二十五、隠国
さて、予言の応酬で十分に場は暖まった。
本番はここからだ。
「さて明優どの、これでこちらからの手土産は十分に受け取って頂けたかと思う。ここからはお願いだ」
「え、ええ。これだけ予言を頂いたのなら相応のお返しは必要かと思います。少なくとも拙僧は」
まあ、問題はそこだろう。
使者の彼が了承しても当の六角側にノーと言われたら困る、ただ。
「なに、そんなに難しい要求ではないのです。と言うより、六角どのにも十分メリッ……見返りのある話でござれば」
危ない危ない、ついこの時代の人間に通じない横文字を使う所であった。
「見返り、でございますか」
「ええ。今回の使者の用向きは、公方様を武佐に招くと言う事でしたな」
「はい、その通りで」
「六角どのには、それが不用とお伝えいただきたい」
「あっいえ、意味が分かりませぬ。不用、とは?」
言われた明優が困惑している。
「実は公方様を坂本ではなく、別の安全な場所に匿っております。故に武佐まで連れて行く必要がないと言う事です」
「いや、それも分かりませぬ。安全な場所とは?」
さにあらず。さて、そろそろ頃合いか。
「実はですな……ここからの話も、六角どのと明優どのだけの話にしてくださいませ?」
「何ですかそれは……まさか覚恕さまは、先程の未来を読める他に、何か特殊な力をお持ちだと?」
よし、いい感じに怖がっている。
「隠世、と言う言葉をご存知か」
「あの世と言う意味なら」
「それだと意味が変わってしまうので……そうですな、隠国としましょうか」
万葉集にも歌われた、由緒正しき言葉だ。
「簡単に言うと神の国、ですかな。神隠しという言葉はご存知でございましょう?」
「神隠し……確か天台宗の開祖である伝教大師様は、摩訶不思議な術を行使なさると聞いておりますが」
お、いい塩梅に結びつけてくれたな。
そうそう、拙僧の宗派の創始者、伝教大師最澄は数々の伝説的な逸話で知られている。
八瀬の童子も最澄が使役した鬼だと言う話は以前したが、他にも唐から仏教を持ち帰って帰国後最初に開基(寺を建てること)した独鈷寺の逸話もある。
帰国して筑前(現在の福岡)の花鶴浜に辿り着いた最澄が新しい寺を作る場所の候補に仏具の独鈷を放り投げ、飛んだ先に寺を建てたと言う言い伝えがある。
それだけだとピンと来ないかもしれないが、浜から寺の場所までは実に7km。自動車でも10分はかかる距離なので事実とすれば常人の出来る所業ではない。
まあそんな逸話を国内に色々残しているので、比叡山はそう言う意味でも得体の知れない寺だと皆に恐れられている。最強の僧兵を所持している事に加え、信長が焼き討ちするまでは誰も手を出せなかった理由でもある。
なので唐突に神の国などと言う異世界紛いの話を持ち出しても、天台宗ならさもありなんで通ってしまう。
「よもや、公方様は今坂本でなく……」
「そう、拙僧が隠国に保護しておりまする。おそらく、一番安全な場所でございましょうし……」
「……」
拙僧の言葉に明優が絶句する。
目の前の愛宕権現なら、そんな事があっても不思議はないが、そんな顔だな?
そう思って貰わねば困る。願わくば六角にも。
「ついでに申しませば、隠国の入り口は比叡山の麓にありまする」
こう言っておけば、もし八瀬で義晴を発見されたとしても神の国から出て来たばかりと言う言い訳が立つ。
「観音寺城には、どう伝えれば……」
「引き継ぎ坂本にいる、そう言う事にしようとお伝えくださいませ。六角どのも、細川六郎に対してならその方が都合が良い」
「公方様に御用向きの時は……」
「もちろん拙僧が仲介しますぞ。公方様のお守りと言う手間をかけず、将軍の威光と言う実利が手に入るのです、悪い話ではないと思われますが」
「こ、この件は一旦城に持ち帰りたく」
「どうぞどうぞ。実は幕府軍を坂本に置くのも重荷と思われるなら、そちらの面倒も見るとお伝えください」
「は、はあ……」
こうして、明優は使者として六角の待つ観音寺城へ帰って言った。
さて上手く行ってくれると良いが。
ちなみに幕府軍を坂本から動かす候補地があるのは嘘ではない。
八瀬では無理だがそれ以外に、丸ごと動かせる候補地を既に見つけているのだ。
しばらくして、六角から返答が来た。
概ね予想通りというか使者の明優が良い感じに尾ヒレをつけてくれたようで、当主の六角は度肝を抜かれたらしい。
拙僧の案をほぼ受け入れるどころか、本当に坂本から兵を動かせるならお願いしたいとも言ってきた。
では次の段階、題して大原要塞化計画」を進めるか。
そして今回の件は、意外な副作用ももたらした。
あれだけ内密にと言ったのに(ある意味フリではあったが)隠国の件が細川六郎陣営に漏れた。よほど優秀な間者を持っているらしい。
そして六郎陣営も、比叡山と拙僧相手では無理と公方様の追跡を諦めたらしい。これで安心して晴子も義晴と面会出来るだろう。
京から八瀬は、輿を使えばすぐの距離だ。
さて戦の件も落ちついたので、その晴子も父の近衛と一緒に曼珠院を去る事になった。
「なかなか面白い体験をさせて頂きました」
と晴子が言う。
多分普通の貴族の娘では体験出来ないだろう経験を、面白いの一言で済ますのはいかにも彼女らしい。
きっと将来は波乱含みの将軍義晴を支える、良妻になってくれる事だろう。




