第50話「お金は元々誰のもの?」
私という人間は思ったよりも図太くて、絶体絶命の時でも案外我を失わないらしいと知った。でも、緊張が峠を越したあたりで前借りした分が一気に来るらしい。アトミールに思い切り抱きつくなりなんだか力が抜けて、倒れ込みそうになってしまった。彼女が支えてくれる虚脱しきった全身の中で、膝だけががくがくと笑う。反撃への備えなど目先の仕事は全部アトミール任せになってしまった。
幸いだったのはギヴラストたちがすぐに逃げ出したことだ。爆弾が無力化されては勝ち目がないと踏んだのだろう。もっとも悪人らしい手癖はいかんともしがたいらしく、彼らの逃げてゆく先にはどす黒い煙が上がった。文字通り対岸の火事を眺めながら、私は嫌な想像をした。そう、あの作業小屋のことだ。アトミールに様子を見に行ってもらったが、肩を落とした彼女の様子から私は悟った。黒焦げの小屋と、物言わぬ「先輩」の亡骸しか残っていなかったそうだ。
埋葬では私も手を動かした。せめてもの責任の取り方だと思ったから。
戦いそのものの決着は着いた。けれど、残る課題は多い。一つ一つ片付けていこう。
だいいちに爆弾の扱いを決めないといけない。意見を求めてみたけれど、村の人たちは厄介な爆弾になどに関わりたくなさそうだ。よし、私たちがなんとかしよう。意を決してアトミールに相談してみると、拍子抜けする答えが返ってきた。
「純粋核融合型は放射性物質を殆ど内包しない。解体はそんなに難しくないよ。クロエがスケッチしたら私が食べちゃって、残った部品は村の人が売ればいいんじゃない」
質量転換爆弾を食べるなんてことが話題に上ったのは人類史上初めてのことなんじゃなかろうか。晩ご飯の残り物について論じるみたいなアトミールの様子を見て私は噴き出しそうだった。
それはそれとして、と私は頭の中で計算器をはじく。アトミールの提案は気に入った。村は安全になるし、収入にもなる。アトミールもご飯が増える。なにより私の資料が増えるあたりがいい。この方針で提案してみよう。
ヒンチリフ家の代表として父さまがいるように、この村にも代表者がいる。それが独吏のヨルト・ホリスさんだった。独立吏員は現地に駐在していない行政官に代わって地域の面倒を見る。待遇の割に責任の重い仕事だ。どんな人なのかなと緊張しながら彼の事務所兼自宅を訪れると、この村としては身なりの良い中年の男性が私を見るなり頭を床へこすりつけてきた。
「この度は私めの監督が行き届かぬばかりにヒンチリフのご令嬢に対しなんたる狼藉を……。まことに! まことに申し訳ございません!」
私が苦手なものはいろいろある。私の背後にある権力に怯えて媚びてくる人の相手をするというのは、その中でも代表的なやつだ。しかも、今回の場合はあながち相手の恐怖に故がないわけでもないのが始末に負えない。私の地方監部への伝え方によっては彼の首は本当に宙を舞うことになる。私の帯びる身分という呪いの剣はひとりでに彼の喉元へ突きつけられているんだから。
「ホリスさん。顔を上げてください。私はこの村の方々に命を救われたんです。どうしてあなたが詫びなくてはいけないのですか?」
しゃがみ込んで話しかけると、ホリスさんは上目遣いでこちらを見た。床にこすれたおでこが赤い。
「なんと! なんと寛大なお心! さすがはヒンチリフのお方。街が面するという雄大な穣海よりもお広いお心ばえ! 私め、感激のあまり言葉が出て参りません!」
十分雄弁だと思う。突っ込みそうになるのをこらえて実務的な話をしよう。こほん。
「皆さんは武力による脅迫で賊に支配されていた。私たちは皆さんを人質に取られ投降した。見かねた皆さんが勇気を持って立ち上がり、私たちが反撃をするための隙を作ってくださった。そうですね。ヨルト・ホリス独立吏員」
「……! もちろん、もちろんでございます。私めが大任を仰せつかっているこのリーヴルタリス・アストーシィに代統領陛下に仇なす不届き者などいよう筈もございません。ただ、少々私どもには勇敢さが足りておりませんでした。そんな私どもでもヒンチリフさま方の民を慮るお心の深さに勇気を賜り、少々お二方の活躍のお手伝いをさせていただくことができた次第でございまして」
揉み手しながら引きつった笑みを浮かべるホリスさん。語彙と理解の速さは結構凄い。私でもここまですらすら言えないよ。
「爆弾問題と経済問題について相談に参りました。どこか落ち着いてお話のできる場所はありませんか?」
ホリスさんはあたふたと私たちを応接室に誘ったが、扉を開けるなり硬直した。なんだろう。彼の肩越しに部屋を見る。そこには納戸があった。
「ああ! 申し訳ございません。普段はお客さまなどいらっしゃらないものですから……。ヒューラ! ヒューラ! 応接室を片付けておくれ!」
額から汗が流れている。そこにホリスさんと同じくらいの年格好をした使用人の女性がやってきて雑然と農具などが仮置きされている部屋を片付け始めた。
「それなら……椅子だけエントランスに持っていきましょうか」
しきりに恐縮するホリスさんを制して応接室に置いてあった椅子の一つを持ち上げる。今日も昨日と劣らず大変な日になりそうだ。
†
「というわけで。解体した爆弾の残り部品は差し上げます。換金すれば村にとっていい収入ですよ。これを元手にすれば経済問題解決の原資になると思います」
爆弾についての提案は、けれど思ったほど感触がよくなかった。額の汗を拭いながらホリスさんが言う。
「いやぁ……。ヒンチリフさまのお心遣いはまことに恐縮の限りなのですが、現実に換金するというのは中々に難しいものがございまして……。ご存じかと思いますが、最近は遺物にも贋作がございますから、手前どものように知恵も力も至らぬ者たちにとって、贋作の疑いを払拭することには大変な困難がございます」
むむむ。そういえば贋作に手を焼いてる話を聞いたことがある。軽銀のありふれた遺物をこねくり回しつなぎ合わせ、さも世紀の大遺物のように言って売りつけるというのがよくある手口らしい。現物を目にしたことはないけど、少なくとも素人さんが見分けるのが難しいだろうということは想像が付く。
「よし。じゃあ私が――」
袖を引かれて何かと思うと、我が尊敬すべき相棒が忠告を囁いてくる。
「適正価格で買い取ろうとすると所持金じゃ足りない。安値でも文句を言わないとは思うけど、本当に買う?」
「う……じゃあ……手形を切って……」
「払うのはアストフォルトさんだよ。腰を抜かすと思うし、お金は元々誰のもの?」
うん。ヒンチリフの領民だね……。考えなしの言葉だった。
「私が説明書きを用意します。売ってくださってもいいですし、保存して後世に残してもいい。経済問題については別途考えましょう。資料が欲しいですね。資料室のようなものはありますか?」
「クロエ、これ」
帳面を見ていたアトミールが険しい顔を上げた。
資料室は例の応接室の下にあった。上階からは大騒動が聞こえてくる。今まで納戸扱いしていた部屋からたんまりとツケを払わされているんだろう。
「横領?」
囁き声で訊ねる。上は例の騒ぎだしアトミールが注意してくれているとはいえ、話題の人物の邸内で物騒な話題を聞かれるわけにもいかない。壁は素朴な木の板壁だ。立ち聞きするつもりがなくたってうっかり聞こえてしまいかねない。
「そう、かも。農具の共同購入みたいな農業関係の支出が多い割に徴税額が伸び悩む年が結構ある。豊作で出費が増えたけど――」
アトミールが黙り込んだ。しばらくして、玄関を誰かの出入りする音。足音が聞こえなくなるのを待って、アトミールは話を続けた。
「収穫量を誤魔化してるように見える」
農業への課税は、収穫量のうちの一定割合という形で行われる。徴税自体をやっていないなら職務放棄だし、徴税した上で過少報告しているなら横領。いずれにしても発覚したらただでは済まない。
「うーん……。不作のときはどう」
「収穫については正直に報告していると推定できる。住民への支援を盛んに行っているけど、追っていくと財源がよくわからない。帳簿通りだとこんなに使うお金はないはずなのに。よく堂々とこの部屋を見せるね。開き直ってる?」
「帳面の監査って大仕事だよ。何年もの結果を表に纏めて突き合わせて……。手伝ったことあるけどもうやりたくない。一日二日でやれることじゃないし、私たちが長逗留しないことはわかってるんだよ。隠した方がよっぽど怪しいしね。ほんと、アトミールには敵わないよ」
「時系列情報から不自然な規則性を見つけるのは無人機に与えられるタスクとしては初歩的。まして――」
目を細めてこちらを見るアトミール。もう何を言おうとしてるかは見え見えだ。
「全自律無人機たるあなたにとっては、子供の遊びみたいなもの?」
「言おうとしてたのに!」
彼女がわざとらしく膨らした頬を見て、私は大笑いした。
閑話休題。真面目な話に戻ろう。徴税実務者の着服はよくある話らしい。なにしろヒンチリフだってそう偉そうなことは言えない。ケイレアに持って行かれるくらいだったら領内の投資に回してしまう、くらいの工夫はしてるんだし。
「うーん……。どうしたらいいのかな。それって、つまり、豊作時に誤魔化しておいたお金を不作の時に使ってるってことだよね」
両の人差し指を絡ませながら天井を見上げた。父さまだったらどうするんだろう。
「前崩壊文明以来の伝統的な法規範に照らせば許容できない。でも、私は目をつぶってもいいと思う」
「意外。アトミールならもっと厳しいこと言うかと思ってた」
「私が私の思うままに世界に介入しようとしたら、アトミール機械帝国ができちゃいます。クロエはそれがお望み?」
「さぞかし豊かな世界なんだろうね」
「人類への奉仕こそ我が使命。完璧に制御された世界を提供いたします。自由以外のものなら大抵ご用意いたしますわ。幸福が義務なくらいに」
「絶対やりたくないくせに」
「もし私がそうしていたなら、現代の人々はもっと幸せだったと思う?」
「え?」
「なんでもない。それで、この疑惑はどうする?」
一瞬だけ見えた普段と違うアトミールは、瞬きをしたら消えていた。
「えーっと……。そうだね。見なかったことにしよう。経済の状況については何かわかった?」
「自給自足的農業をしながら果実酒の販売で細々と現金を稼いでいる。自給自足的農業の方だって農具の購入みたいな形で現金を必要とするから、相対的な経済力の後退は長期的には非常に危険。十年以内に自給自足的農業も含めた縮小再生産が止まらなくなる。そうなれば――」
生唾を呑み込む。理解を確かめるような彼女の目線を受けて、私は後を引き取った。
「飢餓にまっしぐら。それだけは避けないとだね。対策は……」
「割の良い賭けがある。低確率だけど、勝てば村の経済とクロエの知的好奇心が満たされる。一番大きな負け方をしても失われるのはクロエの命くらい」
「まだ死にたくはないかなぁ。大負けの確率はどれくらい?」
アトミールが何に賭けようとしているかは私にもわかった。反対するつもりもない。でも、聞いておくのが礼儀の気がした。
「計算はできない。でも、私がいる」
「じゃあ安心だね。行き先はもちろん?」
「そう。自然現象を制御して幸福をもたらすもの。私の遠いご先祖さま。アストーセダム。もし今も電気が生み出せるなら――」
大規模な電源が今も眠っているとしたら。私の母校があるネルジコシムの栄華を思い出す。電気は街を照らし、古代材料を融かし、削り、曲げる。生きている古代の機械を駆動することだってできる。アストーセの炉としての可能性は計り知れないだろう。湖畔一帯に電気の灯が点る様を夢想して、私は叫んだ。
「何だってできる!」




