第54話「私の欲しいもの」
数日の事務仕事で目を回し、今度は現地視察の旅支度。アストーセ市街の小売り街は今日も賑わっている。買い出し品は保存食やその他消耗品、防寒着などなど。順調に買い物を進め、残るは保存用のお肉だ。
「ダメダメ。五本一束六十トアム。これ以上はまかりませんよ」
価格交渉は最近アトミールに任せがちだ。一歩引いたところでさりげなく会話に耳を立てる。
「わかりますよ。この除虫笹はとても質が高い。中身もよいお肉を使ってらっしゃいますよね。他にもいくつか見ましたが、品質の上ではあなたのお店が一番。是非こちらで買いたいのですが、一食いくらを考えてみてください。目方からすれば一本二人分でしょう。つまり一食六トアム。他の食材も考えたら十トアムというところでしょう。これはいけません。なんとか一桁トアムに抑えたい。そのためにはぜひ一本四トアムをお願いしたいんですよ」
彼女にお店との交渉を任せ始めた頃は見るも無惨だった。明らかに相場より高い言い値で買わされたり、お店の人の機嫌を損ねて追い返されたり。けれど、驚くほどの速さで洗練されてきた。いつだったか、「指標が明確なものは扱いやすいんですよ」って言ってたっけ。値切って買った脂身を頬張りながら。
「そうは言ってもねえ……。こっちだって商売なんですよ」
「もちろん損はさせませんよ。ここにある在庫、十束全部頂きましょう。値段は二百トアム。どうですか」
お店の人は驚きの余り叫んだ。
「全部!? ほんとに良いのかい。いくらシオールの束肉だって日持ちは十日もないよ。あなたたち二人旅でしょう」
「そこは、まあ。工夫があるんですよ。どうです。二百トアムで」
「……二百二十なら」
「決まりですね。ありがとうございます」
こんな調子で旅支度自体は順調そのものなのだけど……。別の問題があった。
「いやー。捗る捗る。全部アトミールのおかげだよ。ありがとうね」
アトミールに声を掛ける。荷車を隣で引いてくれている彼女は、さっきの商談とは打って変わって無表情だ。
「いえ。大した負担ではありません」
必要最小限。しかも敬語。感情の伺えない顔。まるで昔に戻っちゃったみたい。でも、これは多分あのときとは性質が違う。これは、いわゆる機嫌が悪いってやつだな。……なんで?
「あのさ、アトミール」
「どうしましたか」
「ごめん。なんでもない」
荷車が地面を蹴る音と街の喧騒とを背景音にして沈黙がのしかかる。うーん。何かいけないことをしただろうか。
悩みながらも歩みを止めるわけにもいかない。やがて、実用品だらけだった街の雰囲気が変わりはじめた。この辺りは衣類や装飾品のお店が並ぶ地域のようだ。服は大抵が古着のようだし、装飾品だって宝石や貴金属という雰囲気ではない。ごくごく庶民的なお店ばかりけれどもこの辺りを歩く人たちの顔は明るく、連れ立って望みの品を探し回っているようだ。
そうか! 私はこの瞬間、幸せそうなあたりの人たちにお礼を言って回りたくなった。
いきなり立ち止まった私を怪訝に見つめる彼女の手を強く握った。
「うん。おしまい! 支度も終わったし、明日は遊ばない?」
「え……突然。急にどうしたの」
ふふ、驚いてる驚いてる。口調も元に戻ってるし、作戦は成功みたいだ。
「内緒でーす。さあ、観念して私に付き合いなさい」
†
「ごめんください。ミルボール商会はどちらになります?」
道行く人に教わって辿り着いた店は、煉瓦造りのどっしりとした二階建てだった。開け放たれた扉から中に入ると、店員の一人がすばしこく私たちのところへ駆け寄ってくる。
「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いいたします」
準公服に身を包んだ店員が慇懃に腰を折った。
「この子に服を選んでもらいたくって。素敵なのをお願いします」
店員はやや思案すると、申し訳なさそうに顔をしかめる。
「ははあ。お召し物でございますか。恐れ入りますが、当店は仕入れと卸しが生業でございまして……。お役に立てますかどうか」
つまるところ、小売りはしていないとやんわり教えてくれている。
「恐れ入ります。差し支えなければ小売りのよいお店を教えてくださいませんか?」
「左様でございますか……」
店員が思案顔のまま固まってしまった。ううん。困ったな。こんなことならフェリに信頼できるお店を聞いておくんだった。善後策を考えているうち、奥の方から責任者らしい人が近付いてきた。気付いた店員が責任者を振り返る。
「こちらのお客さまがお召し物の小売店をお探しでして――」
責任者の視線が私の目、次いで胸元の身分章、その二段目に記されたヒンチリフ家の紋章へと注がれた。
「入り江に星の二又航路……!」
顔色を変えた責任者が店員を押しのけて私の前に立った。
「誠に申し訳ございません。すぐ応接室へ案内いたします」
ミルボール商会はヒンチリフを本拠としていて色々とお世話になっているから便宜を図ってくれるだろうというつもりではあったけど、効き目がありすぎる気がするな。
「そんな、お気を使わせてしまって。私はお店さえ教えてくだされば結構ですから」
責任者の顔が引きつった。これはまずいかも。
「恐れ入りますが、当店の者が何か失礼をいたしませんでしたか?」
正直に話したら店員さんが怒られる奴だ。責任者の背後から店員の縋るような視線が私へ注がれる。
「いいえ。こちらでは小売りをなさっていないと思いましたので、どこかよいお店をご存じないかと伺っておりました。大変親身になって考えてくださっていたところです」
うん。中々如才ない答え方ができたぞ。最終的には服が欲しいという希望を伝えつつ、事を荒立てることは望まないことも強調できたんじゃないかな。
責任者の顔から緊張感が消える。うまく伝わってくれたようだ。
「それは、それは。わざわざ私どもをお訪ね頂き誠に光栄でございます。確かに当店は小口の小売りを主な生業とはしてございませんが……」
言葉を切り、店員に一瞥をくれる。多分、実際の状況自体は既に察されてしまっているだろう。お小言くらいはあるかも。ごめんね、店員さん。
「日頃大恩あるヒンチリフ家のお方へのお役目、よそに取られるわけには参りません。是非、当店をご利用ください」
†
品物を準備するまで待って欲しいと言われて奥の一部屋で待つことになった。
「うわっ」
出されたお茶を一口、驚きの声が口をついて出た。慌てて部屋の中を確かめる。大丈夫。店の人はいないな。
「美味しくない?」
「そうじゃなくて……。うちで飲むものより良いお茶だよこれ」
香気の繊細さが一段違う。どれだけ気を使われているんだ。この様子だと、お茶菓子も……。
焼き菓子を一口。かみ砕くごとに広がる甘みには精製砂糖の純粋な甘さに柑橘の爽やかな香りが混じる。精製砂糖なんて滅多に手に入るものじゃないよ。ちょっとずつ食べよう。
「ねえ、クロエ」
お茶とお菓子ですっかり酔いしれていたから突然の呼びかけに驚いた。多分、変な返事の仕方になっていたと思う。
「どうして急に服? 私は服の価値を感覚として理解できないから……もっと、ふさわしい贈り先があると思う」
断り文句の中に混じるいじけたような響きで、私はようやく彼女の不満の理由に気がついた。
「例えばフェリとか……って、こと?」
こくりと頷く返事を確かめて、ここまでの経緯を反芻する。彼女が不機嫌になったのはフェリと会ったあとのことだ。その後、私とアトミールの間の種族というか……存在の成り立ちの違いを強調するようなことを言うことも含めると、こういうことだろう。心の中のアトミールが絞り出すように言葉にする。
「結局、同族の・古い友人のほうがあなたの傍にいるにふさわしいということなんですね」
うわーっ。めんどくさい。私のことをめんどくさいやつ呼ばわりしておいて! 前に喧嘩したときもアストーセだったよね。この街には彼女と私の間に溝が生まれる呪いでも掛かっているんだろうか。
いや、まあ、でも。前向きに考えよう。屈託を口外してくれているんだから、手の打ちようはいくらでもある、はず。
「そんなことないよ。うーん、じゃあ――」
私が贈りたいから贈る。駄目かな? いや! 駄目だ! 慌てて開きかけた口を閉じる。この言い方じゃあ「異質なお前に私の好みを押しつける。従え」という話になってしまう。若かりし頃(いや、まだ一年も経ってないんだけど)の私がその手の傲慢さを発揮したお陰でアトミールを地上に連れ出すことができた
のは事実。だけど、今この場の彼女に向き合う態度じゃない。
彼女の「異質さ」に思いを馳せる。彼女は私たちよりずっと強い体と研ぎ澄まされた知性がある。それに、私たちのように肉体に縛られることもない。お昼過ぎに襲う抗いがたい眠気に悩まされたり、目の前にぶら下げられた甘いお菓子に釣られて頼み事を引き受けてしまったり、あるいは、眠れない夜の衝動に耽ってしまうこともないのだろう。彼女が光や音のように親しんでいる電波は、私たちにとってはとても縁遠いものだ。
笑ったり怒ったり、アトミールにこころはあると思う。けれど、そのかたちは私たちとは異なるのかもしれない。
そんな異質さに向き合い、受け入れ、寄り添う方法とは何だろう?
残念だけど、いくら考えても結論は出そうにない。だから。
「服じゃなくてもいいよ。何か、アトミールが綺麗だなって思うものとか、欲しいなって思うものはない?」
彼女自身の知恵を借りるしかない。なんだかみんなに借りを作ってばかりだなぁ。
この質問はアトミールの予想から外れていたようで、返事が返ってくるまでに少しの時間が必要だった。
「定義を確認したい。美しいというのは、対象を認識したときにもっと認識したいと感じさせる能力があること?」
「ごめん。もう一回言って」
二回聞き直して、ようやく彼女の言いたいことを理解した。
「ちょっと違うかも。例えば、人の噂話ってあんまり上品じゃないけど……わかっててもつい知りたくなる、みたいなこともあるでしょ」
「なるほど……じゃあ、対象を認識したとき、より深く理解したいと感じさせる能力があること。どうかな」
噂話みたいなものはただ認識するだけ。その噂を通じて噂されている人を深く理解したくなるかというと、そうでもなさそう。
「良いかも」
学問的な議論はあるんだろうけど、今大切なのは私とアトミールの間で見解が一致することだ。
「ありがとう。じゃあ、次。欲しいというのは、そのものに対する主観的距離を近く保っていたいと感じる状態?」
「主観的距離って?」
知らない用語をすかさず確かめる。
「欲しがる人と対象によって変化する、けど当人からすると一貫性のある基準として私が定義した。そういう意味での距離っていう言葉をクロエも使うでしょ」
「あの人とあの人の間には距離がある、とかの意味の距離ってこと?」
「そう。ここまでの前提でクロエの質問に答えるね。私が直ちに理解できない秩序の存在が想定できそうな対象には美しさを感じる。例えば歴史、商店の帳簿、洗練された機械」
ふんふん。わかる気がするな。多分、数学者がある種の数式を美しいと形容したりする感覚と近い。こうして理解はできるけど、贈り物に落とし込むのは難儀だぞ。
「じゃあ、欲しいものの方は?」
より直接的な質問だ。これで答えが見つかればいいんだけど。まあ、彼女にとっては難しい質問だろうからじっくり考える時間をあげよう。優雅に残りのお茶とお菓子を味わうことにたっぷり時間を掛けてから、彼女の様子を伺った。
なんだか変だな。私の方を困ったような上目遣いで見つめてくる。え、何。思った以上に困らせちゃった?
ぐい、と顔を寄せてくる。何だ。何を言われるんだ。固唾を呑む私の前で、ついに彼女の口から言葉が発せられた。
「クロエ、じゃ駄目だよね」
……私? ああ、なんだ。私かー。よかった。ちゃんとアトミールにも欲しいものがあって。……うん?
「えーっ!? 欲しいの!? 私!?」
冗談? いや、違う。この顔は本気だ。
「その……どういう意味で……? その、まさか……」
そこから先を想像したらほっぺに火がついた。いやいやいやいや。そんな。異類婚姻譚! ロマンティック! だいたい悲劇! とめどなく噴き出す連想に頭の中も沸騰状態だ。
「そうじゃなくって。いや、その、興味がないわけではないけど……。違うの」
あ、違うんだ。安心したような、なんだか不満なような……。いやいや。一瞬の沸騰で胸の中に溜まった蒸気がため息として漏れそうになるのをぐっと我慢。下手な反応をすると彼女を傷つけてしまう。絶対。さっきの驚きで既に結構危ない気がする。
「私から積極的に影響を与えたいと思うようになった。自分の行動を評価するための信頼する相手としてクロエを扱っていることは前に話したよね。それだけじゃなくて」
なるほどなぁ。いやあ、びっくりするほど恥ずかしいぞ。
気の利いた返事をしなければと思うほどに言葉が浮かばず黙り込んでしまう。そんな沈黙に耐えきれなくなったかのように、彼女は言葉を続けた。
「わかってる。こんなの要求すべきものじゃない。でも、他のものが考えつかなくて」
「別に欲しがることは悪くないけど」
最短距離で希望を叶える方法がないんだよな。ぽんと買ってあげられるものでもなし。いや、でも待てよ。
「それならさ。考え方を変えようか。つまりねえ――」
扉を叩く鈍い音が部屋に反響した。どうやら準備ができたようだ。




