五十五、西教
天台宗には山門派と寺門派がある、という話は何度かしているが、西教寺はそのどちらでもない。
その宗派は開祖である真盛の名を取って現代では「天台真盛宗」と呼ばれているが、この時代の呼び名は……山門寺門に対して盛門とか言われてた気もするが、いまいち自信がない。
なお現代ではこの天台真盛宗、近江を中心に四百余りの寺院数が存在するらしい。
ちなみに山門派の系統だと四千近いので、桁が一個違う。
さてその西教寺は元々聖徳太子の師匠の為に作られた由緒正しき寺らしいが、これを比叡山で修行した真盛が再興する。
念仏と戒律の道場とも言われており、南無阿弥陀仏を唱え、なおかつ人びとのためになる生き方をするという、浄土宗寄りの天台宗の宗派である。
そして史実では信長の比叡山焼き討ちの後に、巻き添えを食う形で西教寺も焼かれているらしい。
比叡山ほど恨まれた訳ではないが、通り道のため天台宗繋がりで巻き添えを喰った、そんな感じではなかろうか。
「♪なるほど、法華衆と山門派の戦争になるのです、かー」
——シャリーン!
——カラカラ……
西教寺の坊官の川貴は、荒唐無稽な拙僧の話をあっさり信じた。
近江の六角から拙僧の噂を聞いていたのかもしれない。
「♪では、この西教寺にも力を貸して欲しいという事です、ねー」
「いや、逆で。
拙僧としては中立の立場で動かずにいてくれるとありがたいのです」
「♪えっ?それはどういうことです、かー」
そう、拙僧は動きのはっきりしない勢力には、参戦を思いとどまってもらおうと思っている。
何しろ史実では法華衆は完膚なきまでに叩きのめされ、複数の寺が焼ける。
六角氏を含む山門側の圧勝で。
そんな勝敗が決する戦いであるならば、被害は最小限に抑えたい。
参戦が決まっている勢力は多分拙僧のチカラだけでは止めようがないが、せめて、態度がはっきりしていない所は介入によって動きを止めたいと思ったのだ。
「それに西教寺は、過去に山門派との因縁もありますな。
ですので、無理に協力する義理もございますまい」
と拙僧がダメ押しする。
「そ、それは……」
すると、それまで歌いながら発言していた川貴の顔が曇る。
西教寺には「手白の猿」という奇妙な伝説がある。
徳政令、つまり借金帳消しの為の徳政一揆の首謀者として西教寺代表の真盛が疑われ、山門派の僧兵が攻め込んで来た。
そして敵が攻めてきたと西教寺の警戒の鐘を鳴らしたのは人間でなく手の白い猿であったという。
そして猿すらも改心させてしまう真盛の実力に感嘆し山門派の僧兵は戻って行ったという。
まあ猿が鐘を鳴らすのは眉唾としてもだ。
この逸話の通り、昨日の友が今日は敵になってしまうかもしれないということである。
それを踏まえて西教寺が山門派と組むのは本当にアリなのか、そこを問うているのだ。
「なので、今回は西教寺としては動かぬのが正解だと思う」
「♪貴僧様も山門の側なのに、それを言うのです、かー?」
「山門の一員であると同時に、民を救うのがまずは最優先と考えておりまする」
「♪そこは同感です、ねー」
さて、次に向かうのは青蓮院。
「ようやく、お会いできた」
と言ってくるのはここの門跡、寺の代表の尊鎮。
まだ二十代後半という若い法親王には、そっくりそのまま言葉をお返ししたい。
青蓮院そのものも含めて彼とは色々因縁があり、まずは坊官の珍平を我が曼珠院で借りている。
次に尊鎮自体が拙僧の叔父にあたる人間であり、高野山に引きこもっていた彼を計略で呼び戻し、拙僧から見れば祖父、尊鎮から見れば父の葬儀に関わる事になる。
最後に梶井門跡の絡みで八瀬に将軍義晴を一時期匿った件の口裏合わせをしてもらった経緯もある。
何かと持ちつ持たれつなのだが、最初に名前を聞いてから実際会うまで八年ほどが経ってしまった。
「そしてまた、厄介ごとを頼まれるのではないかと心穏やかではないのですが」
と尊鎮。
あー……うん。
「あながち、間違いではないですな」
拙僧は申し訳なく、苦笑する。
「まず妙法院への取り次ぎをお願いしたい」
まずは軽いジャブから。
先日の西教寺同様、天台宗の寺巡りをする予定だが、同じ山門派でも直接面識のない妙法院へ、節操を紹介してもらうのが最初の要求だ。
法親王の門跡寺でもあり、同じ法親王の尊鎮とも当然面識はある。
「それは容易です。早速文を書きましょう」
と尊鎮。
ちなみに青蓮院は代々青蓮院流と呼ばれる達筆な書道の流派が有名で、中でも尊鎮は後世に尊鎮流が知られ武家にも書の指導をしたらしい逸話が残っているほどである。
何でも、読みやすく癖のないのが特徴なのだとか。
「それだけ、ではありませんよね」
「ご明察です。実はここからが厄介事で」
と言った拙僧の言葉に、尊鎮の顔が曇る。
「尊鎮どのが信じていただくかどうかはお任せしますが、じきに法華衆と山門派で揉め事が起きます」
「確かに最近の法華の躍進は目覚ましいですが、そうですか……揉めるのですか。
いや、何故それを覚恕どのがご存知かは聞きますまい」
そう言ってくれると助かる。
一応、何故と尋ねられた時の言い訳にいつもの愛宕権現の枕詞を使うつもりではいたが。
「それで、私にそれを止めろと?正直揉め事の仲裁は懲り懲りなんですがね」
「いえいえ。それは拙僧も申し訳ないので、そこまではお願い致しませぬ」
「でしたら、私に何を……」
意味が分からないという表情で尊鎮が首を捻り、拙僧はこう口を開く。
「おそらく比叡山から、法華衆への討伐の命が降りると思うのですが、何もしないでくださればありがたいのです」
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