十九、典厠
細川 尹賢。同じ苗字の道永とは従兄になるらしい。
史実では養子に入った家である通称「典厩家」の、実子を差し置いて当主になった件などで道永に尽力してもらった縁がある。
それ故彼にべったりの良く言えば忠臣、悪く言えば他人を蹴落としてでも自分が一番ですよと露骨にアピールしてくるタイプである。
香西氏への讒言も、その一環であろう。
「お前が先の東福寺での放火未遂に居合わせたのは知っている。しかし勘違いするな、放火を防げたのは幕府の、ひいては道永殿の日頃の努力の賜物であってお前の手柄ではない」
拙僧の愛宕様と言う世間の評判を知った上での、この物言い。
なるほど、清々しいまでの小物である。
「拙僧もかように思います」
「うむ、物分かりが良いな」
仏頂面はそのままだが、分かりやすく嬉しそうだ。
「しかし、話はこれだけではない。と言うより、こちらが本題だ。今回の放火の原因は香西の残党どもであるが」
そう言って尹賢は咳払いを一つ。
「世間では、このワシが香西の者達に恨まれるような事をしたなどと血迷い事を申す物もいるが、断じてそんな事実はない」
ほう、断じてと来たか。
「故に、もしお前が香西の残党に何か吹き込まれたとしても、それは全て戯言である。良いな?」
吹き込まれる以前に、拙僧は前世の記憶で讒言だと知ってるんだがなあ。
まあ歴史書が全部正解とは言わないが、この目の前の男の態度を見るに間違いだとは思い難い。絶対にやってる顔だ。
「どうした覚恕。あっ」
様子を見に来た幹が、そう口を開く。
いや、「あっ」て何だよ。頼むから余計な事言わないでくれよ?
「これはこれは尹賢様、ご機嫌麗しゅうございます」
そう言って幹は扇子を取り出して、その場に膝をついてうやうやしく一礼する。
「おお、誰かと思えば猿楽使いではないか。糞坊主の知り合いか?」
「いえいえ。本日は、ここ曼珠庵の慈運様に呼ばれて参上した次第。かの者とは面識がございませぬ」
「そうかそうか、また縁があれば拙者の所に舞に来てくれ」
「勿体ない言葉にございます」
「では糞坊主よ、要件はそれだけだ。邪魔したな」
そう言って尹賢は去って行き、その姿が見えなくなった所で、
「何が糞坊主だ、典厠家のウ◯コが言うな!」
と彼女にしては珍しく怒りを露わにする。
厩と厠の字は似ている。
故に転厩家はよく悪口で典厠家、つまり便所だと言われるのだが。
「……よく我慢したな、幹」
「わたしは出来る女、いちいち小物に構っていられるか。
何より、あなたに迷惑かけたくない」
こう言う所は本当に、幹を尊敬するのだった。
「先日はうちの尹賢が失礼した」
そして謝りに来たのは、将軍である足利義晴。
「本当だよ。なんであんな奴を部下にした」
「こら幹」
拙僧は彼女をたしなめる。
気持ちはわかるが、部下にしたのは管領の細川道永だ。
不満をその箱入り公方にぶつけても仕方があるまい。
「尹賢どのの気持ちはわか……りたくは正直ありませんが、それで道永どのと公方様を責めるつもりはございませぬ」
「かたじけない」
「それより、公方様はご自身の心配をなさいませ。
どうにも旗色が良くない」
「覚恕どのも、そう思うか」
拙僧の言葉に義晴もうなづく。
史実では2月14日に京都桂川で丹波の戦いが起き、そのまま将軍家と細川一派は近江までの逃亡を余儀なくされる。
行き先は京都から遥か離れた先にある近江(今の滋賀県)の朽木谷。
なのだが、どうも敗戦が早まりそうな勢いなのだ。
史実で起きた東福寺の火災が起きず、香西の残党が丹波に合流しない。
普通に考えたらやや将軍家有利になるはずだが、それで調子に乗った尹賢軍がかなり無茶な兵の運用を行い一発逆転の奇襲を考えているらしい。
そして拙僧お抱えの忍者である番内情報だと、あろうことかこれが相手に筒抜けで、ほぼ100%負ける。
加えて史実では善戦した若狭(今の福井)の武田が、今回動かない。
ただでさえ爆弾を抱えた室町幕府軍に、さらに後ろ盾を失う事で敗戦は早まり、多分1ヶ月くらいは逃亡が前倒しになると思われる。
「覚恕どの、なんとかなりませぬか?」
縋るような目つきで口を開くのは曼珠院滞在中の近衛の娘、晴子。
義晴から名前を貰った実質未来の妻だが、もし将軍家逃亡となれば今のままでは遠い地域に離れ離れになってしまうだろう。
「拙僧は武士ではございません、戦を止めるのは難しいです」
「そうですよね……はい、わかっておりましたとも」
晴子の顔に落胆の表情が浮かぶ。
そう、この状況を何とかするのは拙僧でも無理だ。
万一介入しても松本という修正力が働く。戦を止めるのは正直厳しい。
「ですが」
と拙僧は前置きする。
「もし戦に敗れたとしても、逃げ場を近場に確保する事くらいなら出来るやも知れませぬ」
そう、何も愛する二人を無理に引き離す必要はない。
彼女でも会いに行ける近場に幕府を匿ってあげれば良いのだ。
「それが出来るならありがたいが、あてはあるのか?」
義晴は拙僧の言葉を訝しむ。本当にそんな都合の良い場所があるのか、と。
心当たりがあるから言ったのだ、拙僧を侮っていけない。
あ、今の言い方幹っぽくてなんか嫌だなあ。




