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転生したら覚恕なんだけどヤかれるのは御免です  作者: 咲原魁里@覚恕転生


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四十一、運河

 さて、その後の興福寺だが。


 仏光寺元住職の経光の学僧としての受け入れと愛宕公社による復興協力まで、すんなり承認された。


 ああ、愛宕公社というのは京都商人巡屋が立ち上げた総合建設会社、いわゆるゼネコンである。

 大原と坂本の街道開発からそれに伴う双方の都市開発まで、大工や左官などの専業の建設職人を多く抱えてこの時代の建設業に手広く食い込んでいる。


 ついでに今回の騒動になった奈良の豪商にもお灸を据えたかったので、座による商売の専売を愛宕公社主導で事実上取り上げた。

 謝罪の為の火災の修繕費を出させる。

 しかし材料調達や修理の商売は独占させない。

 しかもその計画は戸名階屋が主導で、三豪商はその下で言う事を聞く。

 という幕末の海外への通商条約も真っ青の不平等な物だったが、興福寺経由で飲まねば商売そのものを禁止すると脅したら渋々承諾した。少しは自らの愚かさを反省するといい。


 さてその愛宕公社が五年前から手がけ、まさに完成間近のプロジェクトが一つある。

 それは天台宗寺門派の本山三井寺に程近い琵琶湖の大津から京の都の関所前の蹴上(けあげ)までをつなぐ巨大運河の建設である。

 河川を交通にする事で輸送力は格段に上がり、特に京へ物を運ぶのに飛躍的な速度が見込める。

 結果、運河の反対側の大津から、大原から直通街道を作った坂本までの琵琶湖周辺が賑わうという訳だ。

 また運河に通行税をかける事で収入も見込める。


 しかし簡単に運河というが、その工事は並の苦労ではない。かと言って全くの実現不可能ではない。

 実はこの京都への水路には実績があり、それが現代でも残る琵琶湖疏水(そすい)である。

 明治の時代に五年がかりで作られたこの水路は、水力発電に用水路、そして水運に、現代でも期間限定ながら観光用の川の交通として利用されている。

 その建設をざっと、350年ほど前倒しする。この時代の技術と人員を使って。


 その為に儀右衛門に頼んでいくつかの新技術を導入した。

 

 まずは自転車などに用いられるチェーン。

 結構最近の発明と思われるかもしれないが、実は発想自体はあのヴィンチ村の天才レオナルドさん、通称レオナルド・ダ・ヴィンチが考案して設計図まで書いている。


 それを今、機械の駆動に取り入れた。と言ってもローラーチェーンをフルで金属を作るのは難しいので竹と金属を組み合わせたもの、歯車も木製である。

 金属と植物素材の組み合わせは蒸留器で実践済みで、これを採掘技術に組み合わせた。

 チェーンの先には水車が付いていて、つまり運河を掘るのに水力を使うという逆転の発想で、坑夫を雇う人員と予算を大幅に減らす事に成功した。

 

 もう一つの改善点は照明。

 実はあの提灯ですら江戸にかけて普及したくらい、日本の照明文化は大幅に遅れていた。

 そのためまずは金属の板を照明につける事で光度の改善、そしてやはり先の普及であった菜種油を実用化させた。

 

 曼珠院では蝋燭を使うがこの時代は贅沢品で、庶民の灯りは荏胡麻油や魚油の灯明皿が普通であった。それすら座の独占があり入手しにくい。

 その辺に生えている菜の花の種から油を取る技術が一般化したのは江戸時代になってから。

 という事で、洞窟内や夜間でも松明より数段明るくし安価な油、しかも持ち運べるタイプの照明を作った。


 ただ、うん。

 これはまだ幹にしか気づかれてないが、五年前の宗滴事件で記憶がフラッシュバックしてから、拙僧は更に火が苦手になった。今回の照明開発も案だけ出して実物は見てないし、天灯と呼ばれる火の力で浮かせる風船のような照明は今回案自体を見送った。

 実は天台宗には護摩や不滅の法灯など火を扱う行事が多く、今後の活動にもやや不安を残している。


 さてそんな先端技術と、優秀な大工を迎え入れた事で開発は順調に進んだ。

 ちなみに史実でも名前の知られた有名人の血縁では、あの信長の築城にも関わったとされる岡部又右衛門の父の又衛門、後に名が知られる法隆寺宮大工中井 正吉の師匠になる中村伊太夫。

 中井中村に関しては巨勢(こせ)という名の三輪神社に関連し、あの興福寺にも関する縁で来てもらったが……それはまた別の機会に。

 あと金剛組からも人を借りている。現代でも世界最古の会社と言われ、四天王寺の修復を主に生業としている集団だ。


 そんな有名人達の協力も得て、運河はまもなく完成する。山を削り穴を開け、気づけばもう五年余り。

 ちょうど京都側の工事の完成が、京都の戦乱から前の終わったのも運が良かった。運河だけに。


 あと残ってるのは通行税の徴収方法と分配だな。

 津料(運河)と関銭(粟田口)の一本化。

 維持費を配分に組み込むこと。

 寺門派の本山三井寺が大津、同じく京都側の寺も近いので寺門派が主導で料金徴収、愛宕公社が確認、そこに幕府、朝廷と朝廷を含めた形で分配。

 これは日野富子の着服の前例に倣った収支の透明化の意味もある。

 

 なお興福寺は復興資材の移動に限った免税だが期間限定で、今回の運河のお金には一切関わらせていない。

 あと拙僧の山門派を入れてないのは運河の両端、 入り口出口が三井寺に聖護院と寺門派の寺が近く料金の徴収をそちらにお願いしているのと、今後史実通り起きると思われる天文法華の乱が法華衆と山門派の争いであり、そこを運河に関わらせると火種になるからだ。


 さて運河の次は、個人的にも楽しみな山科言継の結婚式である。

 五年前に半ば冗談で言った仏前結婚式が、なんと実現の運びとなった。

 神父役として頑張らないと……

 

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