第73話「シェリーニャ・ヒンチリフ・ユール」
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シェリ姉さまが私の居場所をどうして知ったのかはよくわからない。確かなのは、姉さまが私の居場所を聞きつけ、わざわざ出向いてきたということだ。
「ええっと……お茶でも淹れてくるね」
姉さまが腰を浮かしかけた私を細長い腕で制する。
「私がやります。クロエはがさつなんだもの」
「お、御言葉に甘えて……」
席を立った姉さまの立てる物音を聞きながら、私は天を仰いだ。
姉さまのことは、苦手だ。
シェリーニャ・ヒンチリフ・ユール。それが姉さまを表す今の名前だ。
「いつぶり……だっけ。もう五年くらい?」
「大学まで会いに行ったでしょう。二年半前に一度会っているわ。あなたが私の立場だったら大変よ? 名のあるお方のお目に掛かったなら、それがいつどこで、そのときどんなお話をしたか。覚えているのが最低限なんだから」
シェリ姉さまはいつだって如才なくて、その場その場で求められる役割をきちんとこなしてみせる。その姿が私にはとても眩しくて……苦手だ。
姉さまは私と違って父さま母さまの実子ではない。少なくともアストーセ地方の貴族にとって、大切なのは血ではなくて家だ。なので、優れた領民の子を養子として迎えるのはごく普通のことだ。
そう、姉さまは選ばれた子。父さま母さまの間にたまたま生まれた私とは違う。
「はい。お待たせ」
あくまで優雅な身のこなし。テーブルに置かれた茶器は音一つ立てない。誰か助けてくれ。
「二人で泊まっているのね。リミエラ?」
二つ並んで置かれている寝台に目を向けて、シェリ姉さまが聞いてきた。そう。大学生活はリミエラと一緒だった。一瞬後ろめたさに襲われるけど、すぐその思いを振り払う。こんな旅に連れ出す方が不義理というものだ。
「リミーは今もヒンチリフだよ。アトミールっていうんだけど……説明が難しいな。命の恩人だよ」
「ふうん」
姉さまはそれ以上訊ねようとはしなかった。
アトミールが帰ってきたのは、まさにそんなときだった。
†
あいさつもそこそこ、アトミールが私の隣に座る。姉さまは再びお茶を淹れる。まだ湯気の立つそれをアトミールは持ち上げて、何か思い出したような顔をしてから一口だけ口に含んだ。一気飲みするつもりだったな、こいつ。最近わかってきたのだけど、アトミールは改まった場であればあるほど人間らしく振る舞うようだ。二人きりのときは、人間のフリより効率最優先というか、そういう動きが多くなる。
「それで、姉さまはどうしてここにいらしたの」
アトミールが来てくれたことで私は少しばかり強気になり、姉さまに質問ができた。
「ケイレアに戻りたかったんだけどね。ほら、足止めを食っちゃって。家の者が善後策を調べているときに、ヒンチリフ姓の人間がこの宿に泊まっているとわかったのよ。姉妹のよしみ、情報交換をしようと思って」
私は首を傾げた。よくわからずにいると、姉さまは呆れ声を上げた。
「聞いてないの? ケイレアに向かっているんでしょう?」
「ええ、うん」
「今は行けないわよ。叛軍がいるから」
絶句した。私たちの危惧は既に現実になっていたということ? ということは、首都を防衛している親衛隊と叛乱軍がにらみ合っていて、通り抜けないとケイレアにはたどり着けない、ということだろうか。それなら簡単だ。私たちには頼れる乗り物がある。迂回すればあっという間だろう。
「迂回は考えていないの? 叛乱軍がこっちにいるなら、東部方面の街道に回って帰れるでしょう?」
「まだ、勘違いをしているみたいね」
姉さまは、これから口にしようとすることへの苛立ちを抑えているようだった。
「ケイレアそのものなの。叛徒どもがいるのは。親衛隊がまるごと代統領陛下に背くなんて。なんたること」
なるほど。なるほどね。落ち着け、私。ええっと、つまり、連邦首都ケイレアは叛乱軍の手に落ちている。というか、代統領陛下をお守りするために作られたはずの親衛隊そのものが反旗を翻している。でも、たまたまお出かけしていたシェリ姉さまは助かった。な、なーんだ。
「つまり、シェリ姉さまはご無事なのね。じゃあなんでもないや。解決するまでゆっくり――ええええええっ!?」
「飲み込みが遅い! ごめんなさいね、アトミールさん。うちの妹ったらそそっかしくていけません」
姉さまの言葉に恐縮していると、アトミールが答えるのが聞こえた。
「私が今この場にいられるのは、クロエさんのお陰です。あまりお言葉が過ぎると、私は不快です」
きっぱりとした声にシェリ姉さまは言葉を失ってしまったようだった。
「ごめんなさい。クロエ、いいお友達を持ったわね」
†
親衛隊謀反という凶報がユール家の主立った人たちのところにもたらされたのは、つい二日ほど前の昼下がり、ユール家主催の狩猟が終わって現地で昼食を摂っているときのことだったという。姉さまは夫であるグラスフ・ユール東部貿易局長に付き添ってその場に来ており、難を逃れたらしい。
連邦は中央集権国家だ。いや、ヒンチリフを見ればわかる通りそんなことはないのだけれど、建前としてはそうだ。だから、ケイレア周辺の行政機関はケイレアに集中している。このあたりの有力諸侯は多少所領から離れていたとしても、屋敷をケイレアに構えなければいけないという話も聞いたことがあるくらいだ。そこが突如として失われたことで地域の行政機構は混乱を来しているらしい。だからユール家の一員として姉さまも使用人を使って情報収集をしていて、その網にたまたま私が引っかかった、というわけだ。
ケイレア内部の事情はほとんどわからないものの、商人の通行は許されているため最低限の事情は漏れ伝わってくるのだそうだ。叛乱軍には確実に親衛隊が加わっていて、代統領陛下をはじめとした政権中枢の状況については全く不明。このような剣呑な状況であるのに、市内は不気味なほど平穏だという。
対してケイレア周辺の諸侯からなる連邦中央軍は既に動員を進めており、単純な物量では親衛隊をじき上回る。ケイレアは市壁もなく無防備な市街が広がっているので、一見すると容易く奪還ができそうなのだけど――。
「ケイレアの火は厄介だねえ」
私はため息をついた。
「古代の骨董品でしょ? 稼働も怪しいこけおどしって私は思っていたのだけれど。先走って奪還に向かった軍はことごとく散り散りになったそうよ」
ケイレアの火には謎が多い。そういう長距離兵器があることは知られている。その長距離兵器の正体がアミリス・オナーの海峡砲と同様に古代砲であるということも有名だ。だが、それ以上に具体的な情報は何もない。
「どんな攻撃なのですか? 生存者がいれば証言が得られるのでは」
アトミールが訊ねた。
「空が悲鳴を上げ、我らが天を仰ぐと轟音と共に黒い花が咲き乱れ、死神が鎌を振るったかのように将兵が薙ぎ払われた。生存者の報告よ」
「曳火射撃ですね。炸裂弾を空中で爆発させています」
「そんなことできるんだ……」
「地表との距離を何らかの方法で計測すればいいわけです。そう難しくはないんですが、この時代まで信管が維持されていたのは驚きですね。撃たれた距離はどれくらいでしょうか」
「まだケイレアの市街も見えなかったと聞いているわね」
「見通し線外から撃ってきた?」
「すごい射程だね」
思わずこぼした私にアトミールが視線を向けてきた。
「それもそうなんだけど。観測手段があるということだよ。どんなに射程が長くたって、見えないものは狙えない」
「ということは……ケイレアの火の本質はその観測手段にある?」
「その仮説には検討の価値があると思う。でも――これはまた今度話す」
私たちの会話を黙って聞いていたシェリ姉さまの表情が硬くなった。姉さま置いてけぼりで話しちゃったもんな。またお小言を言われるのかな。
「クロエ。あなた、ケイレアに行きたい?」
すっかり気持ちが萎えてしまった私の気持ちなどお構いなしに姉さまは訊ねる。
「うん。アトミールはいろいろ訳ありでね。ケイレアに行けば、何かわかるんじゃないかって思ってるんだ」
姉さまはしばらく俯き、考え込んでいる様子だった。まるで、何か重大な決断を下そうとしているかのように。
「姉さま、私、何か――」
「決めた。これはきっと運命だわ」
姉さまの凜とした視線が私を貫く。その瞳は魔法のように私を捉えて放さない。
「あなた、ケイレアを取り戻しなさい。私が推すわ」
「ちょ、ちょ、ちょ、待って。待って。推すって、何に。話が見えないよ」
「ケイレア奪還作戦の指揮官に。いい、今の連邦中央軍は奇襲を受けてガタガタなの。叛徒どもがケイレアの火を制圧して最初に何を狙ったと思う? 中央軍司令部よ」
「そんな、聞いてないよ。さっきは反撃の準備をしてるって」
「言ってないもの。反撃の準備をしているのは本当。でも、中央軍司令部は事実上存在しないから、ユール家が音頭を取って周辺諸侯と調整しながら軍を集めてる。お互いの思惑だってあるし、普段とやり方が違うから動員はちっとも進まない。こんなんじゃ勝てるかどうか怪しいものだわ」
「つまり、シェリエラさんの考えによれば――」
言葉を切ってアトミールは発言の許しを求めた。姉さまが頷くのを待って、アトミールは続ける。
「クロエには周辺諸侯との利害関係が小さいから仲裁者として立ち回れる。加えてシェリエラさんを通じてユール家の権威を借りることができる。そして、私を通じてケイレアの火への対策が立てられる。この三点から、クロエが反撃作戦を主導することに合理性がある、と?」
「そうです。若い女ということで舐められることもあるでしょうけど、そこは私の仕事だわ。ユール家が睨みを利かせる」
姉さまとアトミールが勝手に話を進めている。かつて目にした古の物語にあった言葉を、今なら使うことが許されるだろう。
私、一体どうなっちゃうの!?




