二十二、計略
「管領である道永様達が去られた後に、慈運様は奥の襖を開けられました」
番内がそう報告を続ける。
たしか慈運様は人と会う約束をしていたと聞く。
その相手が部屋の奥にいたのだろう。
「それで、その相手とは?」
「慈運様がその名前を呼んだので間違いないと思いますが……尊鎮法親王でした」
ん、聞き間違いか?
「すまん番内、もう一度名前を言ってくれるか?」
「ですから尊鎮法親王です。青蓮院門跡で八瀬の本所(支配権)でもあらせられる」
「……」
いや、ちょっと待て。
確かに拙僧は八瀬の件で、当事者になる尊鎮様にも話をすべきだろうと皇族かつ年長つながりで慈運様にその件をお願いした。
……のだが、彼を坂本まで呼び出した?
「そして慈運様はこうおっしゃったのです。
『今聞いてもらって、わかると思いますが』と」
事後承諾かよ八瀬の件!
しかも話を聞いてるから、絶対に断れない状況を作ってる。
「そして事情を全部話すと、尊鎮様は承諾なさいました。ため息まじりに」
目に浮かぶわその光景が。
拙僧以上の策略家ではないか、我が師匠は。
「そして尊鎮様はこうもおっしゃっておられました。
父の葬儀に関われたことは覚恕どのに感謝もしておるしな、と」
そう、去年四月に崩御した我が祖父、後柏原天皇は尊鎮法親王の実父でもある。
いやはや、何というか。今回は色んな人に借りを作り、迷惑をかけた。
そして後で謝るべき相手が多い出来事であった。
特に将軍義晴の件は、まだ先が見えぬ話だけに慎重に事を進めねばならぬ。
史実通りであれば、細川六郎と足利義晴との和睦は五年以上先の話なのだ。
そして二月。
我が父、後奈良天皇の即位式は滞りなく行われた。
一般公開される華やかな儀式に幹たちにも協力してもらった五節舞も加え、即位灌頂と呼ばれる内々で行われる儀式も滞りなく終わった。
これは簡単に言うと即位する天皇が摂関家である二条家から印明伝授という、大日如来を表す智拳印と真言の伝授を受ける実修である。
そして略式ではあるが立太子の儀も行われた。
これにより名実ともに兄の方仁親王が皇太子になった。
史実では戦国時代に行われていないとされる立太子の儀だが、方仁親王の母の血筋である万里小路家から文で圧力が来た。
「即位式にはお金を出すなら、当然立太子の儀にも」と。
面倒なので朝廷筋には即位式の余剰の金額を使って簡素なものを行うようにお願いし、やり方は丸投げした。
なので何が行われたかは知らないが、万里小路家は満足したと聞いている。
「しかし、覚恕どのも色々大変と承る」
そう声をかけてきたのは蔵人頭の葉室頼継。
天皇の秘書官長に当たるいわば取次役で、今回の即位や立太子の件でもお世話になっている。
のちに娘の婿になる山科言継の「言継卿記」という当時の世俗を仔細に書いた日記が有名だが、実は頼継自身も知名度は低いが「頼継卿記」という日記を書いている一端の文人だ。少なくとも拙僧はそう思ってる。
何より前世知識として「言継卿記」は拙僧も大変お世話になっているのだ。ありがとう義父さん。
そしてこの葉室義父さん、別の娘がまた拙僧と妙な縁がある。
史実では将軍義晴の女房(妻という意味でなく世話役の意味)を勤めたその娘が、のちに朽木稙綱の側室になっている。
朽木といえば、やはり史実で将軍が逃げたことで有名な朽木谷を治める一族である。
「ところで覚恕どの、堺大樹の件はご存知か」
と蔵人頭。
堺大樹、つまり堺幕府(自称)のことか。
身内の儀式周りも一段落したら、考えなきゃならないのがまさにソレなのだ。
細川六郎が擁立した将軍義晴の対抗馬、義晴の兄弟に当たる足利義維。改名する前だから今は義賢か。
その義賢が左馬頭に任官したのが史実では旧暦七月の頃。時を同じくして、義維と改名した。
それを境に京都の公家や寺社などが、義維を「堺大樹」と呼んだと聞いているが。
「左馬頭任官が決まっているということか、蔵人頭?」
「あくまで噂だが、目ざとい者共は既にかの者を堺大樹と呼んでおると存ずる」
そりゃ細川六郎陣営の桂川の戦いが早まれば、そっちの歴史も動くか。
この後彼らは義晴の京都不在を口実に、義維に堺で公方と名乗らせ、結果「公方」が二人存在することになる。
史実では結局、朝廷は最後までそれを幕府と認めなかったのであくまで自称だが。
そうなってくると近江国、六角氏の動きも気になってくる。
今は将軍が坂本に駐留しているという虚言で誤魔化しているが、真相を話して協力を取り付けるべきか。
「お悩みか、覚恕どの」
無言になった拙僧に、蔵人頭が尋ねてくる。
「もし堺大樹がらみの悩みであるなら、三寺を頼られるがよかろう。
無論この葉室も用向きあらば、しかと承る」
三寺……勧修寺家に甘露寺家、そして葉室山 浄住寺の葉室か。なるほど、上手いことを言う。
「しかし、そこまでしていただく義理は」
「実隆どのとは御縁があると存ずる。であれば、これも仏縁」
ああ、あの生き字引の縁で。
拙僧は有難いやら申し訳ないやら、ただ苦笑するばかりであった。




