二、大原(挿絵追加)
「覚恕よ、良い機会だ。声明の見学に足を伸ばしてみぬか」
寺の修行から数日が経ったある日、師匠の慈運様が拙僧を誘う。
天台宗には声明という仏教合唱を学ぶ修行があり、ある程度の年齢になったものは山里離れた道場へ向かうのが習わしだ。
声変わりの関係もあり、本格的な専門修行は若くても12〜13歳頃からと言われている。
だから今回は修行というより見学なのだが折角の師匠のお誘い、また外に出る良い機会である。
しかも場所は大原。
「京都大原三千院」という歌詞で有名な、あの大原である。
京の奥座敷と呼ばれる場所であり、三千院を中心に平家物語の終焉で知られる寂光院、天台声明発祥の勝林院と天台宗の寺院がずらりと並ぶ。
この曼殊院から歩いても大人の足なら三・四時間程度、日帰りも可能だという。なお拙僧が幼児だという点は考慮しないものとする。
「なあに、歩き疲れたらオレがおんぶする」
と珍平。今回は護衛として同行する。
「珍平、それでは覚恕のためにならんぞ」
その言葉に慈運様が苦笑するのだった。
そうは言っても迷惑をかけないように頑張った。頑張ったの、だが。
努力のかいも虚しく途中で眠ってしまったようで、目を覚ませば珍平の背中に背負われ、日が落ちていた。
「ふむ、宿をあてにしていた目的の寺までは、まだ少し距離があるか」
慈運様が言い、三人でどうするか思案していると。
「あら可愛いお坊様。お困り?」
ふいにそんな声がして振り返ると、そこには一人の女性。齢にして十代後半といったところか。
「あなたは?」
「この近くに住んでる者よ。お坊さんの集団が立ち往生してるみたいだったから様子を見に来たの」
そう言うと女性は、屈託のない笑顔を浮かべた。
「うちの父が宿を営んでるわ。もしお困りなら泊まってらして」
「それはかたじけない。お世話になろう」
慈運様は手を合わせた。
女性に連れられて宿に到着すると、同じくらいの二人の女性が顔を出す。
「あらスウ、どこでそんな可愛い子を拾ってきたの?」
「拾ったわけじゃないわよ、ラン」
「じゃあスウ、いつ産んだの?」
「いやいやミキ、それこそありえないでしょ!」
スウと呼ばれた女性が拙僧達を宿に連れてきた女性である。
残りの女性のうちランという女性は手に掘りかけのお面と彫刻刀、ミキと呼ばれた女性は手に扇子を持っていた。
「あ……一休さん」
「えっミキ、知り合い?」
「うん、京の都で会った一休さん」
拙僧、会った覚えがあるか?
ええと……あっ!
「あの時の蒸し羊羹娘か!」
そう言えば彼女、あの時も扇子を持っていたな。
というか、ランスウミキって……
「——キャンディーズかよ!」
「「「きゃんでぃず?」」」
「あっいや……」
しまった、つい語呂が良すぎてまた前世の記憶が。
「なんだか南蛮ぽい響きがするね」
と不思議そうな表情のラン。
「きゃんでぃず……きゃんでぃずかあ」
と嬉しそうにスウ。
「いいかも。あっ、今日から我らは、きゃんでぃずぅ」
と扇子を広げて妙な節回しで話すミキ。
また拙僧が変な名前の名付け親になってしまった。しかも今度は三人組である、とほほ。
「ところで御三方に聞きたいのだが、名前はどういう漢字を書くのだ?」
そう拙僧が尋ねると、三人娘は顔を見合わせ、次の瞬間に笑いだした。
なにかおかしいのか、意味が分からない。
「あのねお坊さん。
分かってなさそうだから言っておくけど、普通あなたと同じ年齢の子供は、相手の名前の漢字なんて聞かないからね?」
とランが言う。言われてみれば、確かに。
さて一泊して翌日。
朝餉を取っていると、何やら奥の方が騒々しい。
「ああお坊さん達。今日は良く眠れた?」
「ええ吸どの、昨晩は世話になった」
と拙僧は宿の娘にお礼を言う。
もし彼女が見つけてくれなかったら、野宿も検討すべき所だった。
「うんうん良い子ね、でも御免ね。私たちこれからお出かけなの」
「お出かけ、とな?」
「うん、ちょっとこれから寺の門前で芸事なんだ」
「芸事……」
「そろそろ出かけるわよ、吸。幹の機嫌が悪くならないうちに」
「乱、一言多い」
奥から残り二名の声がする。
「今行くー。じゃあ、もし良かったら見に来てね」
それだけ言うと、吸はその場を去っていった。
入れ違いに幹がやってきて、無言で拙僧の顔を覗き込む。
「……拙僧の顔に、何かついてるか?」
「ううん、なんでもない」
それだけ言うと、ふたたび顔をひっこめる。相変わらず意味不明なおなごだ。
宿を出て勝林院までは一本道だが、木々に阻まれてその姿までは見えない。
ただ朝靄の向こうから、かすかに読経か、あるいは声明の稽古かと思しき、低い声明の唱和が風に乗って聞こえてくるような気がした。
途中、後の世で三千院と呼ばれる場所の前を通過する。今は梶井門跡と呼ばれ、そこまで大きな建物にはなっていない。そもそも、その名がつけられるのは確か明治になってからだ。
天台宗の教義で全宇宙のあらゆる法理や現象が三千世界、1000の3乗の10億あるという言葉からの引用とされる。
「三千世界のカラスを殺し……か」
拙僧は思わず今の時代の更に先、江戸の末期の武人の都々逸を口ずさむ。
「カラスがどうかしたか?」
「いや、なんでもない」
さらにしばらく歩くと、川の上に一本の橋。この向こうに目的地の勝林院を含む複数の天台宗の寺院群が並ぶ。
橋を渡れば、そこは俗世から離れた僧の住む世界。
故に集まった信徒たちは川の手前で手を合わせ、念仏を唱える。
そしてそんな集まった彼らの前で、芸事を披露する女性たち。そう、あのきゃんでぃずの三人組の姿がそこにあった。
演じているのは服装から猿楽と白拍子だろうか。
猿楽は後の能の原型とも呼ばれ仮面をつけて踊る。白拍子は文字通り白い衣装をまとった舞踊だ。
白い衣をまとい歌う吸、そしてその傍らで鼓を打つ乱。仮面の女性は顔が見えないが、おそらく幹だろう。
もう少し見ていたかったが、僧侶である我々の業務が優先だ。
橋を渡る時目が合って、こちらに微笑む際には少し心が痛んだ。
「よくぞまいられた」
寺を取り仕切る坊官に声をかけられる。
大原問答という、この寺にまつわる大きな出来事があった時までは顕真という住職がいたが、今は比叡山延暦寺の別院として常駐の住職を置かない天台宗僧侶の輪番制なのだという。
顕真が、後に天台宗から離れ浄土宗を開いた法然と仏教のあり方について一昼夜にわたり議論を交わした大原問答は、日本の仏教史の分岐点とも言える。
そして実際に天台声明も見させてもらった。ざっくりいうと西洋キリスト教の讃美歌に近い。
複数の僧侶が独特の音程と節回しで経文、お経を唱える。博士という独特の楽譜を使う。
楽譜と行っても音楽で使う五線譜のようなものではなく、紙の上を蟻が行進したような記号で記されているといえば分かりやすいか。
見学の記念にと、博士の写しも貰った。これを見て実際に声明を再現するのは難しいだろうけど。
声明の見学が終わって寺から出て橋を渡ると、ちょうどきゃんでぃずの芸事が終わったようで、三人が拙僧に駆け寄ってきた。
慈運様も珍平もそれを咎めることなく、少し歓談してきても良いと暖かく見送ってくれた。
三人は寺で何をしたかが興味津々で、特に博士の写しは食い入るように眺めていた。
「これがあの噂の……」
「正直何を書いてるか、さっぱりだね」
首をかしげる乱と吸に対して。
「わたしの父が元天台宗の僧侶。それに猿楽には、声明の博士を元にした謡というのがある」
と幹が言い、それが証拠にと博士をもとに声明を再現してみせる。
「……どうよ?わたしの天才っぷり」
無表情だが鼻息荒く得意顔の幹に、自分から言わなければ褒め言葉の一つも送ったのになと拙僧は苦笑するのだった。
きゃんでぃずの挿絵を挿入しました




