金蘭の契り(四)
「美里さん、お客さまがおいでなのよ。お茶を出して差し上げてくださいな」
母の、春の光のように弾む声が美里をむかえた。この母の沈んだようすというものを、美里はおよそ見た覚えがなかった。
「どなたがおいでなのですか」
「日高のおじさまと、父上のお知り合いですよ」
「父上のお知り合いですか。わたくしはお会いしたことがない方でしょうか?」
「お顔を拝見すれば、美里さんもおわかりになるはずですよきっと」
「その方は、日高のおじさまともお知り合いなのですか?」
「お行きになればわかりますよ、さあ、これをお運びなさって」
銀杏、白菊、それに桔梗を象った落雁である。桔梗、それは美里の胸を突いた。番傘と紺桔梗の袖、癇のつよそうなあの目は、こちらに向いている。
「おかあさま」
美里は呼びかけた。この継母の、春の陽にとけるような、滲むようないつくしみは、一度は美里の心を砕いた。けれども、離れることができようか。このいつくしみと離れて――、いつかの隼の雛のように、親しいひとびとと離れて――――
美里が客間に菓子を持っていくと、もうひとりの客と談笑していた日高平吉は、さらに相好を崩した。美里はそして、そのふたりが知り合いであったことに驚いたのだった。
「黒田師範……!」
「美里どの、久しいですね」
藩校の道場で剣術指南をする黒田師範は、清々しい笑みを浮かべた。
「日高のおじさまと師範はお知り合いだったのですか?」
「四之助さまとの誼で。四之助さまと黒田さま
が、連れだって江戸へ来られたときに、お世話をさせていただいたのですよ」
黒田と美里の父・斎藤四之助は、藩校の同窓であった。倉名藩ではおよそ七年通うものであるが、四之助の最年長と黒田の最年少で、一年同じだった時期があった。四之助が江戸へ赴いたおり、同行していた黒田も平吉と知り合ったのであった。
斎藤家と黒田家は、代々昵懇であるが、日高平吉と黒田師範がこうも打ち解けていようとは、美里には今日まで知らぬことであった。
「それがしは、まだ藩校を出たばかりの頃でしたな。また江戸へ往きたいものです」
懐手をした師範は、目を細めた。
「倉名もよきところです。江戸の空風と雪は、ほんに身に堪えますゆえ。おふたりも、江戸へおいでになった時分には随分とお辛そうではありませんでしたか」
江戸詰めになった藩士が、冬の江戸の寒さに、上役や家族へ泣き言を文に書いて寄越すのが倉名武士の通例であった。
「雪が降ることも滅多にありませんからな。ましてや大川が凍るなど。隅田川が凍ったときには仰天したものだ」
大川は、倉名山の裾野と平行するように伸び、倉名城の堀にほどちかくに架かる橋を流れ、やがて海へと至る。青葉が薫るころには、隼の親子がその川岸や海岸で狩りをするのだ。
「川が凍るのですか」
美里がつぶやくともなしにつぶやくと、「さよう、あれは見物ですぞ」と、黒田師範は茶目っ気まじりに答えた。
「ときに、美里どの。こうして間近に顔を合わせるのは久方ぶりですな。黒田の祝言からはや三年ちかく経つゆえ。あのおりには、美里どのは義姉上の提子役になっていただいた」
然るに、それはもはや天啓であった。雄蝶雌蝶は一対のものである。婚礼のおりの、折紙の蝶飾り。
金屏風に、綾にしき、ぼんぼりと桃灯籠────。
その景色は、とおくなるのである。




