三十八、余波
さて現代編から本編に戻りますが、一気に時間が飛びます。
西暦1532年8月29日、史実通り元号が天文に改元された。
朝倉宗滴殴打事件から、ざっくり5年ほどが経っており拙僧は数えで十一歳になった。
その間何があったかを話すと長くなるが、まずは幹の事からか。
唯一拙僧の前世を知るものとして、今回の暴走について経緯を包み隠さず話した。
「蒸し羊羹マン?しかも映画と言う文化に興味がある」
と彼女はどうでも良い事に真っ先に反応を示し、皐月の事を思い出して罪悪感に駆られる拙僧に、
「大丈夫だ、皐月の代わりにわたしが許す」
と言って、また拙僧を泣かせたのだった。
そして迷惑をかけた珍平と義晴に謝罪をしたいが未来からの転生者である事は話せない、と言うより話しても信じてくれないと思ったので、「嘘ではないが本当でもない話」をする事にした。
幸いにして仏教には輪廻転生の概念があるため、転生という話自体は受け入れられ易い。
前世で同じく愛する者が襲われる事件があり、その時は命まで奪われたのでつい逆上したという話をしたら、謝罪を受け入れ納得してくれた。
ただ前世の相手まで邪推され、変な納得のされ方をされたのが拙僧として納得いかない。
声を大にして言うが、幹とは、断じてそう言う関係ではない。
あとはそうだな、改元自体の日付は変わっていないが理由が若干すり替わってると拙僧は邪推する。
史実では将軍足利義晴が避難先の近江から、戦乱が続く世を憂いて朝廷に打診したと言う形だったと思う。
この世界ではどうかと言うと、堺公方の実質的な消滅時期こそ変わらぬものの、将軍家は諸国に逃亡せず大原で盤石な体制を築いている。
どころか今進めている計画がもし実現すれば、坂本から大津にかけての琵琶湖周辺が京を上回る巨大都市圏になる予定だ。
なので堺公方が消滅したお祝いという意味合いが強い気がする。
堺公方と言えば、あれだけ仲間割れは止せと釘を刺したにもかかわらず裏切り仲違いがほぼ史実通りであった。
ただ便所コオロギが堺公方側についた理由が史実では道永を見限ったと言われてるのだが、この世界では逆に度重なる失敗で見限られ、居心地が悪くなって出ていった感じだ。※あなたのせいです
また史実で大物崩れと呼ばれる細川道永の死亡フラグが、直前に道永が宗滴やコオロギの件で政務から引退したため回避された。
どうも松本基準では、権力を失ったのならその生死を問わないらしい。
ちなみに史実通り管領職は空位のままだが、その実質的な後継者となった人物絡みで、ちょっとした小競り合いがあった。それは長くなるので別の機会に話す。
最後に朝倉宗滴だが、ここは拙僧との関係修復がもはや不可能になった。
まず酔った席でオイタをした事とフルボッコはどう考えても釣り合いが取れない。しかも大勢の人間の集まる席で恥をかかされている。
しかし義晴が拙僧に罰を与えようにも武家ではない上、愛宕権現と担ぎ上げた手前、手が出せない。
珍平や義晴のような関係性もないので転生などと話しても、与太話と思われるのがオチで釈明も出来ない。
そんな訳で、表向きは持病の癪と言う理由だが、正確には拙僧への怨み骨髄で怒って帰ったというのが正しい。
この件で松本に苦笑いされたが、史実でも宗滴は道永との仲違いで越前に戻っている。
若干撤退時期が早まったが、これが大原坂本間の街道開通で、この世界線でもうまい塩梅に兵力バランスが取れた形になったので、問題なしというのが松本基準らしい。
さて拙僧は最近栄え始めた大原に番内が出した支店(本店は信楽)に、「表向き」は客として来ている。
史実では病気で二年前に亡くなってる筈の拙僧の兄、寿仁に会うためだ。
「番内、サトルの調子はどうだ?」
「まずまず、といった所ですかな」
「はっ。忍びも二年目となりこの“覚悟”、至らぬ点も多々ございますが番内師匠の元、自分なりに覚悟を持って日々頑張っております」
実際は亡くなった事に偽装して、番内に預けて忍者修行をさせている。
名前は、覚悟。拙僧と同じ漢字を欲しがったので覚の字を与えたが、微妙に呼びにくいので幹が悟と言う愛称で呼び、以後はそれが定着している。
「その上で、本願寺と法華衆に動きがある模様。
その報告をさせていただきたく」
と覚悟。
いよいよか。
西暦1536年(天文5年)天文法華の乱、あの殺しても死ななそうな松本が、唯一手を貸して欲しいと協力を要請している歴史の大きな転換点。
その前哨戦とも言える史実でも起きたイベントが、
当初は細川六郎が本願寺を使うも、制御出来ずに暴走した
というハタ迷惑極まりない騒動である。
このあとの流れが史実通りなら六郎はその鎮圧に法華衆を使い、結果として先程話した天文法華の乱に繋がるという訳だ。
そもそもの松本という名前も、この天文法華の乱のエピソードというかプロローグに当たる松本問答を引き合いに出し、
「松本問答は知ってるね?とりあえず、僕の事は松本とでも呼んでくれたらいいよ」と本人が曖昧に名乗った事に由来する。
わざわざ拙僧が大原でサトルに会うのも、京都で何か事を起こすと松本が動くらしいという推測からだ。
さて本願寺と法華衆の大きな違いであるが、
「色々調べましたが法華衆、それを率いる指導者の存在は確認出来ぬ感じです」
「はい、拙者は京の都に顔を出せませんが畿内から漏れ聞く話でもそのように」
と番内の話にサトルが補足する。
そう、法華衆の厄介なのは調べてもどうも核になるリーダーのいない事。
本圀寺などの二十一の本山が法華宗の町衆と手を組んだ集団、でしかない。
例えばこれが本願寺なら証如がトップで裏で蓮淳が握ってるという分かりやすい構図だ。
その証如も現在では大きくなり数えで十七歳。
子供だった頃のお飾りを卒業しても良い頃であるが、現在七十近いと言われる蓮淳は、史実通りならあと二十年近くは生きる計算でまだまだ影響力を発揮するのだろう。
さらにややこしい事に、天文法華の乱には我が天台宗の山門派も絡んでくる。
さて、どう片付けたものやら。




