行役を務めます。各部門は報告を。カーリス・フォルトナント兵站部長、報告願います」
立ち上がったのは恰幅の良い年配の男性だ。手元の書類に目を近づけながら口を開く。
「ご存じの通り、動員の進捗はかんばしくありません。諸侯軍で三割、直轄軍で八割です。いかんせん代統領陛下から直々の動員令を頂戴できていない状況ですので、戦力の供出を渋る行政区も少なくないようです。まさかここにご列席の皆さまにそのような不届き者はいないかと思いますが……」
兵站部長が室内を睨みまわす。ある若い貴族はそうだそうだと言わんばかり彼自身も室内を見渡す。熱心な人だなと思って見ていたら、不意にその視線が私に注がれた。その視線はなんだかとても鋭いような。気のせいかな。気のせいであって欲しい。この人に嫌われるようなことをした記憶はないし。彼から視線を逸らすと、その隣では年嵩の貴族が無表情で虚空を見つめている。自分に注目してくれるなと顔に書かれているようだ。緊張の走った部屋で、鋭い顔をした中年の女性が手を上げた。
「法務顧問官として私ハイリン・ニーナレクトが補足致します。代統領陛下からの動員令は頂戴できておりませんが、親衛隊の叛乱により代統領陛下が命令を発することが困難になった場合を想定した代統領令第三〇二一号の規定により、ケイレアの被占領状態を回復するための戦力動員は合法であり、動員令の下達がないことを理由にした動員拒否に正当性はありません」
兵站部長の報告を聞きながら、私はごく簡単な計算をした。事前に聞いた話では、直轄軍がおよそ千人、諸侯軍が一万人程度。そのうち四千人程度しか動員できていないということだ。親衛隊は二千人ばかりだから、数にして二倍。平原で会戦をする分には十分な戦力差だろうけど、ケイレアの火から支援を受けられる親衛隊を相手にするにはあまりに心許ない。
「動員完結は諦めるとして、諸侯軍の動員が例えば半分、そして八割に達するのはいつ頃になると見込まれますか」
「半分までは二週間程度で済むでしょう。しかしそこから先はいけません。八割に達するには少なくとも三ヶ月を要します」
「なるほど。ありがとうございます」
「それでは、ハイファスケルン・オートハイス情報部長」
猫背の男性が立ち上がった。手元に資料らしきものを持っているけれど、読もうとしない。暗記しているのかな。
「ケイレアの状況は安定しています。このことは叛徒が行政機構を完全に掌握していることを意味します。相当に周到な事前計画が存在したことが示唆されます」
何か嫌な予感がして、私は訊ねた。
「彼らの命令に対して行政官が抵抗しない理由について、何か観測はありますか?」
「我々は軍事行動のための情報収集が主任務ですので、あいにく。そのような職務に関してはケイレアの警備本部の方が詳しいかと」
こんな事務の基礎知識も知らないのか、という軽蔑の色があった気がする。中央の役所の役割分担なんて知らないよ。
いやいや、落ち着けクロエ。内輪の風習に詳しくない人を見下してしまう種類の人はいる。そういう人たちにいちいち憤っていたらキリがないぞ。深呼吸、深呼吸。
落ち着くために室内を見渡す。そうしてみると、この戦いの難しさというものが感じられた。ある人たちは真剣に議論の行方に耳を傾けているけれども、この場にいて椅子を暖めることが自分の仕事だと言わんばかり、まったく興味のない顔の人たちも大勢いる。
無理もないのだと思う。ケイレアの主人が誰であろうと、自分の領地が安堵されるなら構わないという考え方は領主の考え方として何も間違っていないのだから。この騒動の影に未知敵対者の影がありそうだからこそ私もやる気を出しているに過ぎなくて、あまり偉そうなことは言えない。
なるほど、私がこんな立派な役目を貰えたのも当然だ。つまり、司令官という立場に立ってまでこの戦いに関わろうと考えた人がこの場にいなかった、ということなのだ。うかつに高い地位を得てしまえば敗軍の将となったときの危険も大きい。なまじ大勝を得てしまえば、それはそれでケイレアから危険視される可能性だってある。辺境の人間をお飾りの将として据えて、自分達はそこそこの立場でそこそこの働きをしていた方が安全なんだ。
「以上で諸担当部長の報告を終わります。最後に司令官よりお言葉を頂戴します」
情報部長の他にも作戦部長などの報告を受けて、最後は私の番だ。小さく咳払いをする。今日この瞬間はとてもとても大事になる。私が少なくともお飾りとして、できれば実際に従うべき当座の指揮官として適格であることを示しながら、今ケイレアを支配している勢力がケイレア周辺諸侯にとって極めて危険である、ということを示さなきゃいけない。このあたりの予想は付いていたから、アトミールと示し合わせてちょっとしたずるを仕込んであった。
「ご報告まことにありがとうございました。前線に兵が展開する段階に至る前段階である今、戦場は今まさにこの場に参集頂いた各位の頭上にございます。あなたがたのペンはすなわち幾百幾千の敵を薙ぐ剣であり、あなたがたの一言はすなわち敵の砦を打ち砕く砲声に他なりません。私の使命は、一騎当千たる皆さまの剣の切っ先を、砲身を、敵にとって最も致命的な一点に向けることにある。そのように承知しております。このために頂戴した指揮官としての権限に基づき命令を下す前に、まずはこの戦いの意義について私の認識を明らかにしなければならないでしょう」
真っ直ぐ前を見て、まるでその場で考えたかのように。けれども、きちんと原稿を書いてきたかのようによどみなく。もちろん、考えてきてある。アトミールが用意してくれた仕掛けによって、私の視界には原稿が見えている。眼鏡に取り付けた装置を通じて特殊な光で目に直接投影しているらしい。
「ケイレアが叛徒の手に落ちた、ということが深刻な事態であることは論を俟たないものでございます。しかしながら、事態はそれ以上に重大なものであることを指摘しなければなりません。ご存じの通り、中央軍は代統領陛下をお守り申し上げる親衛隊そのものの叛乱に備えるという任務を仰せつかっておりますが、もはやこの構図は成り立たなくなる可能性があると考えております。この点についてオートハイス情報部長の見解を頂戴してもよろしいでしょうか」
突然の指名を受けた情報部長はさりげなく手元の資料を手繰る。大部分は部員が作ってくれたものなのだろうけれど、そこにはアトミールが紛れ込ませておいた資料が隠れている。案の定、情報部長はそれを見つけて弾んだ声で答えた。
「は、親衛隊がケイレアの火を支配しているとなれば、事態を放置すれば、えー……代統領陛下を内外の敵より守る盾たる中央軍とそれを構成するケイレア周辺諸侯は発言力を失い、いずれはその地位を親衛隊に奪われる恐れがあります」
今まで議論を聞き流していた人々の反応は劇的だった。情報部長に渡した資料は少しばかりミスリードをして周辺諸侯の危機感を煽るようにはしているけれど、大筋では間違っていないはずだ。
「ありがとうございます。情報部長は、当面我々が警戒すべき最も危険な事態について簡潔に指摘してくださいました。私はアストーセからやってきた者ですから、北方において不穏分子が蠢動しているなどの情報も耳にしてはございますが……。これは一旦脇に置きましょう。さて、それでは皆さまに以下の通り命令致します」
並み居る年配の偉い人たちに堂々と命令するなんて。緊張で声が上擦りそうになる。そうだ。これは論文発表だ。淡々と、練習したとおりやればいい。
「ケイレアの火の無力化は勝利の大前提であり、これを達成しない限りいかなる作戦の成功も覚束ない。従って、まずケイレアの火を無力化し、次いで野戦、やむを得ない場合は攻城戦によって親衛隊を撃滅するという二段階によってケイレアの奪還を遂げるべきである。このため、連邦中央軍司令官は次の通り命令する。一、兵站部は引き続き物資の集積と兵力の動員に重点を置け。このとき、ケイレアの火による妨害を警戒し物資は分散配置に努めよ。二、情報部はケイレアの状況解明に注力せよ。ケイレアの火の運用状況を最優先とする。三、作戦部はケイレア郊外における野戦およびケイレア市街における攻城戦についての計画を大至急立案せよ。ケイレアの火については無力化されたものとして計画してよい」
議場はしんと静まり返った。出席者の顔色を見る限り、少なくとも話を聞く価値のある人間とは思ってもらえたようだ。よかった。
「以上です。何か質問はございますか」
私が問いかけると、作戦部長が手を挙げた。
「ケイレアの火の無力化については検討の埒外としてよいわけですね。この点について既に何か策をお持ちということですか?」
「いくつかの選択肢がテーブルの上にあります。しかし、そのうちどのカードを用いるべきかは皆さまからの報告によって変わり得ます。また、どのようなカードが存在しているのかもお答えはいたしかねます」
はったりだ。本当は何も決まっていない。でも、そのことをこの場で口にして起きる失望よりは、はったりを口にすることによる罪悪感を選ぶ。作戦部長が納得してくれたかどうかはわからないけれど、これ以上の質問はないようだ。
「それでは――」
場を切り上げようとしたとき、若い男性が手を上げた。先程目が合った彼だ。その生真面目な表情はどことなくミューンに似ている。
「あなたがその座にあることに自分は承服できません」
「リューノルト! 勝手な発言を——」
「中央軍司令たるもの文武に優れた偉大な人物であるべきです! 私と同じ程度の若輩者がその椅子に座ることなど許されるはずがない! いかなる詐術を使ったのか知りませんが、権力に飢えた野心もここまでだ」
予想外の展開だ。まさかこんなに真っ向から異を唱える人が出てくるなんて。姉さまが凄い表情をしている。
「私はあなたに対して決闘を申し込む」
驚きのあまり呆然としていた私の耳にはさらに信じられない言葉が飛び込んできた。彼のまっすぐな瞳には一欠片の邪心も感じられない。ただ、正義の敵へと鉄槌を下そうという義憤ばかりがめらめらと燃え上がっている。ここまで真正面から場の流れに抵抗できるのは素直に尊敬できる。私が権力に飢えていたり、詐術によってこの地位を得ていたのだとしたらもっと彼の偉大さは際立っていたんだけど。
さて、政治の時間だ。ここで断ったらどうなるだろう。当座は大きな問題にはならないだろうな。私には仮初といえど地位があり、しかも——これを武器にするのはとても気分が悪いけど——私は女だから、決闘を断ることによって名誉に耐え難い傷がつくということはない。けれど、長期的にはどうだろう。頼りない指揮官だと見なされれば、それが土壇場の敗北に繋がるということもあり得る。だいいち、今日私がここに来た理由の大きな一つは、私が大将としての資格があることを人々に示すためではなかったか。悩んだ末に私は答えを出した。
「いいでしょう。ただし、決闘はいけません。試合の申し込みであれば受け入れます」




