↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら覚恕なんだけどヤかれるのは御免です  作者: 咲原魁里@覚恕転生


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/67

十六、東福

「あの東福寺(とうふくじ)に放火の動きがあると?」


「はっ、出所の確かな筋で」


 それは大永六年も終わりを迎え、来年早々には即位式も開催されようかという寒い十二月のある日の事であった。

 ついに年末に来てフラグが立ったか、東福寺兵火事件。史実には具体的な時期がなかったので今年中としか判明していなかったが。


  この東福寺は大きなもので七回、細かいものを含めれば実に160回ほど焼けた前科のある、とにかく火事の多い寺である。

 名前の由来は諸説あるが、寺を建てる当時最も大きな東大寺と最も勢いのあった興福寺と言う二つのお寺から取ったとも言われている。

 東大寺は言わずもがな奈良の大仏様のある所、興福寺はかつて硝子を作ろうとした時に製法の眠るという、あの倉のお寺である。

 

 そして宗派は臨済(りんざい)宗、禅寺であり室町幕府が決めた京都五山の一角だ。

 四代将軍・義持(よしもち)が火災で焼けた門を再建したり、当時寺にいた僧侶で天才水墨画と名高い明兆(みんちょう)との逸話など何かと将軍家と縁深い。


 ちなみに東福寺は紅葉の名所でも有名で、その逸話が関連すると言われている。

 ある日、明兆が大作を完成させた際の事。


「これは素晴らしい!

 この義持、出来映えにいたく感銘した。

 望む褒美を何でも与えよう」

 と興奮気味の将軍に明兆はしばし考えて、

 

「でしたら境内に、桜の木を植えることを禁じていただきたい」

 と答える。

 

「はて、領地や金銭ではなく?」


「ええ。桜が咲けば、春の陽気に浮かれた花見客が酒を飲んで騒ぎましょう。

 それは静かな禅の修行の妨げになる」


「なるほど!そちは画家としてだけでなく僧としても大したものだ!」


 と更に感銘し、以後桜の代わりに楓が植えられるようになったのだと言う。



 とまあ将軍由来である事といい、硝子の件といい現状の拙僧との関連が余りにも近い気がする。

 しかもこれから放火しようとしている相手が……


「丹波の手の者、間違いないのだな?」

 拙僧が番内に尋ねると、大きく頷く。


 香西元盛誅殺の際、仕えていた兵の残党がこの東福寺に逃げ延びて匿われている。

 一方つい先月の事だが、丹波の動乱を鎮めようと将軍の側近である細川道永が送った軍が、返り討ちに遭う事態が起きた。

 これは好機と、東福寺の香西氏残党が手土産代わりに将軍家ゆかりの寺に火を放ち、丹波に合流するつもりである、と。流れとしてはそんな感じらしいが……やれやれ、彼らは恩を仇で返す気か。

 

 そしてここまで流れが出来過ぎていると、どうもあの松本の挑発すら疑ってしまう。

 将来比叡山を焼かれたくない拙僧に対しての前哨戦として放火を止めてみろ、と。


 

 とにかく現場を見なければ何も始まらないと思い、拙僧は東福寺の見学許可を申し出るが、これがあっさり承認された。

 臨済宗の開祖・明菴(みょうあん)栄西(えいさい)は比叡山で得度を行い修行した、いわば我が天台宗の弟子のような関係。加えて拙僧は将軍家と懇意なのも幸いしたのであろう。


 坊官の珍平を伴って鴨川沿いの道を南に歩き、右手は川岸、左手には広がる畑。

 やがて左手側に東福寺の山門への道が見え、左折してしばらく進めば、それまで畑ばかりだった風景が様変わりする。

 古い歴史のある大和大路が左右に走る交差点まで差し掛かると、行き交う旅人や商人の往来する姿が見える。

 そしてその数50から70と言われる子院が所狭しとひしめき合い、数千の大人数を抱える東福寺周辺は、その山門の門前にも宿や茶屋を持つちょっとした町が出来上がっていた。


 あの蒸し羊羹娘に帰りしな土産の菓子でも買っていくか。

 今朝も当然のように、曼珠院の拙僧の部屋に居座っていたし。

 そして儀右衛門に直してもらった懐中時計を取り出すと、ふむ、曼珠院からここまで歩いて二時間といったところか。

 大人の足であれば半刻(はんとき)、一時間もかからず辿り着くのだろう。


 そしてここからいくつかの門と参道を抜けて、辿り着いたのは東福寺本院前の巨大な「三門」。

 三門と言う名称は文字通り入り口が三箇所ある事と、寺を山とも呼ぶことから山門とも掛けている。


 見上げるほど大きな二階建ての建築物は門というより、それ自体が大きな寺のようであった。


「愛宕様には以前よりお会いしたいと思っておりました」

 拙僧に対応してくれたのは東福寺の別院、善慧院(ぜんねいん)の住職彭叔守仙(ほうしゅくしせん)。


 何でも、本来の東福寺のトップである住持(じゅうじ)の役職、これは他の京都五山もほぼ同様なのだが数ヶ月、下手をすれば数日でコロコロと変わる。

 お金さえ積めば幕府から地位を約束され、そして満足したら引退してしまうからだ。

 そもそも東福寺に多くの子院が存在するのも、隠居した元住持がその都度新しく院を新設するからだ。

 

 当然住持は俗世の事に関心のない輩が多いので、客人の対応は別院の長が応じるのが慣習になっているのだとか。

 まあ拙僧としては中さえ見させて貰えれば相手が誰であろうと構わない。


 拙僧は守仙どのの案内で寺の中を散策する。

 身の丈五尺(約15m)の新仏像、巨大手洗い場百雪隠(ひゃくせっちん)に日本最大最古と言われる禅堂……不謹慎だが、なんだか観光みたいでワクワクする。


 そして寺の中に存在する三ノ橋川渓谷である洗玉澗《せんぎょくかん》は、東福寺の敷地を南北に分ける。

 それを繋ぐのが屋根付き回廊の通天橋、その谷底にはああの天才絵師が守った楓の木が群生している。

 そして今から向かうのは、香西残党が仮住まいにしている退耕庵。果たして鬼が出るか蛇が出るか。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2sgmdt6j4efn8zq7clnghbjuld3e_16rl_16o_sg_100wy.png
7tadbq5nimuc93p59wf488mq64tc_p6v_7y_bq_6mgn.png
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。