十七、下火
退耕庵は東福寺の敷地の北端に位置する。
この先の未来であの関ヶ原前の話し合いを、安国寺恵瓊と石田三成が行った事でも有名である。
「愛宕どのは公方の味方だと思っていた」
退耕庵に滞在中の、香西残党の一人がそう口を開く。
「拙僧は誰の味方でもござらん。
香西どのの件も出来れば止めたかったのだ」
信じるかは分からないが、それに反論する。
「嘘つけ防火の神なのだろう?
きっと我々が火をつけるのを察して……」
「バカっ、計画を他人に漏らす奴があるか!」
「あっ」
やれやれ、語るに落ちるとはこの事か。
「そう、拙僧は御主らを止めに来たのでござる」
であるなら、愛宕様の威光を借りて彼らを説得するとしようか。
「もしそなた達がこの東福寺に火を放つというのなら、三つの義を欠く事にござる」
拙僧は残党に、静かに説教を開始する。
「三つの……」
「義を欠く……?」
「左様、まず一つめの義。
まず讒言があったといえ、香西殿は確かにそれまで細川道永の重臣でござった。
誤解で命を失ったからと主君に刃を向ける事、それで本当に香西殿が喜ぶとお思いか」
「……それは」
武士としての忠義を説いた拙僧の最初の説教に、何人かが動揺する。
「二つめの義。道永どのに追われる身となった御主らを匿ってくれたのは、他ならぬ東福寺の者たち。それを忘れて火を放つとは、恩知らずにも程があろう」
「……ううむ」
情に訴えかける事で、半分ぐらいが下を向く。
「最後に三つめの義。それ以前にそもそも、他人様の所有物に火を放つと言う行為そのものが人として論外だ。
例え御主らと東福寺に因縁があれど、中で働く多くの僧には何の罪もない。
それを強行するのなら、もはやそなたらは武士ではない。ただの賊党だ」
「……」
最後の武士としての生き方を問う説法で、その場のほぼ全員が黙り込んだ。
「なあ覚恕、あれで放火を思い留まってくれるかな?」
退耕庵からの帰り道、坊官の珍平がそう尋ねる。
「正直分からぬ。そうなってくれると良いが」
「しかしあの説教、横で聞いてて胸のすく思いでしたぞ!」
案内役の彭叔守仙が興奮気味にそう言う。
「きっとあの者たちの心にも届いた事でございましょう」
守仙どのは手放しで褒めてくれるが、拙僧はそこまで楽観的に考えていない。
もし松本が裏で糸を引いているなら、次は何を仕掛けて……くる……!
「どうした、覚恕?急に眉間に皺寄せて黙り込んで」
不思議そうに尋ねてくる珍平。
「守仙どの、退耕庵へ行く道は拙僧達が通るこの参道だけか?」
「いや北に勝手口の門があって、そちらからの出入りの方が近いかもしれませぬな」
……まずい。
「珍平、すぐに番内と儀右衛門に連絡を取り次いでくれ!番内は退耕庵への監視強化、そして儀右衛門には例のものの完成を急ぐようにと」
そして、その日の夜。東福寺の本堂に忍び寄る影。
手には松明を持ち、その日を本堂の柱に近づけようと……する直前で、珍平と守仙どのが現れ、取り押さえた。
「一応聞くが、拙僧の後に誰かに会ったか?」
「ああ、松本と言う男にな」
……やはりか。どうやら拙僧の説教の後に現れて、残党達を唆したようだ。全く油断も隙もない。
「ふん、しかしこんな所でのんびりしていて良いのか?」
男は捨て台詞を吐く。……まさか。
「ようやく気づいたか、今頃は別の場所の襲撃中じゃわ」
しまった囮か!
最初から狙いは本堂でなく、もっと効果が目立つ場所?
となれば!
「珍平、守仙どの!おそらく狙いはあの大きな三門だ」
「ああ、一足遅かったね」
火の手があがり燃え始めている三門の側面。
松本はその前に立っていた。
「松本、歴史を知ってるなら。
三門は未来の時代までただの一度も焼けてないはずだぞ」
確か後世でも東福寺の他の施設は消失再建される中、奇跡的に昔のまま残っている場所として知られている。
「ああ構わないさ。場所でなく、燃えたという事実が歴史で大事なんだ」
少しも慌てた様子がなく、松本がそう言い返す。
寺の関係者が交代で、井戸から桶に汲んだ水をかけ消火しようとするが、そんなものは焼け石に水。
「じゃあ、僕はそろそろ失礼する……」
「待て、そこの散切り頭」
不意にそんな声がして拙僧と松本が同時に振り向く。
「幹……どうしてここに?」
「儀右衛門からの届け物を持ってきた。
そこの散切り頭、勝ち誇るのはまだ早い」
「散切り散切りうるさいよ、ここからどんな幻術で逆転しようって言うんだい?」
松本が不快感を露わにそう言う。
「ふむ、散切りはお気に召さなかったか、じゃあ残念頭」
「悪化してるじゃないか!何だよ残念て」
「二人ともそこで遊んでないで……ほら幹、その手に持っているそれを渡してくれ。あまり時間がない」
拙僧は幹が籠に入れてきた、林檎くらいの大きさの無数球を指差す。
「ちなみに一個使っていい?」
「非常時だし構わないが……」
と拙僧が言うと、彼女は籠を床に置いて一個を手に取り。
「そーれぃ!」
と火元目掛けて投げつけた。
それは当たった衝撃で爆破して中身を破裂させ……
「何だって!?」
いつも澄ました顔の松本が、始めて動揺の表情を見せる。
球の投下で、明らかに火の勢いが弱まったのだ。




