五十六、壬生
「私に山門派の意向に背く行為をせよと?」
尊鎮は困ったような顔をする。
「結果そうなる事になりましょうが、
拙僧はただ、無駄な犠牲を出したくないのです」
その後二人で見つめ合い、しばらく無言の時間が流れる。
「……はあ、わかりましたよ覚恕どの。
その時は何か理由をつけて、今回は協力できぬとお伝えしましょう」
そう言って尊鎮が苦笑する。
「良いのですか尊鎮どの?助かります」
「覚恕どの言動には悪意がありませぬからな、そこを断ってしまうのは同じ僧としても心苦しい、ただ」
「ただ?」
「同じ要求が妙法院でも通ると思わない事です。
あちらの門跡は、私のように甘くはないですよ」
尊鎮は拙僧に、そう釘を刺してくるのだった。
さて次に向かうのは妙法院であるが、ここは様々な背景で何度かの移転を経て、現代とは違う場所に建てられている。
南叡山という別称が示す通り、元々は比叡山の西塔にあった坊、いわゆる小さな寺院であった。
平安時代末期、後白河法皇の時代に綾小路小坂の地に移転したのだが、そもそもこの辺り一体が法住寺殿と呼ばれる院御所の巨大な敷地で、複数の寺院や神社が並ぶ。
どれくらい巨大かというと約六十へクタール、東京ディズニーシーがすっぽり入る大きさである。
法皇の深い信仰心がそうさせたと史実にあるが、さしづめ寺と社のテーマパークである。
この中にかつて蓮華王院という巨大な寺があったが焼失し、現代も残る三十三間堂だけが再建され、この時代にも現存する。
「話には聞いていたが……長いな」
とは、同行の坊官の珍平の弁。
三十三間堂は文字通り三十三の柱で区切られ全長120メートルある長い建物には1001体の仏像が収められている、らしい。
ただあくまで現代での話なので、この時代にも千体以上仏像があるのかは不明だし、今回は目的地でないので中を確認する予定はないが。
なお現在では消失しているが史実では秀吉が巨大な大仏を建造し、その兼ね合いで妙法院も再移転したとされる。
そんなこんなで、妙法院に到着。
ちなみに、かつてここの門跡だった覚胤法親王が今の天台座主、つまり比叡山の代表で伏見宮、天皇家の親戚筋の貞常親王の王子である。
拙僧のように天皇直系なら皇子だが、そうでない親戚筋なので「王子」。
加えて70近い老齢で、僧侶としての経歴も長い法親王であるため天皇家より「寺」を重視する立ち位置の人間である。
なお天台座主に関しては史実通りであれば、その次が尊鎮、二人ほど挟んで拙僧の番である。
尊鎮は拙僧と同じ「皇子」、国を統べる天皇の血筋なので同じ天皇家の血筋でも覚胤法親王とは微妙に立ち位置が違う。
「乗胤と申す」
その妙法院は、代表の門跡でなく老齢の坊官が対応した。
「うちの門跡から覚恕どのに、いくつかお聞きしたい事があるらしい」
「曼珠院の門跡、慈運様は門跡の弟である。
そこ経由でなく青蓮院の尊鎮様を頼ったのは如何なる理由か」
そうなのだ。拙僧の師匠である慈運様は同じ伏見宮家の兄弟。本来ならそれを頼るのが筋であるが。
「慈運様には相談しずらきお願いを、法親王に頼みたく存じますれば」
拙僧はそう答える。
法華の乱で法華宗と山門派が衝突するから、何もしないでくれという要請は、自分の直の師の慈運様には流石に頼めない。
「うちの門跡はそこを気にしている。
この妙法院に、山門派の意と異なる行動を強いるおつもりか」
結果そうなるかもしれないが、そこが妙法寺には納得がいかないらしい。
「ですがこの妙法院、かつては仏光寺を口入れし救ったこともあると聞きます」
と拙僧は過去の事例を持ち出す。
そう、かつて天台宗と浄土真宗の争いが起きた時に本願寺は打ち壊しにあったが同じ宗派の仏光寺は難を免れ、それは妙法院の働きかけによるものだったらしい。
「同様に、理由如何によっては他の宗派への救済もあり得るのではと愚行致します」
求めるのは法華衆と山門派との争いの回避だ。
何かの妥協の余地は残して欲しいと訴えたのだが。
「それを決めるのは我々であり、覚恕どのが口を挟む問題ではない」
いや、確かにそうかもしれないが。
「そもそもご存知のかと思うが、妙法院は先代の門跡が今の天台座主である。当然その意向が優先されるであろう」
つまり、拙僧のような格下の部外者はお呼びでないと。
ううむ、やはりとりつく島もなしか。
「浮かぬ顔をしているな」
妙法院からの帰り、幹と顔を合わせた。
そりゃ見事に交渉決裂したからねえ。
「よし、少し付き合え。珍平、覚恕を借りるぞ」
と彼女が、有無を言わさず拙僧の手を引いて足早に進む。
「ちょっと待て幹!拙僧を何処へ連れて行こうというのだ」
「見せたいものがある、行けばわかる」
いや、行けば分かるって。まったく強引だなあ……
そして辿り着いたのは、壬生寺。今日の京の中ほどにある浄土宗のお寺だ。
後世では幕末新選組の訓練所としても使われ、墓も作られたと聞くが。
「ほら、カンデンデンだ」
と幹が指差したのは、寺の上の階に作られた舞台。
太鼓や笛の音色からそう命名される寺の名物、壬生狂言だ。
元々は仏教を分かりやすい形で伝える芝居であったのが、今では音楽主体の台詞のない無言劇として昔話を主体の様々な演目が行われる。
演者が仮面をつけてユーモラスに踊る様を見ていると、何だか交渉が不調に終わった気落ちも忘れてしまえそうではあった。




