第55話「我かくのごとくなり」
「どうぞ」
クロエラエールがノックに答える。ドアノブが捻られて入ってきた従業員たちは統制された動きでそれぞれの役割を果たしていく。素早くテーブル上の食器を片付け、あるいは商品を載せた台車を押して入り、テーブルの横へと寄せる。仕事を終えて去っていく彼らと入れ違いに入ってきた従業員が恭しく腰を折った。
「お待たせいたしました。リューイジク服飾共同購入組合より参りました代表代購人クラヴィーニャ・ユリスと申します。本来私の仕事は組合員のため上質な服を調達することでございますが、ミルボール商会さまの依頼により、今このとき限り、お客さまの専属代購人として働かせていただきます」
「ありがとうございます。リューイジクの代購人と言えば目利きの鋭さはヒンチリフまで轟いております。どんな品物を拝見できるのか、今から楽しみです」
クロエラエールが見せる社交の顔。世辞は得意でないと彼女は言うが、必要な水準は十分満たしていると私は思う。その彼女の顔が瞬時に同輩へ向ける顔に変わって私を向く。
「さっきの続き。アトミールの話を聞いてね。装いは表現の一形態だって話を聞いたのを思いだしたんだよ。身分、価値観。そういうものが装いには出る」
彼女はおもむろに自分自身の肩に触れた。
「どう。これなら興味が湧かない?」
新鮮な指摘だった。人が直接的な意見交換以外の様々な形でコミュニケーションを取ろうとすることは理解している。何らかの創作行為を行い、受け取り手が反応することによって成立するものもあることも理解する。しかし、私自身がそれに興味を持つということは考えたことはなかった。
外部からの入力に対する応答ではなく内発的な動機で創造行為を行うことは人の得意とするところだ。それは生まれながらの目的を持たないヒト個体が自身の目的を探索する過程なのだろうし、時間的空間的、あるいは精神的な存在領域を拡張するという社会や種の単位での戦略上も有利な性質なのだろう。私自身もそんな性質によって生みだされたと言っていい。
いざ問われてみると、確かに興味がある。私が生みだしたものをクロエラエールはどんな風に受け止めるだろう。他の人々はどうだろうか。このように問題を再定義すれば、これは私が強い関心を抱く問題へと変換される――世界をもっと知りたい。
「やってみる」
クロエラエールは嬉しそうに微笑んだ。
†
最初に判明したのはリュースの物思いという慣用句がこの場合は当てはまらないということだ。用意された服の組み合わせが膨大というのもあるが、そもそも自分が何を表現したいのかという難問にまず向き合わなくては行動に移れないのだ。
ヒトは湧き出でる情熱に従って何かを創り、理由は後付けであることもあるという。この方法は少なくとも今の自分には難しい。では、どうするか。
今までに入力された服飾パターンを学習して新たな服飾パターンを生成する方法はどうだろう。いや、これはいけない。この方法で生み出したものをランダムに選択することは表現ではない。少なくとも意志による選択の要素が必要だ。
クロエラエールが好みそうなパターンを選択すれば? これは一見すると有利に見える。クロエラエールは自分が好む姿をした私を見て喜んでくれるだろう。彼女を喜ばせたいという私の意志も乗る。要件は満たしている。
しかしこれは易きに流れていると結論した。クロエラエールは私が何かを表現することを望んでいるのであって、自分に媚びることを望んでいるわけではない。私の意志が介在する以上、彼女に喜んで貰いたいという意図が含まれるのは必然だ。しかし、それだけではいけない。――ともかく一つ、自分の表現したいことが決まったことで満足しよう。
その後の思考は何秒も循環して結論に至らない。自分の中にある情報が近似解を与えるにも不足しているのだろう。こういうときは外部から情報を取り込むに限る。クロエラエールに目を向けると、彼女は一度目を合わせてからクラヴィーニャへ目を向けた。「まずは専門家に聞いてみようよ」そう読み取る。そう言うなら仕方がない。
「すみません。伺ってもよろしいですか」
「何なりと。そのために参上したのですから」
恭しく頭を垂れるクラヴィーニャに訊ねる。
「皆さんは服で何かを表現するとき――どのようなことを表現しようとされるのでしょうか」
「様々な方がいらっしゃいますので一概に申し上げることはできかねます。しかし一般的な例でしたらば。服と言いますのは第一に目に入るものでございますから、初対面の方にお伝えしたいような内容が重視される傾向はございますね。公服は公の場で最も重要なご身分ご職業を知らせることに特化した衣装でございますし、業服ですら作業用としての役割のみならず、公職を持つことを知らせる意味がございます。公服・業服の類はある程度の形が定められてございますので、自由な表現を行うのでしたら私服を活用なさることをお勧めいたします。いかがでしょう。クロエラエールさまは私服についてはどのように工夫しておいでですか?」
「え、わた……」
不意を衝かれたクロエラエールの口から、素の彼女の言葉が漏れかける。
「こほん。私の場合でございますか。……えー……率直なことを申し上げますと、私もあまり私服の工夫は得意でありません。おおむね仕立屋さんのお勧めされるものをそのまま着てしまっています」
私的な散策名目でヒンチリフの街を歩いていたときの姿を思い出す。
「随分と色とりどりでひらひらした服を着ていましたね」
「あ、あれはね……古代布を沢山使ってるから……」
ばつ悪そうにクロエラエールが目を逸らす。散策時も居心地悪そうにしていたことが思い出される。彼女の趣味ではないのだろう。
「化繊寄せのお仕立てですね。視覚的には大変お似合いかと存じますが……確かに、表現という意味ではクロエラエールさまは気恥ずかしく感じられるかもしれません」
「そうなんですよ。みんな似合うって言ってくれるんですけど、どうにも……もっとこの服にふさわしい人がいるんじゃないかって思ってしまうんです」
僅かに地の滲む受け答えがクロエラエールの驚きを物語る。
「化繊寄せは豊かさと華やかさを強調するものでございます。クロエラエールさまは飾らない方とお見受けいたしますから、そこで気恥ずかしさを感じられてしまうのでしょう。いかがでしょう。この機にご自分のお洋服も求められては。お手伝いいたしますよ」
「ううん。考えておきます」
二人のやりとりから新たな知見を得た。服という媒体を通じて行うコミュニケーションとは自らが何者であるかを宣言するものだ。それは地位であったり、あるいは信念であったりする。――ああ、そうか。私はもう同じことをしたことがあったのだ。
「もう決められます。こちらの並びを拝見してもいいですか」
我かくのごとくなり。我ここにあり。自分自身の姿として敢えて人の形をかたどったあのときに。




